第三十四話
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マーベリックはベアーを観察するために素朴な疑問をぶつけてみた、
「一つ質問したいのだが、君はどうしてそこまで船会社ケセラセラのために働くんだ? 状況は決してよくない。蛇ににらまれた蛙と言って過言でない。貴族の世界のもめ事に首を突っ込んだところで利があるとは思えない。」
マーベリックは船会社ケセラセラのことをあらかじ調べていた。その実力は大して目を見張る物ではなかった。ポルカの奇蹟とうたわれたキャンベル海運との勝負でその名を知らしめたものの、バッハ海運に太刀打ちできるような財力も権限も持ち合わせていない。
小金を持った港町の下級貴族という印象である、
マーベリックの問いにベアーが答えた、
「今までお世話になってますし、いろいろありましたし……弱小貿易商もなかなかどうしておもしろいですよ。小さな仕事を重ねていくと見えない物も見えてくる……小さいところにしかない自由度もありますし」
ベアーは今までの経験を思い描いた、
「ロイドさんには公用語をレッスンしてもらったり、経済情勢の分析や取り扱う商品のことをレクチャーしてもらっています。上級学校を出ていない僕でもわかるようにかみ砕いた知識で」
ベアーは続けた、
「上司も悪い人じゃないんです。中年のおっさんなんですけど妙な知識を持ち合わせていて……おもしろい人なんです。各地の物産にも詳しいですし、それに下ネタには光るものがあります」
ベアーはさらに続けた、
「もう一人の事務員の女性は上級学校を出ている才女なんです。事務能力は高いし、貿易業務のルールにも詳しい。ジュリアさんの知識で合法的に商品を販売する方法がわかるようになりました。あと、時々、焼き菓子を持ってきてくれるんですけど、それがなかなかおいしいんです」
ベアーは核心に触れた。
「とにかく居心地がいいんですよ。ケセラセラは。」
ベアーがそう言うとマーベリックはその表情から、わずかに滲んだベアーの欲を読み抜いた。
「本当にそれだけなのかね?」」
悟られたと思ったベアーは素直に答えた、
「じつは今回の事案には……ボーナスがかかってるんです……」
マーベリックはフフッと嗤った、
「ボーナスは何に使うんだ?」
ベアーは即答した、
「もちろん、ニャンニャンです!!」
その雄々しき表情は揺るぎない、屈託のない物言いは元気はつらつとしている、
「高級店で亜人とエルフの『三位一体』を考えています!」
言われたマーベリックは言葉に詰まった、
『……三位一体……』
マーベリックはコホンと咳払いして平静を装った──そして紅茶を一口含んだ。
「ベアー君、今回の事案に関して即答はできないが、明日の午後ならば何らかの答えが出せると思う」
マーベリックはそう言うと地図をベアーに提示した。
「ここに泊まるといい。明日の午後、こちらから迎えに行く」
ベアーは感謝すると深く頭を下げてから二階の部屋から出て行った。
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マーベリックは二階の窓から雑踏に消えていくベアーを見ながら声をあげた
「聞いていただろ、ゴンザレス?」
隣室に控えていたゴンザレスが顔を出した、
「どう思う?」
ベアーの様子を死角から観察していたゴンザレスは素朴な物言いで返した。
「……普通でしたね……なんというか……」
マーベリックは船会社ケセラセラだけでなくベアーに関しても調べ上げていた、知己を使ったレイドル侯爵の情報網は伊達ではない。
「ブルーノ伯爵の子息が関わった偽札事案、ドリトスの寺院で起こった汚職事件、トネリアからの帰りの遭難事故、キャンベル海運との激闘、名門レオナルド家の相続問題……普通では考えられ事態をあの少年は経験している。どれ一つとっても人生で一度経験するかどうかと言った具合の事件だ」
ゴンザレスがそれに応えた、
「いやあ、経歴はそうなんでしょうけど……普通でしたよ……裏があるようには見えませんし……」
ゴンザレスは首をかしげた、
「ボーナスでニャンニャンですからね……それも高級店で……」
ゴンザレスが好色な中年オヤジの表情を見せる、
「なかなか、どうして……」
ゴンザレスはにやついた、
「将来有望ですね……ハハッ」
ゴンザレスのベアーに対する印象は悪くないようだ、
「ところで、ベアーはお嬢とも関係があるんでしょ?」
ゴンザレスが言うとマーベリックが即答した、
「ああ、金に困ったバイロンはミズーリにある娼館で下働きをしていたことがあるんだが……その初めての客があの少年だ。」
ゴンザレスの眼が飛び出しそうになった、
「……えっ……」
マーベリックは淡々と答えた、
「だが、ベアーは持っていた金を使ってバイロンの足を洗わせた。そしてコルレオーネ劇団に紹介したんだ」
ゴンザレスは息をのんだ、
「マジですか……」
思わぬベアーの行動にゴンザレスは沈黙した、全く普通に見える少年は僧侶らしい倫理観を持ち合わせているようだ、ベアーの経歴とともに人柄が見えてくる、
「普通なんだけど……ただ者じゃない……そんな感じですかね」
ゴンザレスの脳裏にジョージズトランスポーテーションと三ノ妃、そしてマルス皇子、さらにバッハと枢密院が絡み合ったモザイクが浮かぶ、
「これはひょっとして……この先、何かが起こるこもしれませんね……」
いわれたマーベリックはあごひげに手をやった、そしてすくっと立ち上がるとフロックコートを手に取った、
「侯爵様のところに行ってくる」
そう言ったマーベリックの表情は険しいものであった、
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レイドルは暖炉の火を眺めていた、その揺らめきは一瞬たりとも同じ動きをすることがない。時折、薪がはぜると帳の降りた静かな夜に不調和なリズムを与えた。
レイドルは応接間のソファーに腰を下ろして報告者の声に耳を傾けている、
「そうか……バッハ卿と枢密院が弱小貴族に圧力を掛けた……そこには三ノ妃とマルス皇子が……」
執事服の男は淡々と報告した、ベアーのもたらした情報を時系列に並べてわかりやすくしている。
「弱小貴族が商売の許認可でいたぶられることはよくあることだ。今回の蒸気機関という新たな発明がらみともなれば邪魔になる勢力の排除にも動くだろう、まして彼らの秘密めいた企みに気付いたとなればな」
レイドルは報告者から渡されたロイドの手紙に目をやった、
「法外なロイヤリティー……だがこの背景には秘密の暴露、すなわちマルス皇子の件が絡んでいる……」
レイドルはその眼を細めた、
「ジョージズトランスポーテーションの裏金がバッハに回り、さらには枢密院との関係が客観的であると裏付けがあるのであれば、こちらも動くことはできる。だが、その金が合法的であれば無理だ」
レイドルの指摘はマーベリックにとって厄介な部分であった、それというのもジョージズトランスポーテーションの金の流れが裏金ではなかったからだ。すなわち寄付であったり、投資であったり、融資であったりと合法であったのだ。
「金の流れがきれいであれば、枢密院の書類は絶対となる。船会社ケセラセラの言い分は納得できるがその決定を覆す理由にはならない」
マーベリックは予想通りの結論だと思った、
「だが、かりに三ノ妃達がザックをマルス皇子として再び帝位に就けようというのであれば……そのときは考えねばならない」
レイドルは深いため息をついた、
「……あのときの落馬の事故で死んでおれば……」
レイドルの物言いは冷徹である、
「明日、一ノ妃様とお会いするときはこの話をせねばならん」
レイドルはそう言うとマーベリックを冷たい眼で見た、
「有事があるやもしれん、お前も覚悟しておけ!」
マーベリックの背中に嫌な汗が流れた。
ベアーと会話したマーベリックはその人柄に不思議なものを感じます。裏のない普通の少年はどうやら『普通』ではないようです。マーベリックは直ぐさまレイドルにベアーのことを報告します。
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次回はポルカに視点が移ります。




