第十五話
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ムラキはロイドを事務所の応接室に入れると蒸気機関を用いた小型船舶についてのパンフレットを提示した。
「先日のデモンストレーションが終わった後、多くの引き合いがございまして、このパンフレットも急遽、増刷したんです。」
ムラキは笑顔でそう言うと中を開いて蒸気機関のもたらす恩恵を力説した。
「これは革新的な技術でありまして、これからの海上輸送には是が非でも必要となるでしょう。」
それに対してロイドが答えた
「確かにその蒸気機関とやらが安全で事故を起こさないのであれば投資対象としては悪くない。うちも船を持っているのでその船に蒸気機関を取り付けたいとこだ。」
ロイドが相手の出方を見るために前向きな発言をするとムラキが唸った、
「さすがロイドさん、船会社の社長だけのことはある。」
ムラキはそう言うとロイドの耳元でささやいた、
「大型船舶に取り付ける蒸気機関はまだ開発途中ですが……中型帆船であればすでに試作品ができつつあるんですよ……」
商談における秘密めいた開発の話はなんともいえないものがある、
「ケセラセラの方で試作品を取り付けてみませんか……デモンストレーションをここポルカでやろうとうちの社長も意気込んでいるんですよ!デモを引き受けてくれればこちらも商売がしやすくなる」
ムラキはそう言うと条件を提示した、
「デモで成功すれば売り上げは担保できると思いますので、取り付け工事は無料でかまいません。デモが終わった後に蒸気機関を買い取ってくれれば……最初のお客様ですので料金も値引きして……」
ムラキがそろばんをはじくとロイドは唸った、それというのも提示された金額が大きい物の払える額だったからである。
先行投資して勝負するか、それとも否か……ビジネスは初手が大きな果実を産む公算が高い。潮の流れに逆らって逆潮を航行する姿をケセラセラ号がみせれば、それは大きな宣伝になる。もちろんジョージズトランスポーテーションにとっても大きな一歩になる。
ロイドは顎に手をやった、
「その蒸気機関というのはどのくらい保つものなのだ……壊れやすいとか……嵐には弱いとか?」
「耐用年数は約10年ですが部品の取り替えを行えば15年はいけると思います」
ムラキが自信を見せるとロイドは厳しい表情を見せた、そこには貿易商としての計算が脳裏ではじかれている。帆船の補修費用と比べているのだ……
ベアーはロイドの選択を見守った、正直なところ新しい技術には興味が無いわけでは無い。蒸気機関を取り付けてみたい思いもある……うまくいけば海上輸送の要になる可能性さえ秘めている。
だがその一方で蒸気機関の安全性が担保できているわけではない……未知のものであるが故に不測の事態も生じるであろう、
『先駆けになればビッグビジネスの先駆者になるかもしれない……どうするんだろうか……』
ベアーがそう思ったときである、ムラキが商談をまとめるべく切り札を切ってきた、
「わかりました、デモで失敗したときは損害を当方ですべて持ちましょう、メンテナンスにかかる費用もこちらで対応させていただきます」
ロイドの目尻が上がる、ベアーはそれを見て契約に判を押すとおもった、
*
と、そんなときである、商談の応接室の扉が開くや否や三人の男が入ってきた。いずれも身なりがきちんとしている。とくに真ん中に位置取った人物は異様な圧迫感を商談の場にもたらした。
クビ元についた襟章を見たロイドは立ち上がるとその人物に丁寧に挨拶した、そこには貴族階級で相手が上であることを示す態度がある、
「面白そうな話だな」
そう言ったのは真ん中の人物である、
「お久しぶりです、バッハ侯爵」
バッハと言われた人物はロイドを無視した、そこには下級貴族など歯牙にも掛けないという意思がある。
「今の話、聞かせてもらった──デモをするといったな、ムラキ?」
ムラキは商談に割り込んできた人物に驚いた表情を見せていたが、バッハという名を耳にすると恐れ多い態度を見せた。
「はい、そうでございます侯爵様」
直立不動の態勢をとるとバッハがムラキをねめつけた、
「バッハ海運としてもそこもとの蒸気機関は興味がある」
言われたムラキが平身低頭する、
「中型船舶のデモを行う上での認可はとったのか?」
バッハがムラキをねめつけた
「認可がない状況ではデモはできんぞ」
バッハは口ひげに手をやると、やっとのことでロイドに目をやった。
「キャンベル海運を買収した手腕はなかなだが、海の世界は我々がにぎっている。わかっているだろうな?」
バッハはロイドを見た、
「わしがわざわざ出張ってきている意味はわかるだろう、フォーレ ロイド 男爵?」
ロイドは頭を下げ続けた、バッハは鼻息を吐くとムラキに視線を移す、
「実のなる商売を下級貴族と組んで行おうとするそちの態度はいただけない」
ムラキは平身低頭し続けた、
「その商売はまず私が吟味してからだ」
バッハはそう言うとロイドの前にある契約書をぶんどった
「この事案は私の許可をとらずに契約することはまかりならん!」」
バッハはそう言うとその場を後にした、
ロイドは応接室からバッハが出て行くのを十分すぎるほど確認してから頭をあげた
『なんとか、やり過ごせたな……』
ロイドは眼の前にある商談を潰されたにもかかわらずホッとした表情を見せた。
ベアーはバッハの横暴さに怒りを禁じ得なかったがロイドの様子からただ事ではないことが想像できた。
『……一体何なんだ、あの貴族は……』
四の五の言っても始まらないとおもったベアーはムラキに頭を下げると退出する旨を伝えた。
*
一方、その一部始終を見ていたムラキはほくそ笑んでいた、
『船会社ケセラセラ、いい仕事をしてくれた』
怒鳴り込んできたバッハ卿の様子は明らかに居丈高であった、横暴の極みと言っていいだろう。だが、ムラキにとっては決して悪いわけではなかった、
『ケセラセラとの商談が進む様をみたことでバッハ卿に火がついた、思った通りだ』
ムラキは蒸気機関の許認可がバッハ卿にあることを熟知していた、だがコネクションのない平民では高級貴族とは直に話すことなど到底できない。
『表向きの体裁を整えねばならない、バッハが食いつくようにするために』
裏口からロイドという下級貴族を招き入れて商談を秘密裏に進めようとしたのはバッハを引きずり込むための演出であったのだ。
『バッハの予定はすべて把握済みだった。だが、この事務所に呼び込むための手段は持ち合わせていなかった』
ムラキはバッハの従者を懐柔すると、彼らにロイドとの商談をそれとなくみせることで蒸気機関の有用性を理解させていたのだ。
『チャンスを創造する撒き餌──それがケセラセラ、よくやってくれた』
ムラキは馬車に乗るベアー達を窓越しに見てにこやかな表情を見せた。
『お前たちはもう用済みだ』
策士の微笑は邪であった。
ムラキの策略が炸裂いたしました。ベアーとロイドはそれに気付くことなく商談を終えました……
はたしてこの後、どうなっていくのでしょうか?




