第二十話
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そこは石畳が敷き詰められた空間であった。作業台が複数置かれ、そこで15人の人間が作業におわれていた。
「お頭、順調です」
品のよさげな中年男が頭巾をかぶった男に声をかけた。頭巾の男はそれ無視して作業台の一つに歩み寄った。そこには小切手の元になる『紙』の束が何百枚と置かれていた。
「これがあれば、偽造もたやすいな」
頭巾の男がそう言うと中年男は頷いた。
「だが、油断は禁物だ、そろそろ都の連中も本腰を入れてくる。いくら『本物』の『紙』を使っていてもいつかはばれるはずだ」
頭巾の男は注意深く洞察していた
「ところであの貴族の息子はどうしますか?」
「そろそろ、潮時だろうな、ああなってしまっては」
頭巾の男の視線の先にはキセルをふかす男がいた。眼がうつろで血色が悪く、普通の状態ではない……
「もう、頭もイカれてますよ、まともな受け答えも怪しくなっています」
「この仕事が追わったら『処分』だ」
頭巾の男はそう言うと石畳の部屋から出た。
*
コルレオーネ一座で生じた論争は一座を分割するほどまでヒートアップした。その発端は観客のクレームであった。
『あの主演の娘よりも、助演の娘の方が歌がうまいじゃないか』
『あってないよね、配役』
『演出、間違ってるよね』
『なんか芝居のバランスが悪いよね……』
天井桟敷から投げかけられた言葉はもっと辛辣であった
『ヘボいんだよ、主演の歌が。』
『音が足りてねぇぞ』
『何で助演よりブスなんだよ!!』
場数を踏んで演技能力が上がったバイロンが主演のライラ『喰って』しまい、観客の眼にはそれが歯がゆく映ったのだ。コルレオーネ一座の芝居はミュージカルスタイルのため『歌』の能力で劣るライラはブーイングの対象になっていた。
普通の劇団ならバイロンとライラの主演交代でことは終わるのだが座長の娘ということもあり主演交代はそれほど簡単にいかなかった。
言うまでもなく、劇団員たちの間でもどうするか激論が巻き起こった。
*
「ミュージカルでやってんだから、歌のうまい方が主演だと思います。」
「いや、芝居の経験のうすいバイロンより、やはりライラでしょ」
「声色と声量からはバイロンの方が」
「芝居なんだから、『歌』のうまさは関係ない!!」
「客が文句言ってんだから、それに合わせたほうがいい」
「主役を交代したら、芝居のバランスが崩れる、ポルカではこのままでいったほうがいい」
劇団員たちはそれぞれの持論を展開した。
その激論を聞いていた座長は腕を組んで沈黙していたが、議論が熟した所で声を上げた。
「皆の意見はわかった、少し待ってくれ。」
そう言うと座長は古株のヘンプトンとパリスを呼んで小部屋に入った。
*
「どう思う、率直な意見を聞きたい」
座長に言われた二人は正直な感想を述べた。
「何とも言えない所ね、確かにバイロンの方が歌はうまいけど……主役を途中でかえて対応できるかは未知数だし……」
パリスはライラ主演を示唆した。
「お嬢も隠れてれ俺の個人レッスンしてるから、タチアナの時より歌唱能力は上がってる。」
ヘンプトンもパリスと同意見であった。
二人の意見に対し座長は難しい顔をした、懐の手帳を出すと売り上げの数字を二人に見せた。
「下がってるんだよ、売り上げが……」
パリスとヘンプトンは押し黙った。
「やはり、客の声にこたえるべきか……」
座長は売り上げと自分の娘を量りにかけた。
*
コルレオーネはヘンプトンとパリスの意見を聞いたうえで結論を決めた。小部屋から勢いよく出ると劇団員の前に出た。
「次の公演について発表する。」
座長の言動に一座の人間は水を打ったように静かになった。座長はそれを確認するとおもむろに口を開いた。
「次の公演からはバイロンとライラの役を交代させる。」
それを聞いた一座にどよめきが起こった。
「静かに!!!」
座長はいかつい表情でそう言うとさらに続けた。
「主演と助演が変更するため細かい部分も変わるだろう。この3日の休みを使ってその調整に入る。特に曲に入るときのタイミングは綿密に打ち合わせしてくれ。」
座長が続けようとした時だった、劇場から一人の役者が飛び出した。座長がヘンプトンに目で合図するとヘンプトンは頷いた。
*
「お嬢……」
ヘンプトンは浜辺で立ち尽くすライラに声をかけた。
「私のプライドをどれだけ踏みにじればいいの……」
肩を震わせるライラの様子はヘンプトンにとってもつらいものがあった。
「あんなにレッスンしたのに、歌だって良くなったって……」
ライラはポルカに来てから秘密裏にヘンプトンの個人レッスンを受けていた。基礎練習を見直し、発声方法を変えたことにより以前よりも声量も上がり滑舌も良くなっていた。
「それでも、あの子の方がいいわけ!!」
ライラの顔には殺意が浮かんでいた。
ヘンプトンはそれを見逃さなかった。
「お嬢、それは駄目だ!!」
ライラはヘンプトンに見透かされたが、その思いは変わらなかった。
「許せない、絶対……」
幼いころからドサ周りをしながら女優としての道を歩んできたライラにとって彗星のごとく現れたバイロンの存在は許しがたいものがあった。
「お嬢……」
ヘンプトンは劇団の創立期からライラを見ていた。幼い時から舞台に上がり、初等学校にもまともにいかず台本のセリフを覚えていた姿はいまだに記憶に新しい。
「あの子のために台本だって変えて、ミュージカル仕立てにするって、そんなのこっちは望んでない!!!」
ライラは思いのたけをヘンプトンにぶつけた。
「こんな、クソ劇団、潰れればいいのよ!!!」
ライラはそう言うと大粒の涙をこぼした。
ヘンプトンは必死に練習する最近のライラを見ていただけに座長の主演交代の一言は胸に突き刺さるものがあった。
「お嬢、歌ではどうしても越えられない壁がある……だけどお嬢のほうがすぐれた所もあるんだ」
ヘンプトンはそう言ったがライラは聞かなかった。
「うるさい、もうみんな死んじゃえばいいのよ!!!」
ライラの絶叫が波打ち際に飛んだ。




