第三十三話
そろそろ梅雨ですね……雨が多くなって蒸し暑くなって参りました。
*
ウマ娘ウエハース……二箱目……買っちゃった……(また、やっちゃったよ)
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ベアーは早馬と駅馬車を乗り継いで都へと到着していた。
眼に入る光景が、道行く人々が、そしてそれらをとりまく空気が明らかに違う。
『……すごい……』
駅馬車を降りたベアーは首都の持つ洗練された空間に度肝を抜かれた。山間の村から出てきた少年にとって整然と区画された街とそびえ立つ建造物はファンタジーではないかとさえ思えた。
予定よりも早く到着したベアーは街並みに目をやった、
『少し街の様子を見ながら目的地に行くか!』
人の多さも去ることながら目抜き通りに並ぶ店にはポルカのメインストリートとは異なる商品が飾られている、その質は明らかな一等品である。
『値段も一流だな』
貿易商の見習いとしてはショーウィンドーにならぶ品々に目を奪われないわけにはいかなかった。
『包装とか商品を入れる木箱とか……そのあたりもこってるな。ブランドとして確立してるんだろうな』
ブランドとはもともと家畜の所有を表すための焼き印だったのだが、そこから転じて高級品を証明するための尺度のような役割を果たすようになっていた。時代の変遷とともにその意味が変わり、現在では高級品を担保するためのイメージ戦略の一翼となっているのである。
『ネームバリュー、名前がつくだけで実物にさらなる価値が上乗せされる……』
ブランドを表すロゴや模様が商品に押されただけで値段が跳ね上がるという魔法のごとき仕組みはベアーにとってはなんともいえないものがあったが、名前だけで金にするという手法は賢いという思いもある、
『信頼と安心……それがブランドか……』
ベアーはブランドに対して高名な貴族が名前だけを貸して金を取る連中がいることもウィルソンから教えられていた。
『実のない商売、虚業……でもそこに金がつく……いいことのなのか、悪いことなのか』
実態のある取引でもうけを出す業者と、ブランドという名前だけで利益を出す業者……明らかな違いがそこにはある。だが金という物は実業であろうと虚業であろうと1ギルダーの価値に違いは無い。
『一体、金儲けとは何なのか……』
ベアーがそんなことを考えているとちょうどいい時間になった。
『目的地はあそこだな、奥まった路地にある骨董店』
ベアーは目の前に見えてきた骨董屋に近づくとそのドアの取っ手に手を掛けた。
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中はどことなく暗く、怪しげである。妙な香も焚かれていて淫靡と言っていい。だが娼館のごとき雰囲気はない……不可思議な空間である。ベアーは奥にいる店員に声を掛けようとした。
「あの、すみません……」
ベアーがそう言うと店員が反応する前に後ろから声が掛けられた、
「君だね、ベアーというのは?」
声を掛けてきたのは鋭い視線を浴びせた人物である、執事服に身を包み、7:3に髪を分けている。くっきりとした美しい分け目が印象的だ。
「二階にどうぞ」
ベアーは促されると執事服の男の後を追った、
*
男はベアーに紅茶を出すと名乗りでた。
「レイドル侯爵の筆頭執事、マーベリックと申します。広域捜査官のカルロスさんとスターリングさんからの通信であなたのことを聞き及んでおります。」
懇切丁寧な態度にベアーは驚いたが、その目にどことなく冷たさがあることに気付いた。ベアーはその思いを伏せて口を開いた。
「船会社ケセラセラのベアリスク ライドルと申します。社長であるフォーレ ロイドの手紙を預かっています。秘匿性が高いので直接お持ちいたしました」
ベアーはロイドの託した手紙をマーベリックに渡した。
マーベリックは丁寧に受け取るとナイフで封を切って内容を確認した。
「……なるほど……」
ベアーはすでに手紙の内容をロイドから知らされていたためマーベリックの反応に注視した。
「貴族の横暴と言えばよいのでしょうが、そこに枢密院のお墨付きがついた──強制的に傘下に収めてロイヤリティーを30%要求……通常ならあり得ぬ数字だ」
マーベリックもロイヤリティー30%の文言には眉をひそめた、
「確かに常軌を逸している……」
マーベリックはさらに続けた、
「サングースの肉屋の見習いであるザックがマルス皇子であることを見定めて拉致が敢行された、その背景にはジョージズトランスポーテーションが……さらにはバッハ卿やモーリス卿も一枚かんでいる。そしてザック捜索を依頼した広域捜査官さえも……」
マーベリックはベアーのもたらした知らせに驚きを隠さない。
「これが真実であれば国を揺るがす事案です」
ベアーはマーベリックの様子を見ると本題を切り出した、
「ロイドさんはこの事案に関して一ノ妃様の裁可を期待しています。レイドル侯爵の力でなんとか話をつなげてはもらえないでしょうか?」
言われたマーベリックは沈思した、
「侯爵様にこの手紙を渡すことは何ら問題ない……だがいかなる反応を見せるかはなんともいえません。もちろん枢密院のお墨付きは決して芳しいモノではない。この点は留意するとは思うが……一ノ妃様の裁可が得られるか否かは不透明です……」
マーベリックは無理だろうという様子をみせた──首を横に振ったのである。
「下々の事案に関して裁可を出すことは通常あり得ない……何か特別な事態でもなければ……」
ベアーは食い下がった、
「ザックがマルス皇子なら一ノ妃様も考えるのではないでしょうか、ジョージズトランスポーテーション、枢密院、バッハ卿、彼らが手を組んでいるとなるとその背景には何か目的があるはずです。」
マーベリックは鷹揚に頷いた、
「たしかに……ですが、彼らの動きを立証しうる証拠はありません。一ノ妃様はすでにマルス皇子が死亡したと認識しています。ザックがマルスであっても死者を生者に戻すサインをするとは思えません。」
ベアーはため息をつくと肩を落とした。
マーベリックはその様子をつぶさに観察した。
『……全くもって裏のない反応だな……』
そう思ったマーベリックはベアーを見た、
「たしか、君はバイロンとは懇意にしていたとか?」
ベアーは即答した、
「懇意かどうかはわかりませんが彼女は初等学校のクラスメートです。バイロンのお母さんが病気で田舎に療養にきてからですから……学校では三年ほど一緒に過ごしています……」
ベアーがそう言うとマーベリックが応えた。
「バイロンが窮地に陥ったときに助けたとか?」
「ミズーリでの出来事は成り行きです、当時はまだ僧侶でしたしね」
マーベリックはすでにミズーリでの出来事知っていた、そのとき、ベアーが関わっていたことも……
マーベリックの脳裏にバイロンの顔が浮かぶ、クールビューティー系の頭突き女子がベアーの話をしたときにみせた表情は実にはつらつとしていて年頃の娘のそのものであった、
『……一体……この少年は……』
マーベリックはベアーの所作や言動になんともいえないものを感じていた、それはベアーの持つ人としての質感がさせたものである。
徳が高い宗教者には思えないし、交渉能力の高い貿易商にも思えない……狡猾さや計算高さと言った透けた浅知恵もない。
『……普通だな……まったく……』
マーベリックのベアーに対する第一印象は極めて素朴なものである、
『もう少し、様子を見るか』
そう思ったマーベリックはベアーにもう一杯、紅茶を勧めた。
マーベリックと会ったベアーでしたが、彼の応えはあまり芳しいものではありません。一方、マーベリックはベアーの挙動を観察しています。はたして、ベアーは目的を果たせるのでしょうか?
次回も都での展開となります。




