第二話
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ベアーが用立てた金で娼館から足抜けしたバイロンは旅芸人の一座に身を置いていた。当初は戸惑うことも多かったが一か月、二か月と経つうちに一座の動きがわかるようになり、今では雑用と庶務をすべてこなせるようになっていた。
「どう、バイロン、衣装の整理は、何だったら手伝うけど?」
声をかけたのはラッツである、ベアーと一緒に娼館に行った一座の1人だ。軽快な動きでバイロンの前にやって来た。
「大丈夫よ、こっちは。」
バイロンはそう言ったがラッツはバイロンの傍を離れない、その目からは『スキスキ光線』が発射されている。いつもの事であるがラッツに興味のないバイロンは華麗にスルーした。
「ちょっとバイロン、昼ごはんくらい一緒に食べようよ~」
ラッツが猫なで声を出してバイロンの気を引こうとすると、タイミングよく座長のコルレオーネが歩いてきた。
コルレオーネは二人をチラリとみるとバイロンに向き直った。
「あとで私の部屋に来なさい、話がある」
そう言うと今度はラッツにだけにらみを利かせてその場を去った。
「バイロン、なんかしたの?」
ラッツは座長の眼が真剣だったのを見逃さなかった。
「いや、何もしてないと思うけど……」
バイロンにも一抹の不安がよぎった。
*
バイロンが座長の部屋に行くと座長はキセルをふかしていた。
「そこに座りなさい」
バイロンは丸椅子に腰かけた。
「今日から芝居の稽古に参加してもらう。」
「えっ?」
「昨日、女優の1人が出て行ったんだ。その穴埋めが必要なんだ」
「そんな……」
バイロンは貴族に追われているため顔を晒すような行為は避けたいと考えていた。
「君が出たがらないのに理由があるのはわかるが、一座にいる限り、芝居には参加してもらう。」
座長の有無を言わせぬ雰囲気にバイロンはたじろいだ。
一方でその様子を察した座長は助け舟となる言葉をかけた。
「女優になれば今より給料も上がる、そうすればお母さんの病院代も払いやすくなるんじゃないか?」
3か月ほど一座の下働きをしていたバイロンだが、その給金の安さは想像以上であった。住み込みで働くバイトより低い賃金は、バイロンの母の入院費を賄えるほどの額ではなかった。
「ほんとに……給金は上がるんですか?」
「ああ、稽古して『板にたてる』ようになれば、それなりにはなるだろう。」
座長はバイロンの横顔を見つめた。
「うまくメイクすれば素顔はわからんよ、君はメイクが生えるタイプの顔立ちだ。衣装と髪型で別人になれる。追っている貴族も芝居小屋の女優だとは気付かんだろ。」
座長は力説した。バイロンは下を向いて考えていたが給金が上がると聞いて気持ちが揺らいでいた。
コルレオーネはその様子を見て『あと一押しだ!!』とおもった。
「人気が出るとね、役者という職業ほど面白いものはない……稼ぎが違うからね……」
コルレオーネはそれとなくほのめかすような口調でバイロンをあおった。
「……わかりました……」
『金』のはなしでつられたバイロンは結局、座長の申し出を受けることにした。
「よし、じゃあ、今日の午後から稽古だ。遅れないようにな!!」
バイロンはそう言われるとお辞儀をして座長の部屋を出た。
『うまくいった!!』
座長のコルレオーネは弄することなくバイロンを懐柔したことに気をよくした。
*
「どうだったの、バイロン?」
部屋から出てきたバイロンに対してラッツは心配そうな表情でバイロンの顔を覗き込んだ。
「今日から、舞台の稽古だって……」
「マジで? すごいじゃないか、俺なんか、全然だぜ。お呼びもかかんないんだから!!」
旅芸人の一座とはいえ、舞台の稽古に参加できるのというのは重要な意味がある。それは『板に立てる』ということを意味する。『板に立つ』というのは舞台に出演するということだ。
「俺なんてさ、2年やってても、稽古の見学しかさせてくれないんだから……」
ラッツが羨ましそうに言うのを聞いてバイロンは答えた。
「私、女優なんて無理よ……多分すぐにクビになるわ」
「そんなことないよ、バイロンならお客を呼べるようになるって!」
バイロンは誰もが認める美人である。スッと通った鼻梁、形の良い唇、二重の瞼と大きな瞳、神の造形と思えるそのバランスは黄金比を体現していた。
「うちの一座じゃもったいないくらいの美人だもんな」
ラッツはベアーが一座にバイロンを連れてきたときに一瞬にしてその虜になっていた。
「でも私、お芝居なんてしたことないし……お客さんなんて呼べないわ……」
バイロンは不安な表情を浮かべた。そこには15歳の娘の見せる純朴さが滲んでいる。
『やべぇ……悩むバイロン、めっちゃ、かわえぇ……』
バイロンを見たラッツは鼻の下を長くのばしていた。
*
バイロンの一座はミズーリを離れた後、ダリスの地方都市を巡っていた。それぞれの街で一か月ほど公演すると次の街に移るという具合だ。
現在は都から80kmほど西にあるタチアナという街に逗留していた。タチアナはミズーリと同じくらいの規模を誇る街だが、工業都市としての側面が強い。住むというよりは働くための街であった。コルレオーネ一座はそこの小劇場を借りて芝居の用意をしていた。
「皆も知っているだろうが、一人女優が抜けたため急遽、代役をたてなくてはならなくなった。新しい女優を他から引き抜く時間もないのでバイロンにその役をやってもらう。」
稽古前に座長のコルレオーネが役者陣にバイロンを紹介した。
「よろしくお願いします。」
バイロンが頭を下げると主演のリーランドが口笛を吹いて茶化した。リーランドはコルレオーネ一座の稼ぎ頭で歌も芝居もこなす役者である。身長は平均的だがそのマスクは甘く、公演が終わると必ず婦女子が花束や差し入れを持ってくる。
「その娘、マチルダの代わりができるんですか?」
尋ねたのは主演女優のライラだ、不満そうな表情を見せていた。
「確かに演技という点では素人だろう、だが他の一座の女優のように『クセ』はついてない、公演までは時間がないがなんとかするしかない。」
『クセ』というのは劇団の『色』である。小劇団は特色のある芝居をやるところが多く、舞台演出がかなり異なっている。長く同じところで芝居をするとその特色が『クセ』となって芝居に出るのである。バイロンはそうした点では色がついていない。演出するコルレオーネにとっては仕込みやすい。
「皆もいろいろ意見があるだろうが、とにかく公演を成功させなくてはならない。先輩としての所作をバイロンに見せてくれ。」
そう言うとコルレオーネは芝居の台本を手に取った。
*
コルレオーネ一座は5人の楽団(指揮者、アコーディオン、バイオリン、打楽器、管楽器)と8人の役者そして10人の雑用(役者見習い、楽団見習い)で構成されていた。それぞれ適性のある人間が持ち場について舞台を盛り上げるわけだが、やはり花形は主演の女優と俳優になる。現在の主演はリーランドとライラでこの二人がコルレオーネ一座をけん引している。
バイロンが抜擢された役は主演のライラの恋敵になる貴族の娘である。主演のリーランドをモノにしょうと企む令嬢で、ライラ扮する貧しい平民の娘を手練手管を使って貶めようとする役どころだ。
「声が小さいぞ、腹から出せ!!」
座長の叱咤がバイロンを襲う。
「板に立つと決めたら中途半端じゃダメなんだ。金を払う客はそんなに甘くないぞ!!」
座長は容赦なく怒鳴りつけた。初日の稽古でこれほど厳しいとは他の劇団員も想像しておらず、稽古場に緊張感が走る。
バイロンはむっとした表情を見せると座長を睨んだ。
「そうだ、その思いだ、その憎しみを演技にぶつけろ。それが役者なんだよ!!」
コルレオーネはバイロンの食い下がろうとするその目に将来性を感じていた。




