第二十六話
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さて、マイラが倒れている頃……
女は競馬会が終わると同時に休暇を取っていた。大きな行事を終えたことで徒労もあるため誰もそれを不審におもわなかった。
『私の仕事はこれで終わり……今頃、マイラは……』
女は荷造りをほとんど終えていた、牛皮の旅行鞄には必要なものがすべて入っていた。
『……こことも永遠にお別れ……』
第四宮で長きに仕えて、帝位につく妃にさえ一目置かれたメイド、そのメイドは新たな出発を決心していた。
『私は愛に生きる、アナベルとともに!』
アナベルに与えられた快楽は超然としたものであった、あの味はこの世のものとは思えなかった。宝石や金など眼中から消えるほどの興奮をもたらしていた。
『これでいいの、そう、これでいい!』
女は薄暗い第四宮の歩道を足早に歩むと下界へと通じるゲートに向かった。門の前で敬礼する衛兵たちに最後の挨拶を交わすと女はゲートを抜けた。
すべてから解放されて自由になった瞬間が訪れる。
『私は幸せになるの!』
女の脳裏に薬物を投入した時のことがありありと蘇る、マイラがバイロンとリンジーともに徹夜で作業しているときに女はこっそりとマイラのお茶の中にしのばせていた。
『マイラは間違いなくしびれ薬の入ったハーブティーを飲んだ。ククク……今頃は……』
女がゲートから出るとその正面にはあらかじめ待機させていた馬車が止まっていた。
『すべては計画通り!』
そう思った女はそそくさと乗り込むと御者に対して目的地を遂げた。
「港まで」
御者はそれに応えずに馬を走らせた、返事さえせずに……
しばし馬車は走る、女は車窓を眺めると御者に声を掛けた。
明らかに声を認識しているにもかかわらず御者は反応を見せない。
無礼に思った女は声を荒げた、
「第四宮のメイドに向かって挨拶もできないのですか……それでは心づけはありませんよ!」
女が厭味ったらしくいうと突然に馬車が止まった。
そして直ぐさま、薄暗い路地から顔を覆った二人の者が音をたてずに現れると馬車のドアを開けて乗り込んできた。
両脇を固められた女は逃げられなくなった……
『どうなってるの……これ』
思わぬ事態に女が括目すると御者が振り返った。
「エリー アルマンドさんですね?」
御者は続けた、
「残念ながら、港には行けません。もちろんアナベル エッダとも会うことはできません。」
帽子を取った御者は実に丁寧な口調で続ける、
「エリーさん、あなたとアナベルのことをお聞きしたい、事細かにね」
エリーは憮然として言い返した、
「何者なの! 第四宮の誉れあるメイドに対して失礼よ!!」
激高するエリーに対して御者は丁寧な口調で名乗った。
「申し遅れまして、私はレイドル侯爵の筆頭執事、マーベリックと申します。」
アナベルはレイドル侯爵という単語を聞くや否や震え上がった。
「……ダリスの銀狼……」
エリーは思わずそう漏らしたが、その後すぐに生唾を飲み込んだ。急激な緊張感により生体反応に異常が生じる。
「アナベルの過去を追い、彼女のやり方を分析しました……その結果、第四宮の誰かが籠絡されていると我々は想像しましてね」
マーベリックはアナベル本人を直接攻める策を鮮やかに捨て去ると、その回りから攻める手法をとっていた、すなわち第四宮のメイドにターゲットを移していたのである。
「もう、逃げられませんよ、エリーさん」
言われたエリーは呆然とした、その脳裏では描いていた未来が音を立てて崩れおちていた。
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広域捜査官に情報を与えたマーベリックは、ただ待つだけでなく競馬会の真相にかかわる重要な証拠をもたらす人物に当たりをつけていた。
ゴンザレスからもたらされた情報を精査した結果である……
そして、マーベリックはその人物、すなわち第四宮のエリーとアナベルの関係を看破すると間髪入れずに行動に出たのである。
すなわちエリーが逃亡を図るとふんだマーベリックはその行動を逆手に取って御者としてエリーのことを待ち構えていたのである。闇に生きる執事にとってエリーの行動は想定内であった。
『なるほど、媚薬を用いて籠絡する……エリーの性癖を見抜いたうえでの行動か』
エリーの事情聴取をあらかた終えたマーベリックは計画のあらましを理解したが、それ以上に大きな収穫があった。
それはエリーがアナベルにより与えられた煌めく石であった。
『……これが奴らの金のなる木か……』
マーベリックはバイロンの発言を思い起こした
『確かトネリアの出走料の決済は宝石といっていたな……メイドたちにも配っている……』
マーベリックは再び煌めく石に眼をはせた。
『……美しいな……』
陽光を受けてきらめく石は女性であれば誰もが垂涎となるであろう……
『だが……気になる……』
マーベリックの勘が訴える……闇に潜む影となった男の直感がほとばしった。
『紙幣での決済をせずにルビーという宝石で代替する……キックバックするだけであれば金や銀でもかまわないはずだ……なぜ故ジュエルを用いるのか……』
マーベリックの表情が曇った、
『もしや……そうであるならば……』
事情聴取を終えたマーベリックはゴンザレスにエリーを拘束させると単身、馬上の人となった。
『……私の考えが正しければ……』
そう思ったマーベリックは馬鞭を振り上げて上りゆく日に向けて走り出した。
『バイロン、うまく立ち回れよ!!』
闇の中に生きる男の勘は緊急事態を告げていた。
だが、その一方、マーベリックの脳裏では事態を打開するべき術も浮かんでいた。
『彼らに動いてもらう、宮中ではその方が都合がいい』
マーベリックは瞬時に判断すると厳しい表情を崩さずに次の一手に着手した。
ゴンザレスの情報から第四宮のメイドであるエリーがアナベルの協力者だと突き止めたマーベリックは即座に動きました。そしてその結果、ルビーというきらめくジュエルに違和感を感じます。
さて、この後どうなるでしょうか?




