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第八話

 『通し稽古』はバイロンにとって苦痛以外のなにものでもなかった。役者としての経験がないバイロンには芝居全体の流れを把握することは雲をつかむようなことだった。


「座長、まだ無理なんじゃないですか……」


言ったのは主演のライラである、たどたどしくセリフを話すバイロンの姿をみて苛立っていた。


「お前の言うこともわかるが、今回は止むを得ん。」


ライラは不服そうに座長を見たがコルレオーネはそれを無視した。


「じゃあ、次の場面だ。楽団の方は準備できてるか?」


バイロンに歌の稽古をつけていたヘンプトンは手で『いける』と合図した。


「じゃあ、諸君、始めるぞ!!」


そう言うと座長の指揮で楽団が演奏を始めた。


 場面はバイロン扮する貴族の女が主演のリーランドに言い寄るところだ。金と権力をちらつかせながら主演のライラを歌で罵倒するくだりになる。


バイロンは演奏がはじまるとそれに合わせて『罵倒の詩』を歌った。


                             *


バイロンの『歌』を聞いたコルレオーネは腕を組みながら天井を見上げた。


『……まだまだだな……』


バイロンのパフォーマンスはヘンプトンの稽古のおかげで音程や声の大きさに申し分なかったものの感情面の起伏にかんしてはほとんどなかった。座長のコルレオーネにはその点が気にかかった。


「バイロン、それじゃ、駄目だ。この歌はライラをこき下ろさないと意味がない。貴族が平民を見下す嫌らしさがこもってないと駄目なんだ。」


コルレオーネは力説した。


「この場面でお前が憎まれ役にならないと、芝居が盛り上がらないんだ。感情をこめて罵るんだ!!」


言われたバイロンはヘンプトンの演奏にあわせて、座長の指示通りに歌った。だが、うまく『罵倒』できない。感情を込めたセリフとメロディーとが合わないのだ。


『どうしよう……あわない……』


バイロンがマゴマゴしだすと座長の叱咤がとんだ。


「中途半端な罵り方じゃ、駄目だ。女の情念、憎しみを込めろ、客に石を投げられるような演技じゃねぇと駄目だ。」


バイロンの演技はセリフも歌唱も中途半端になっていて、感情を込めるどころではなかった。


その姿を舞台の袖で見ていたラッツは混乱するバイロンをみて気の毒になった。


そんな時である、座長がバイロンを怒鳴りつけた、


「それじゃあ、給金あがんねぇぞ!!!」


給金という単語が出るや否やバイロンの中で『何か』が弾けた。



『もう、破れかぶれよ!!』



バイロンは座長を睨みつけると歌の音程よりも『罵倒』に重きを置いて演技することに腹を決めた。


その表情を見た座長は再びヘンプトンに合図を送った。


「よし、頭からだ」


そう言うと座長は再び指揮をとった。


                                *


バイロンはライラ扮する町娘に対して怒号を浴びせた。


「平民風情が貴族に逆らおうなんて、何様よ!!」


言われたライラはさっきと違い憎しみのこもったバイロンのセリフにプレッシャーを感じた。


『急に芝居が……』


 バイロンは畳み掛けるようにして演奏に合わせて歌いだした。音程はずれているもののそこには好きな男を奪はれんとする貴族の女の傲慢さが表現されていた


『やるじゃない……』


バイロンの圧力を感じたライラも対抗するべく女優としての気概を見せた。


「あなたのような身分のあるお方が平民に乱暴な言葉をかけるなんて、あまり上品なことではないんじゃないですか。」


「黙れ、平民!! お前に反駁(言い返す)する権利があるとおもうてか!!」


バイロンの芝居は演奏からはずれていたが迫力があった。


『何、この娘……』


ライラのなかで『火』がついた、それは素人に毛の生えた女優に『負けられない』というライラのプライドであった。


二人のやり取りを見ていたコルレオーネはバイロンの変化にほくそ笑んだ。


『それでいい、金の卵を産んでもらわんとこっちも困るからな』


コルレオーネの眼は芝居小屋の座長のそれではなくなっていた。


「よし、休憩だ。昼を食ったら13時から再開だ!!!」


座長は頃合いを計ると休憩を宣言した。その顔は小劇団の座長ではなく、金にうるさい商人のようになっていた、


                          *


「バイロン、大丈夫?」


いつものごとくラッツがバイロンの所にやって来た。


「結構しぼられたよね……」


「大丈夫よ、別に。」


とはいったもののバイロンはやつれている。


「どうする、お昼?」


ラッツに聞かれたバイロンはどうするか迷った。


「座長に面倒を見ろって言われてるから、どこにでもついて行くぜ!」


バイロンは断っても無駄だと思いあきらめた。


「そうね、じゃあ、ガッツリいきたいわね」


「そう来なくっちゃ!」


そう言うとラッツはバイロンを連れて街に出た。


                                *


 タチアナは工業都市ということもあり、昼になると多くの出稼ぎ労働者が街に繰り出す。つなぎを着た職人や亜人たちが何を食べるか談笑している様子は喧騒の中にも生き生きとしたリズムがあった。


そんな時である、ラッツがバイロンに声をかけた。


「食堂で食べてもいいし、屋台もいけるよ。この辺りはどこで食べてもボリュームがあるから、腹はいっぱいになるよ」


「そうね……」


ラッツに連れられたバイロンは交易馬車の集まる交差点でひしめく屋台群に目を付けた。


「あそこ、どうかな?」


バイロンが指をさすとラッツがそれを制した。


「あそこは駄目だ、ああいうところは場所だけで味がよくないんだ。観光客相手だから値段も高いしね。屋台ならこっちの店がいい。」


ラッツは興業で2度ほどタチアナに来ていたため『アタリ』の店を知っていた。


ラッツはバイロンの手を引くと一本入った路地の屋台を紹介した。


「ここのパニーニ美味いんだよね」


パニーニとはバゲット(フランスパン)にチーズとハムを挟んだサンドイッチの事である。どこにでもある商品だがラッツは自信を見せた。


「親父さん、パニーニ2つ」


「あいよ」


 バンダナを巻いた店主は慣れた手つきでバゲットにチーズ、ハム、輪切りのトマトを挟んだ。そしてそれを小さな石釜オーブンの中に入れた。


「あれで焼くとバゲットの表面が焼けて中のチーズがいい感じで溶けるんだ。」


ラッツはしたり顔で答えた。


                                  *


二人はパニーニを受け取ると公園近くの噴水の所で包みを開けた。


「すごくいい匂い!!」


バイロンは言うや否や思い切りかぶりついた。火の通ったトマトは酸味がなく、うまみが凝縮している。それが溶けたチーズと相まって口の中で二重奏を奏でた。


「おいしい、このパニーニ!!」


「ここのハムは高いハムの切落とし使ってるんだ、だから他の店とは味が全然違うんだよ」


ラッツは講釈を垂れた。


「ほんとねっ、このハムすごくおいしい。」


「でしょ、アガタ豚の切落としなんて普通のパニーニに使ってないからね」


屋台ではロースの切落としと生ハムの2種類を使っていた。質の違うハムを使うことで食感にアクセントを加えていた。


「パンもパリパリでいけるだろ、ここは石窯を使ってるからね、他の店とは違う

んだ。」


「こんな美味しい店を知ってるなんて、すごいねラッツ!」


バイロンに微笑みかけられたラッツは赤くなった。


『バイロン、笑うとかわいいな……』


 パニーニを食べるバイロンの様子は年頃の娘が見せる明るさがあった。今までバイロンの笑うところを見たことがなかったラッツはうれしくなった。


『手ぐらい握っても……大丈夫かな……』


ラッツが下心いっぱいでそう思った時である、バイロンがいきなり声を上げた。


「あれ、リーランドじゃない」


 バイロンの言った先には3人の女性を連れるリーランドの姿があった。リーランドはにこやかな表情で3人の女性と談笑している。


「ああ、リーランドか。相変わらず手が速いな。」


ラッツはニヤリとした。


「役者の副業に勤しんでるようですね。」


「副業?」


「そう、金持ちのご機嫌取って貢がせるわけ」


「貢がせる?」


「リーランドはその辺、凄いからね。嗅覚って言うか、センスって言うか、貢いでくれそうな娘を見つけることにかけては並じゃないね」


「そんなの良くないんじゃないの……」


バイロンは不審な表情を浮かべた、だがラッツは切り返した。


「バイロン、小屋の役者じゃ『副業』しないとやってけないんだ。都の歌劇団なら別だろけど。うちみたいな一座ではそれも役者の『お仕事』なわけ。」


バイロンは納得しがたい目でラッツを見た。


「それに、そういう娘が友達を連れて芝居を見に来てくれるから、うちにとっても助かってるしね」


 小さな一座が食っていくうえでチケットが売れるか否かは死活問題である。方法はどうあれ客を連れてくるリーランドは一座にとって重要な存在であった。


 バイロンは自分で客を連れてくれるだけの度量がないのはわかっていた、やり方は別として客を呼べるリーランドには一目置くしかなかい。良し悪しは別として女優の卵がどうこう言って変わる世界ではなかった。




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