第十二話
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コルレオーネ一座の興業は想像以上にうまくいった。小さな劇場が連日満員となり天井桟敷まで人が押し寄せるという事態に発展した。一座の劇団員はいつも以上の観客の数に目を白黒させた。
「うまくいきましたね」
ヘンプトンはその日の芝居が終わると満足した表情を見せた。
「ああ、久々だな、こんなのは……」
コルレオーネも同じ思いを持っていた。
「御嬢の演技もいつもより良かったですしね」
「ああ、バイロンには負けられんと思ったんだろ」
いつも以上に気合の入ったライラの演技に座長は満足した表情を見せた。
「嫉妬心をうまく煽って演技に結び付ける、さすが座長です。」
ヘンプトンは感心した様子を見せた。
「しかしバイロンは『当り』だった、歌唱能力の高さは想像以上だったな」
「ええ、日に日にうまくなりましたね。最初はどうなるかと思ったんですけど……」
ヘンプトンは『喉をひらく』ことができず四苦八苦していたバイロンを思い出した。
*
興業が思いのほかうまくいった座長は話を切り替えた。
「今週でタチアナは終わりだが……次の公演をどこでやるか迷うところだな……」
「ミズーリではやったばかりですしね……」
ヘンプトンがそう言うと座長は渋い表情を見せた。
「ドリトスじゃ、規模が小せぇしな…」
「やっぱり、あそこしかないですね」
ヘンプトンが言うと座長は頷いた。
「あそこだな」
座長はそう言うと客寄せのチラシに地名を書きこんだ。
*
公演の最終日は人だかりができていた。劇場の中で衣装に着替えたバイロンはカーテンの隙間からその様子を覗いた。
『すごい……これ、みんなお客さん……』
長い列が当日券を求めてできていた。だがその客のほとんどがみすぼらしい恰好で経済的に苦しいの人々だというのは一目瞭然であった。
『みんなお金ないんだな……』
バイロンがそう思った時である、部屋にラッツが入ってきた。
「どうしたの、バイロン?」
「外を見てたんだけど……」
ラッツは窓を覗いた。
「ああ、お客ね……」
ラッツの表情は微妙に曇った。
「金のない客は天井桟敷で見るしかないからね」
コルレオーネ一座が公演している劇場は小さいながらも天井桟敷と呼ばれる幕見席があった。客はその席を求めて並んでいるのだ。
「一番安い席だから当日券しかないんだ」
バイロンの出演する芝居は人気が出たためほとんどのチケットが前売りで捌けていた。
「あの人たち、全員は見れないんじゃない?」
「そうだね、半分も見れないだろうね」
経済格差というのは劇場という世界でははっきりとでる。良い席を前もって買えるのは所得の高い層で、当日券を求める客は残った席しか買えない貧しい人々だ。
「でもね、天井桟敷の客ってのはさ、一番目が肥えてるんだ。」
バイロンは不思議な表情を浮かべてラッツを見た。
「貧乏人って、あんまりいい暮らしもしてないし、教養もないだろ。だから本当にいい芝居にしか興味を示さないんだ。」
ラッツは続けた。
「あいつら面白くねぇ芝居だと罵声は浴びせるわ、物は投げるわ、最低の客なんだけど……でも…天井桟敷の連中から拍手をもらえたら、それは『本物』だってことなんだよね」
バイロンはラッツの生き生きと話す姿を見て『天井桟敷』の客から喝采を浴びることが女優としての『本望』なのかもしれないと思った。
*
最終日の公演は今まで以上に盛り上がった。ラストの場面でリーランドがライラと手を取り合い未来に向かって歩もうとすると観客席から大きな声が沸き起こった。
『いいぞ!』
『リーランド最高!!』
『ライラ、結婚してくれ!!』
怒声とも声援ともつかない声が劇場にこだました。
自分の役目を終えて舞台の袖からその様子を見ていたバイロンは二人にかけられる歓声に耳を傾けた。そこには一つの罵声もなく拍手と喝采が送られていた。
『お芝居ってすごいのね……』
芝居に興味もなく、生きていくために身を置いた世界だが、バイロンは芝居の持つ熱気に包まれ、今までと違う心境に至った。
「どうしたの、バイロン?」
「えっ?」
「泣いているよ……」
天井桟敷からかけられる歓声にバイロンは知らず知らずのうちに涙を流していた。
「何でもないよ……」
バイロンはそう言ったが高ぶった感情はおさえられなかった。
それを察したラッツは機転を利かせた。
「バイロン、僕の胸に飛び込んでおいで!」
ラッツはきらびやかな笑顔を見せてバイロンを抱擁する体勢をとった。
バイロンはラッツをチラリと見みるとスタスタと衣裳部屋に向かった。
「そんな、バイロン……ちょっとぐらい……」
ラッツの情けない声が舞台の袖でこだました。
*
タチアナでの興行を成功させたコルレオーネはチケットの代金を計算し、劇団員たちの働きに応じて差配した。想像以上にチケットが売れたため劇団員の給金は今までになく多く、劇団員の顔はみな一様に明るかった。
「バイロン、次はあなたよ」
給金をもらったパリスが声をかけた、バイロンはイソイソと立ち上がり座長のいる部屋へと向かった。
部屋にバイロンが入ると座長がイスに座るように言った。
「どうだった、初舞台は?」
「はい……」
バイロンは初めての経験をどう表現していいかわからず沈黙した。
「黙ってちゃ、わかんねぇんだけどな」
座長がそう言うとバイロンは一言発した。
「お芝居って……いいと思います。」
座長はバイロンの顔をシゲシゲと見た。
「そうか……」
座長はそれ以上は何も言わず、小さな金庫から現金を取り出した。
「これがお前の稼いだ金だ。」
座長は4000ギルダーの現金をバイロンに見せた。
バイロンが目を輝かせると、それを見透かしたように座長が声をかけた。
「待ちな。確かに4000はお前の稼いだ金だ。だがここから劇団の取り分と今までの個人レッスンの費用を差っ引く。」
そう言うと座長はそこから2000ギルダー抜いた。
「これがお前の取り分だ」
バイロンは2000ギルダーの現金を渡された。
「次からは個人レッスンは受けなくてもいいだろうから、取り分が増えるぞ」
「ほんとですか?」
「ああ、だが、いい芝居を見せないと、そうはいかない」
バイロンの眼に火がついた。
「次の興業で客が入ればもっと稼げる」
言われたバイロンのテンションは上がった。
コルレオーネはその姿を見てほくそ笑んだ。
『金の卵が順調に育っているな……』
バイロンは給金を受け取ると頭を下げて部屋を出た。コルレオーネは守銭奴顔負けの悪人面をその背中に投げかけた。その表情には明らかに腹に黒い一物があることを示していた。




