第九話
9
偽の小切手をつかまされたベアーはロイドにそのことを報告した。
「まさかの展開だろうが、こういうことも商売をしていればまれにある。今回のケースは私も初めてだがな……」
ベアーは申し訳ないと思いロイドに謝った。
「気にすることはない。金額的にも大きくないし、精巧な小切手の偽造品なら誰も見抜けんだろう。」
ロイドはそう言うとお茶を手に取った。
「明日は治安維持官の連中が事情聴取にうちに来る。その時にきちんと説明でききるように頭の中を整理しておきなさい。」
「あの、治安維持官が来るってことはやっぱり事件なんですか?」
「何とも言えん質問だな……』
ロイドは含みのある表情を見せた。
*
翌日、午前中の仕事を済ませると、ベアーはロイド宅に戻った。ベアーがドアを開けて中に入ると2人の治安維持官が客間にいるのが見えた。
「久しぶりだね、ベアー君」
声をかけたのは若禿の治安維持官であった。薄くなった前髪を伸ばしているらしく微妙な髪型になっている。
「お久しぶりです、お元気そうで」
ベアーは髪型には触れず若禿と握手した。
「それから、都から派遣されてきた捜査官のスターリングさんです。」
紹介されたベアーが会釈すると顔を上げた。目の前には萌葱色のパンツスーツに身を固め、腰にショートソードを吊るした女性がいた。
「あっ……あなたは…」
スラリとした足、弾きしまった腰、そして切れるような冷たい瞳、ベアーは間違いないと思った。つり橋で立ち往生していた時に現れた山岳警備隊の女性隊員であった。
「こんな所で、再び会うなんてね」
スターリングはベアーに握手を求めた。ベアーは顔を赤らめて手を握った。かぐわしい大人の女性の香りに鼻孔をくすぐられ、ベアーはフラフラになった。
「じゃあ、早速だけど、偽造小切手のこと教えてくれる」
スターリングに言われたベアーは我にかえると昨日のことを時系列にまとめて話した。
*
「じゃあ、金物屋でもらった小切手を両替商に持っていったときに偽物だとわかったのね」
「はい、都の税務官が現れて回収した小切手を調べていました。」
ベアーの話を聞いていたスターリングは難しい表情を見せた。
「どうかされたんですか?」
ロイドが尋ねるとスターリングは口を開いた。
「今まで、小さな町で見つかった小切手の偽造事件は指紋部分だけを細工するケースが多かったんです。ですが今回のベアー君の小切手はそのレベルじゃないんです。」
スターリングは続けた。
「ここからはオフレコの話ですけど……今回見つかった偽造小切手はすべてが完ぺきなんです。指紋だけでなく小切手の紙質も正規のモノと変わりません。」
「それなら振出人に確認すればいいじゃないか」
ロイドがもっともなことを言うとスターリングそれに応じた。
「月末は忙しいですから振出人の指紋認証さえクリアーできれば確認はしないでしょう。」
ロイドは沈黙した。月末の忙しい時期は決済が増えるため両替商の実務は処理に重点が置かれる。言い換えれば、振出人を確認する手間はとらない。
「それに偽造小切手の金額が小さいことも厄介なんです。」
「どうしてですか?」
ベアーが尋ねるとロイドが答えた。
「金額が大きければ両替商の人間も振出人に確認するだろうが、5000ギルダー未満の取引だと小さい金額だから、それほど処理に神経を使わないんだよ。」
言われたベアーは『なるほど』と思った。
「完璧な偽造、商取引としての小さな金額、忙しい月末、このあたりのことを計算して相手は動いているの」
スターリングは氷のような瞳でベアーを見た。
『ああ、スターリングさん、マジでキレイ……でも耳の形…エルフっぽいな……』
ベアーが繁々と耳を見たためスターリングは微笑んだ。
「耳のこと気付いたの?」
ベアーは頷いた。
「私は亜人だけじゃなくてエルフの血も入ってるの」
「そうなんですか?」
「魔法の力は使えないけどね」
そんな会話をしているなか、熱い視線をスターリングに送る人間がいた、若禿である。スターリングの一挙手一動に鼻を膨らませていた。
『ヤバイ、めっちゃ、スキスキオーラ、出てる……』
キトキトになっている若禿を見てベアーは吹き出しそうになった。
*
スターリングは話を戻した。
「偽造小切手の話の続きですが、じつは大きな問題がほかにもあるんです。」
ロイドが目を細めて口を開いた。
「決算だね」
「その通りです。」
決算とは一年間の収入と支出、利益や損失を確定させてそれを算出することである。算出された書類は決算書と呼ばれダリスの税務当局に提出される。税務当局はこの数字を見て業者の支払う税金の金額を決定する。
一方、業者にとっても決算は重要になる。決算書を分析して投資する投資家たちの注目を集めることができるからである。うまくいけば大口の投資が見込めることもあるので小さな会社にとってはチャンスにもなる。
「決算期はね、業者が財務状態をよく見せようと現金資産を多く計上するんだ。そうすれば資金繰りがうまくいっているように投資家に映るんだ。そうすれば倒産しにくい会社として思われる。」
ロイドは淡々と話した。
「それなら決算期は現金を多く積む業者が増えるじゃないですか。」
「その通りよ」
言ったのはスターリングである。
「決算期は小切手を現金化しようという動きがダリス全土で活発になるの、そうすれば決算書の内容が良くみえるから」
「じゃあ、そこに偽の小切手が紛れたらどうなるんですか?」
「忙しい決算期であれば、小切手の処理は月末以上になおざりになるから、あれだけ精巧な小切手なら……」
スターリングはそう言った後、沈黙した。その表情からは『かなりマズイ』という様子が見て取れた。
「偽の小切手が出回れば小切手を使った決済が信用できなくなる。そうなればダリスの経済は大混乱だ」
ロイドは顎に手をやった。
「あの決算はいつ何ですか?」
ベアーが尋ねると、ロイドとスターリングが声を合わせて答えた。
「来月よ!」
決算が差し迫った状態で偽造小切手が出回れば確実にダリスの経済は混乱する。スターリングの顔は強張っていた。
さらに話は続いた、
「ところで、それだけ精巧な小切手なら個人では偽造できんのではないか、組織化されてないと」
ロイドが知恵を回すとスターリングがそれに答えた。
「ええ、我々もそう睨んでいます。」
スターリングは持論を展開した。
「私はポルカ近辺に組織の『工場』があると考えています。具体的なことは言えませんが」
「なるほど……」
ロイドはそう言うとスターリングを見据えた。
「広域捜査官のあなたがわざわざここに来るのには理由があるんでしょ?」
ロイドはスターリングを試すような目で見た。
「お分かりになりますか?」
そう言ったスターリングの顔は広域捜査官のそれであった。
「ベアー君が偽の小切手をつかまされたことは内密にしてほしいんです。」
「話を広めるなということですか?」
「そうです」
ベアーは話を聞いて怪訝な表情を浮かべた。
「それはまずいんじゃないですか、偽の小切手のことを知らしめれば他の人も気をつけることができるのに……」
ベアーは正論を言ったがロイドはそれを制した。
「ことはそれほど単純ではない……決済に関わる小切手に偽造品が混ざっているとわかれば、小切手を受け取らない業者が増えるだろう。そうすれば金の流れが滞る。倒産する業者も出るはずだ。」
ロイドの発言にベアーは沈黙した。良かれと思った行為でもそれが裏目に出れば意味がない。自分が正しいと思った行為もそれが独りよがりな正義になれば混乱をきたすだけである。
「ベアー君が偽造の小切手をつかまされたことを知っているのはフォーレ商会の人間と両替商の職員の一部だけです。みなさんにはこのことを内密にしてい頂きたいんです。」
「でも、それなら偽の小切手がまた出るんじゃないですか?」
「それでいいんだよ」
「えっ?」
ベアーは驚いてロイドの顔を見た。
「こちらの捜査官は偽の小切手の出元を探るうえで、多少の犠牲はやむを得ないと判断しているんだ」
「御名答です。」
切れるような鋭い瞳でスターリングはロイドを見た。
「偽造小切手の『工場』がわかれば組織を叩くことができます。それまではわざと泳がせます。」
ベアーはスターリングの戦略に驚きを隠さなかった。
「決済までには一か月しかありません。その間に何としてでもこの案件を処理しないと大変なことになるんです。」
真剣に訴えるスターリングの表情をみてロイドは腹を決めるほかなかった。
「わかりました、協力しましょう。決算までは沈黙を貫きます。ベアー君、二人を送って差し上げなさい」
ロイドに言われたベアーは二人を厩まで送った。
馬に乗るまえにスターリングはベアーに話しかけた。
「こんな事件に首を突っ込むのは嫌でしょうけど、協力してくれると助かるわ」
「僕で良ければ……」
ベアーは手を握られてポワポワしてきた。年頃の少年である、美人に頼まれれば拒みようがなかった。
「これを持っていて。」
そう言うとスターリングは懐から木の実をかたどった小指ほどのブロンズ細工をベアーに渡した。
「これは協力者の証なの」
すかさず若禿が付け足すように言った。
「それはエリートの治安維持官だけが協力者に渡す特別なモノだから、他人には見られないようにするんだぞ。」
「そんなものもらっていいんですか?」
「いざとなった時に役立つかもしれないし、持っておいて」
スターリングはそう言うと颯爽と馬に乗った。
「もし何か気付いたことが会ったら、ポルカの治安維持署まで来て。じゃあ!!」
そう言うと二人はあっという間にベアーの視界から消えた。




