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第五話

 ベアーがトマトの瓶詰の話をすると、ロイドはウィルソンが言っていたことと同じ意見を述べた。


「普通に値上げするだけなら、まだいいんだが……上げ底で調整するのは余り芳しくない。商売人はその辺りのことを目ざとく見るからな。」


「ウィルソンさんはトマトの値段が今年は安いって言ってました。」


「ああ、いくらトマトの質が良くても、その商品じゃ買い手がつかんだろうな。今年に関しては……」


ロイドは話を続けた。


「商売はね、経営者が変わるとこれまでの関係が崩れることはよくあるんだ。若くて結果を出したい経営者は短期で利益を上げようとするし、あこぎな連中は人の足元を見る。本当は商品の質と価格が重要なんだが、そう言った連中は目先の銭しか追わないんだよ。結果として信頼を棄損するんだがね」


ロイドは長い貿易商の経験談をとつとつと話した。


「利益はね、長期と短期のものがあって短期のものは持続性がないんだ。そうしたものはその場しのぎにしかならない。それにハイエナのような業者が嗅ぎつけて『急ぎ働き』を仕掛けてくる。」


「『急ぎ働き』?」


ベアーは初めて聞く言葉に興味を持った。


「一言でいえば、あこぎな商売だ。法外な値段で買いたたいたり、ぼったくりで売ったりと……そうしたことを短い時間で行うことだ。」


「そんなことしていいんですか?」


「よくあることだ」


ロイドは平然と答えた。


「商売はある意味戦争だ。きれいな仕事を末永くできればいいが、景気の変動でそうはいかないときもある。」


ベアーは難しい表情を見せた。


「今は色々、学ぶ時期だ。あまり深く考えんでいい。だが、一つ覚えておきなさい。『急ぎ働き』をする連中は結局、信頼できる業者と取引できない。たとえ一時的にうまくいっても最後はジリ貧になるかお縄になる。」


ベアーはそれを聞いてほっとした。


ロイドはその様子を見て笑った。


「ところで為替のことは習ったか?」


「いえ、まだです。」


「そうか、そろそろ、その事にも触れておこう」


そう言うとロイドは為替について話し始めた。


「ダリスの通貨は『ギルダー』、トネリヤの通貨は『ペリラ』だ、これは知ってるな?」


ベアーは頷いた。


「『ペリラ』はトネリヤ大陸全土で使える金だが『ギルダー』はそうではないんだ」


「えっ?」


「ダリスとその近隣しか使えない」


 ベアーは外国に言ったことがないので『ギルダー』が通用しないということが想像できなかった。


「特に船を使って別の大陸に行くとなると『ギルダー』は相手にされん。貿易商はみな『ペリラ』を決済として使うんだよ。」


ベアーは驚きを隠さなかった。


「ダリスで生活する人々はここから出なくても暮らせるから為替はあまり関係ないが、我々はそうはいかん。」


そう言うとロイドは机の引き出しから『ペリラ』の通貨を見せた。ベアーは初めて見る1ペリラに興味津々になった。


「両替商の看板にレートが書いてるのは見たことがあるか?」


「あっ、はい」


ベアーは両替商の外に出ているに黒板に数字が書いてあるのを思い出した。


「それだ、通貨の交換レートは毎日変わるんだ。」


「えっ、毎日ですか?」


「ああ、その数字を見ながら貿易商は商品の仕入れを考えるんだよ。」


「じゃあ、毎日チェックしないといけないですね。」


「その通りだ、まあ具体的にはウィルソンが仕切ってくれるからその辺は心配せんでいい。だが、為替の変動で思わぬリスクを負うことにもなるから、その辺りは常に気を配らんといかん。」


「リスクって何ですか?」


「やはり、天変地異だな。この点はどうにもならん。それから紛争や飢饉、疫病、政情不安も大きな要因になる。」


ロイドは続けた。


「こうしたリスクが表面化するとレートが一日にして大きく変化する。そうすると商品を売買するときの値段が変わるんだ。」


「それじゃあ、困るんじゃないんですか?」


「ああ、だから先物取引があるんだ。」


先物取引とは商品の値段をあらかじめ決めた値段で売買する取引である。


「先物であらかじめ値段を決めておけば少なくと損害を被ることは少ない。」


ベアーは話がテクニカルになって理解が及ばなくなってきた。


「この辺りは公用語の勉強と並行してやるから、すぐに理解しようとする必要ないよ。」


ロイドはそう言うと公用語のテキストを開いた。


「さあ、今日も始めようか」


こうしていつもの公用語のレッスンが始まった。


                            *


 公用語の文法体系はダリス語と異なっていてベアーにとっては混乱することが多かった。


「いいか、言語は基本的に音で認識するんだ。学校でも音読が大事だと習っただろ?」


「はい」


「あれは言葉の切れるところを認識するために必要な訓練なんだ。どんな言語でも動詞が一番重要になる。文章のどこに動詞があるかを探すには音の切れ目でわかるんだよ。」


「音ですか?」


「そうだ、ちょっとやってみよう」


そう言うとロイドはゆっくりとテキストの文章を読んだ。


「ああ、それならわかります。」


ロイドは意図的に動詞の所で区切った読み方をしてベアーの理解を助けた。


「だが、実際はこうだ」


ロイドはそういうと普通の会話と同じ速さで文章を読んだ。


「全然わかりません」


ベアーは首をかしげた。


「最初はそうだ。音節を区切って読まないためにズルズルと続いて聞こえるだろう。だが動詞の所だけは別なんだ。」


そう言うとロイドは同じ速さでもう一度読んだ。


「あっ、ほんとだ」


ベアーは動詞の所が区切れていることに気付いた。


「通常、文章を読むときはメリハリをつけるんだ。だから動詞に注目すればなんとなくだが全体がわかるようになる。さあ、今度は君が読んでみるんだ。」


ベアーはそう言われてテキストを音読した。単語の区切りが認識できていないベアーの読み方は言語と思えぬ怪しさであった。


「バラバラだな」


ロイドはそう言うともう一度テキストを読んだ。


「単語を一つ一つ拾うんじゃなくて、『連なり』で認識するんだ。」


言われたベアーは区切る部分を意識した。


「単語の『連なり』がわかるようになれば区切るところもわかるようになる。そうすると必然的に動詞の位置が認識できる。」


ベアーは単語の連なりを意識して音読してみた。


「さっきよりはマシだな……一朝一夕にできることではないが、毎日練習すればそのうちできるようになる。とにかく反復練習だ。」


ロイドはそう言うとたどたどしいベアーの音読を見守った。



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