第二十八話
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移動許可証、それは大金が海外に運ばれるときに必須とされる書類である。ダリスからトネリアへの送金、ないし逆でもしかりだ。一定以上の金額が運ばれるときには必ず許可証が必要となる。
その許可証は公的なお墨付きといわれ、具体的には大蔵省の大臣のサインが必要になるのだが、特別な事案は宮中の権力者である執事長がサインすることになっている……
特別な事案とは宮中で行われる競馬会のようなイベントのことである、すなわち裏金が創造される事態である。
そして競馬会の裏金の一部はトネリアに還元されるべく、最後のハードルである許可証の発行により成し遂げられようとしていた……
『やったわ、とうとう……』
そしてその許可証をアナベルは手に入れていた。マイラが倒れたために急きょ、リンジーがサイナーの代行を果たして署名した正式な書類である。
『エリーを使って毒をマイラに盛って昏倒させ、経験のないリンジーにサインさせる……思った通りの展開になった。』
アナベルはほくそ笑んだ、
『これで、すべて終わり。私の勝ち!!』
港に向かう馬車の後部座席にはトネリアに運び込むはずの金貨の入った皮袋が載せられている。トネリアの王室付のメイドとは異なる仕事を成し遂げたアナベルは興奮した面持ちを見せた、
『あのルビーと交換したこの金貨は……ウフフ……本物……』
アナベルは事がうまく運んだことにほくそ笑んだ。
だが、それとは対照的に事案に携わるまでのみじめな過去が浮かび上がってきた。軽い頭痛と吐き気が生じる……
『15の時に私は愛人として囲われた。衣食住と教育を与えられたけど……その実態は奴隷と同じだった。あの女のストレスのはけ口として……私は慰み者に…』
アナベルの中で不快な思い出が走馬灯のようにして駆け巡る。負の感情をぶつけられて精神的にいたぶられた日々が思い起こされた。
『優しくしたと思えば、突き離し、経済的にも肉体的にも虐待を繰り返した……そして自分の快楽のために薬物を用いることも厭わなかったあの女……』
不快な感覚が鋭敏になる、
『あの女は被差別階級の出身である私を助けることで他人からの尊敬を集めた。聖者のごとき精神性があることを周りに知らしめ、他の人間とは異なる徳の高さがあることを強調するために……トネリアの王族付のメイドとなれたのは用意周到なイメージ戦略があったから……だけどその実態は薬物を使って弱き者の支配者となっただけ……』
アナベルの頬を涙が伝った、過去のトラウマが彼女の精神を揺り動かす……
『それから8年……私に転機がやってきた……』
アナベルは自分を囲った人物が立身出世を遂げて大きな役目を任されたことを知る。そう、トネリアのメイドの最高峰である『王室付き』という肩書を手に入れたのだ。
『出世の喜びとその責任の重圧に常軌を逸したあの女はいつものように薬物を使って興奮状態になった。あまりに激しい夜伽に私は発狂しかけて…………そして気付くと私は逃げ出していた……』
アナベルは涙を拭いた
『……でも、あの時……私はあの方に出会った…………私のメシアに……』
アナベルは恍惚とした表情を見せた。
『私のメシアは言った。アナベルを観察して王室付のメイドとしての立ち居振る舞いを学べと……それが新たな自分を手に入れるための近道だと』
アナベルの眼に力が戻った、
『それから長い間、私はあの女の一挙手一動を観察した……立ち振る舞い、言葉遣い……あの女の思考もクセも。あの女が薬物でトリップしている時にあの女の日記を読み漁り、感情的な揺らぎも理解した。あの女が持ち帰った書類を目にすることで業務に関する知識も手に入れた』
アナベルが怪しく笑った、
『そして、あの女は私を奴隷にしながらも立身出世を成さしめた。そして、とうとう、ダリスの競馬会でトネリアの裏金を扱う管財人となった。』
アナベルは忍び笑いをこぼした、
『裏金作りの管財人となったあの女はその特殊な役柄ゆえに、人にその顔を知られるわけにはいかなかった……裏金を扱う人間が表舞台に出るわけにはいかないから……』
アナベルは両手で顔を覆った、その手の中では押し殺した笑いが響いている
『でも、その事態が今の私を創造した……すべては私のメシアの言った通り。』
アナベルは実に邪悪な笑みを見せた、
『そして、あの日がやってきた……あの女がダリスに向けて出港する前日……』
アナベルを異様な昂揚感が包んだ、
『荷造りをしていたあの女は緊張していた、失敗の許されぬミッションに……そして私はその緊張をほぐすために……あの女が好むお茶に……』
アナベルの手が下半身へと延びる、そこには興奮を抑えられなくなった様相がある。明らかに性的な動作が生じていた。
アナベルの脳裏にはもだえ苦しむ女の姿がよぎっていた。
『メシアが私に享受した薬……毒物……』
アナベルの手の動きが速まる、
『……翌日、あの女は冷たくなっていた……フフフ』
下半身をまさぐる手の動きがいっそう激しくなる……アナベルは御者が見ていることなど気にもならなかった……
『そう、あの日、あの女を殺した日から、私はアナベルになった。アナベル エッダになったのよ!』
アナベルはあの女の死相を思い起こした。口から泡をふき、毛細血管が破裂して血涙をながした眼が脳裏にフリックする。自分を奴隷にした女の死にざまは彼女の性的興奮をいっそうに高めた。
『……たまらない……』
絶頂を迎えたアナベルは大きく息を吐いた……その脳裏には鉄仮面をつけた人物が浮かんでいる。
『あの仮面の下にはいかなる表情が隠されているのだろう……私に新たな道を指示してくれたメシア……』
人畜にもとる道を選んだ新生アナベルは更なる悪行を重ねるべく馬車を鉄仮面の下に走らせていた。その表情にはすでに人としての倫理のかけらもない。
人はどこまで堕ちることができるのであろうか……暗渠の中を這いずり回っていた人物は、とうとう人を殺めるまでに成長してしまった……
だが、新しく生誕したアナベルのなかでは新たな思考がもたげはじめていた……その目にはメシアと呼んだ人物さえも映っていない……
アナベルが向かったのは港である、そこでは鉄仮面が待っているはずであった。
『この金貨をメシアにわたし新たな道を進む……私はアナベルの名を捨てて、新たな人生を作り上げる』
アナベルとなった女は鉄仮面とその一味と手を組んでパネリの鑑定書がついた宝石を用いたロンダリングを成功させていた。馬車の後部座席には山のように積まれた金貨袋が置かれている……
『死んだアナベルも私の肥やしになっただけ、これでいいのよ。』
新生アナベルは再び含み笑いを漏らした、
『私のメシア……あなたの導きを心の底から感謝します。ぼろきれのような私に知恵を授け生きる道を教えてくれた、このうえない感謝の念は一生わすれえぬものです。』
アナベルは信仰に熱い宗教者のごとき敬虔さを見せた。
『ですがこの金貨の入った袋はこれからの私の人生に不可欠であります。」
アナベルは涙を流した。
『メシアよ、鉄仮面のお方よ……旅立ちの時が来ました。新しく生まれ変わった私はこの金貨を糧に羽ばたきたいと思います』
アナベルはほくそ笑むと、かねてから考えていた自分の計画を貫徹するべく最後の選択を吟味した。
『もうすぐ分岐点……あの二股の道を右に向かえば鉄仮面の指定した港に着く……左に向かえば暖かい南方へと抜ける……』
アナベルは容赦なく判断した、
「御者の方、右ではなくて左に向かってください!」
御者は何も言わずに馬の方向を変えるべく鞭をうった、
「新しい人生を謳歌するわ、この金貨は有効活用させてもらう!!」
何とアナベルはメシアと呼んだ鉄仮面を裏切ったのである、
『とりあえず各地を旅して……見聞を広めて新たな一歩を踏み出す』
新生アナベルがそう思ったときである、港に向かう馬車の動きが変わり、明らかに軌道を外した。さらにはスピードが意味不明に上がる。
『………』
御者の体が傾いている……よく見ればその首に矢が刺さっているではないか、
『どうなってるの……これ……』
アナベルは焦ったが時すでに遅く、制御を失った馬車は馬の動きに翻弄されて林道の大樹にむかっていた。
アナベルの過去や、その本性が明らかになりました。そして鉄仮面を裏切りましたね……ですがアナベルの乗った馬車は……
さて、この後どうなるのでしょうか、物語は終わりへと向かっていきます。




