第十九話
11
ジョージはうなぎ登りになる株価を瓦版で確認していたが、その勢いがとどまらぬ状況に違和感を持った。
『これほどまでに金が集まるのが簡単だなんて……』
自宅の倉庫を改良して必死になって蒸気機関の部品を作製している頃は周りから奇異の目で見られて、半ばキチガイと思われていた。
だが、しかしである──歯車の強度問題を克服したことで試作機ができあがり、蒸気機関を搭載した小型船舶が湾内の逆潮をなんなく航行すると状況が一変した。
『……金が雨のように振ってくる……』
漁港でみせたデモンストレーションは集まった人々に驚きを与えただけでなく、富を持つ者たちに新たな投資先を与えていたのだ。
だが、その歯車の強度問題を解決しても別の問題が立ちはだかった──貴族の持つ許認可である。
『バッハ侯爵の持つ許認可はほかの行政機関を制御する要となる。バッハを懐柔しなくては中型船舶における蒸気機関の搭載が認められない……商売が成り立たない』
ジョージは腕をくんだ、
『バッハの懐柔は難儀だった、新たな技術など歯牙にも掛けない不遜な態度。』
だが、その状況を一変させた人物がいた、副社長のムラキである。ジョージが資金難で困り果てていたときに資金を融通した人物だ。
『ムラキはバッハの動向をよむと直ぐさま動いた、船会社ケセラセラとの商談をバッハの従者にみせることでバッハ自身を誘い込んだ。さらにはバッハをコントロールするためにはるか高見にある機関に眼をやった。』
ムラキはバッハを制するために枢密院に掛け合っていたのである。
『ムラキがいかにして枢密院と接触できたのかはわからない、だがムラキの力で枢密院とのコネクションができた……素晴らしいことだ』
だが、その反面、問題もあった、
『枢密院の懐柔にかかる費用が重たい……』
ジョージは株価が上がり新規の株を発行してその資金を捻出したがそれでも足りるとは思えなかった。
だが、ムラキはその費用の捻出にテクニックを用いて応対した。それは株と言われる証券の持つ特徴を熟知したやり方である。
『あんなやり方があるなんて……現金を使わずとも買収が可能になる方法……ムラキ凄まじい先見性だ……』
ジョージがそう思ったときである、ジョージの所にそのムラキがやってきた。タイミングを見計らったかのようである。
*
「社長、お話があります」
言われたジョージが顔を上げると、ムラキは隣にいた女を紹介した。斜に構えた女は鼻持ちならないような雰囲気を身にまとっている。鼻筋の通った女は美人であるが気安く声を掛けられるような人物ではない。
「こちらの女性は枢密院との接点を持つお方です。この先、彼女の力が必要となります」
ムラキはそう言うと女の後ろに隠れていたあばたのある小太りの少年を紹介した、
「我々の未来を担う人物です」
その少年はどことなく間抜けであり、知性があるとは思えぬ風貌である。
ジョージは怪訝な表情を見せた、
「ご心配には及びません、彼らは私が面倒を見ますので」
ジョージは『うん』と頷いた、枢密院との接点という単語がそうさせたのである、
「彼らの住まいを用意したいのですが、社長が使われていた工房ですがあそこをつかってもよろしいですか?」
ジョージは同じく『うん』と頷いた。
「かまわんが、あんな所に住まなくともホテルを用意すれば……」
ジョージがそう言うとムラキが即答した、
「枢密院の懐柔に金がかかります。少しでも経費をうかしたほうがいいです。さらには社用の工房を住居として申請すれば経費としての処理もできます。税金の節約にも」
ムラキが帳簿上のテクニックを述べるとジョージは『なるほど』という表情を見せた。
「そうか、わかった」
ムラキは頭を下げるとあばたのある小太りの少年と狐顔の女を部屋から出した。
「中型船舶の蒸気機関搭載の事案は枢密院からバッハ侯爵に働きかけをしない限りは認可が下りないでしょう。ですが、彼らの存在はそれを可能にします。」
ムラキはそう言うと柔和な笑顔を見せた、
「社長の研究する姿勢には誰も及びません、あなたの熱意がないと蒸気機関は完成しません。ぜひ研究に没頭していただきたい。」
ムラキは深く頭を下げた、社長であるジョージはそれをただ見ていた。
12
枢密院の最奥、そこでは絶対権力者といわれる老人が執務机のうえで小さな駒を動かしていた。色とりどりのおはじきのような形状をした駒である。
『金の流れはよくなった、ホームズが運用の失敗で開けた穴はジョージズトランスポーテーションの寄付金で一時的に埋まった。』
紫の法衣を身につけた老人は駒をおはじきのようにして飛ばした、飛ばされた駒はどうやらホームズのようである……
『奴らは海運業における許認可を持つバッハの懐柔を求めてきた、蒸気機関を浸透させるためにバッハの力を抑えてほしいと……フフフ、たやすいことだ』
男はその目を見開いた、
『だが、それほど私も安い人間ではない……蒸気機関という大きな果実がなるのであればそれ相応の見返りも必要となろう。』
男には金銭に関する倫理観が失われていた。守銭奴のような浅ましさではなく、貨幣を富ではなく道具として認識する冷徹さである。
『金を配らねば権力は維持できない……その道具はジョージズトランスポーテーションとバッハにやってもらう。後は静観するのみ』
男はしたたかであった、実にしたたかであった、
『枢密院の最奥はなんびとにも渡さん、たとえ帝位に就く人間に文句を言われようともな』
男には明らかな野心があった、そしてその野心を貫徹するためにはすべての者が道具であると認識していた。
男が枢密院の最高議長として君臨できたのはその冷めた見識と感情の薄さである。
『これからだ、これからだ、これからだよ!』
男は不敵な笑みをみせた。
*
それからしばし、最高議長が執務を終えて帰ろうとしたときである。執務室のドアがノックされた。最高議長はその音から即座に相手が誰であるかわかった。
「はいれ」
男の前に現れたのはジョージズトランスポーテーションの副社長ムラキであった。
「そろそろ来ると思っていた」
枢密院の最高議長である男がそう言うとムラキは柔和な笑顔を見せた、
「先日の件ですが、バッハ様はこちらの要望に善処するとお答えくださいました。大変ありがたいことです。」
ムラキは淡々と言った、
「うむ、だが、これからのことを考えれば経費が足りぬぞ。貴族は土壇場で裏切るのが常だ。上からの重しがなければ平民のことなど歯牙にもかけんぞ」
老人が意味ありげにそう言うとムラキは深く頷いた。
「わかっております」
ムラキはそう言うと懐から証券を取り出した、
「ジョージズトランスポーテーションの未公開株です。」
老人は嗤った、
「現金以外の付け届けか?」
それに対してムラキが答えた、
「中型船舶の蒸気機関における許認可が認められれば、金貨や銀貨よりも値打ちがあるでしょう」
ムラキは老人の金に対する姿勢を読み取っていた、そしてその背景にも……
「あなた様のバッハ様に対する働きかけでいかようにも化けましょう」
老人はフフッと嗤うとムラキに下がれと人差し指で指示した、だがもう片方の手には未公開株の証券が握られていた。
ジョージズトランスポーテーションの副社長ムラキは辣腕を振るい、株価を押し上げていきます。そしてその対価をもって枢密院の最高議長を懐柔しました。
ですが枢密院の最高議長は一筋縄でいくような人物ではないようです。悪人達の悪巧みは未だにその目的が見えません……
さて、次回ですがベアー達に視点が戻ります。いなくなったロバとザックを探す一歩を踏み出します。




