15章 第一話
1
暗くジメジメとしていた部屋には壮年の男が塞ぎ込んでいた。苦悩にあえぐその表情は悲壮感が漂っている。
『あと少しの資本があれば……』
その名はジョージ、発明に財産を注ぎ込んだ男である。来る日も来る日も実験にあけくれ、その若き日を費やした人物だ。端から見れば変わり者であり、異常者とさえ言われていた。
だが、ジョージは奇異に見る他人の視線を無視して発明に打ち込んだ。
『もう少しで試験運転までこぎつけられる……』
ガレージを拡張して作り上げた実験場の中心には金属の塊や木製の歯車など様々な部品が置かれている。
『これさえ動けば……今までの苦労だって』
ジョージは今まで投下した資本が発明品により回収できると信じて疑わなかった。全財産をつぎ込むだけでなく家を担保に金を借りて実験に着手した。
だが最後の一歩が届かない……
『……足りない……』
度重なる試験運転を失敗したジョージはすでに資産を失い実験することさえままならなくなっていた。
『あと、本当にあと少しなのに……』
ジョージは投資家を募っていたが、その交渉もすでに空振りに終わっている。最後の試験運転の失敗により見切りをつけられたのだ。投資家の中にはジョージのことを夢想家と揶揄する者さえいた。
『ちくしょう……金があれば……実験が』
そんな風に思ったときである、彼の造った試験場に一人の男が現れた。その身なりは明らかに富裕であり豊かさを醸す雰囲気が漂っている。
「面白そうな研究を成されているようで」
言われたジョージは男を見た、
「冷やかしでしたらお引き取りください」
ジョージがそう言うと男は懐から革袋を出した。男はおもむろにそのひもを解いて中を見せる。
ジョージは息をのんだ、
「……これは……」
身なりのいい男はどこからともなくパネリの鑑定書を出した。
「ええ本物ですよ」
言われたジョージは目の前にきらめく赤い宝石に息をのんだ。
「このルビーであなたの研究を支えたいと考えています。」
ジョージは何も考えずに答えた、
「本当ですか?」
尋ねられた男は鷹揚に頷いた。
「もちろんです、こちらもあなたの技術には興味がある。世界をかえるやもしれない」
ジョージは顔を紅潮させた。
「ですが、この援助を受ければあなたの持つ技術は当方で管理することになります、よいですね?」
すでに文無しになっていたジョージに反論する余裕はない、
『この三日間、ろくに飯も食ってない……』
研究に明け暮れて、まともな生活をしてこなかったジョージにとって男の申し出は最高のプレゼントにおもえる。
「では、契約を」
ジョージは喜び勇んで拇印を書類に押した。
2
暖かな日差しが心地よい、第四宮になぐ風は穏やかで誰もが大きく深呼吸したいくらいである。だがその日差しとは裏腹に第四宮の長であるリンジー モンローの顔は明るくない。
「枢密院でお達しが出たみたい……」
リンジーがそう言うとバイロンが頷いた、
「ええ、知ってる……エリーさん……25年の懲役」
エリー アルマンド──トネリアの王室付きメイド、アナベル エッダに利用されて捨てられた女は枢密院の審問で厳しい沙汰を言い渡されていた。
「偽のアナベルに籠絡されてマイラさんに毒を盛ったこと……そして偽のルビーを用いて決済しようとしたアナベルを幇助したこと……軽いはずがないわよね」
リンジーが偽のルビーを用いて金貨と交換しようとしたアナベルの素行に触れるとバイロンがなんともいえない表情を見せた。
「鉄仮面が背後でアナベルを操り、そのアナベルにエリーさんが操られた……まるでお芝居みたいな話……でもそれが紛れもない真実……」
リンジーがため息をついた、
「懲役25年……死刑にならなかっただけマシかもね……」
競馬会における顛末を知覚したバイロンがやむを得ないという表情を見せると、二人の後ろから声を掛ける人物が現れた──マイラである。
「よかった、元気になったんですね?」
言われたマイラは頷いた、
「ええ、おかげさまで」
マイラの表情は明るい、
「後遺症もなくて全快よ」
マイラは続けた、
「今回もあなたたちに助けられたわね、お礼を言わないとね」
マイラは二人に洋菓子の入った箱を渡すと枢密院のお達しに対する見解を述べた。
「エリーはあれだけのことをしたのですから当然です。死罪にならなかっただけでも儲けものといったところでしょう」
マイラは続けた、
「競馬会における裏金はトネリアと間で外交問題になるようですが、この点に関しては我々には現状において関係ありません。しばらくは注視することになるでしょう」
マイラはそう言うと二人を再びねぎらった、
「とにかく今回はよくやってくれたわ、土壇場で近衛隊が助けてくれるなんて」
マイラはバイロンをチラリと見た
「あなたの彼氏のおかげかしら?」
意味深に言われたバイロンは直ぐさま否定したが、むしろそのリアクションがマイラの乙女心をくすぐった。
「あら、図星らしいですわね」
マイラに言われたバイロンは再び否定しようとしたが、その前にマイラが口を開いた。
「何はともあれ、レイドル侯爵とのパイプがなければ今回の事案は解決できなかったでしょう。場合によっては我々がエリーの立場になっていたかもしれません」
マイラが真顔でそう言うとリンジーもバイロンも黙った。事件がアナベルの思った通りに運んでいればとんでもない結末に至っていたはずである。もしそうであれば、第四宮の宮長、そして副宮長としてリンジーもバイロンもエリーの監督責任を問われていただろう。
「ギリギリのところでしたけど、今回もなんとかなりました。ふたりともこれからもしっかりね!」
マイラはそう言うと二人に背を向けた。
元気そうに歩く姿は実に快活である。
だが、その後ろ姿を見てリンジーがぽつりと漏らした。
「マイラさん、無理してるわね……」
言われたバイロンも頷いた、
「病み上がりなんだから、当然よ……」
二人はマイラの後ろ姿にどことなく不安を覚えた。
この章は競馬会が終わった直後からお話が始まります。




