第二十四話
リンジーが便秘になったと書きましたが……作者も便秘になりました……
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競馬会の当日――宮の中に併設された遊技場では多くの貴族が観覧するためにいたが、その関心はレースではなく、その後に分配される裏金だけであった。
『今年はうまく裏金として処理することができた』
『帳簿のほうも問題ない』
『損金として大目に計上してある……』
貴族たちは合法的脱税という目的を貫徹するためだけにこの場にいるといって過言でない。名のある大貴族も、男爵レベルの下級貴族も、その眼は金にしかない。騎手や馬がゲートに入ってもぱらぱらと拍手するだけで心は籠っていなかった。
『あとは金を受け取るだけだ』
『受け取った後はプロジェクトに投入……公共事業を円滑に進められる。』
『これでしばらくは安泰だ』
貴族連中は自由になるフリーハンドの金をこの競馬会で創造する者も少なくない……彼らにとって競馬会は資本形成をする上で誠に重要なイベントなのである。
『役人たちは裏金の一部を噛ませておけばいい。小銭を使って許認可の書類を作らせれば談合も簡単だ』
『脱税した金で事業を円滑に進める……これが賢い貴族の在り方だ』
貴族の中には治めるべき税金を事業に使う裏金として使う者も珍しくない。競馬会のアガリは代々がそのように使われてきている……
『貧しいものにフィランソロピーとして施すことで、こちらの名を上げることもできる。』
『貴族の威信を保ち、平民からの不満をそらす』
『イメージ戦略としてこの裏金を投入する』
ノブレスオブリ―ジュとして貧民に施す行為にも裏金を用いることが当たり前である、日頃、貴族の横暴を快く思わない平民たちに対するアピールにさえなる……
競馬会の脱税資金はこのようにして社会の津々浦々に拡がっている……いわば『仕組み』とも『システム』ともとれるのだ。
貴族達は目の前で行われるレースには目もくれずただ時間が過ぎるのを待つばかりであった。
*
そしてレースは無事に終わった……すべて仕組まれたとおりに事が運んだのである……
貴族は表向きレースに負けたことを悔しがる様子を見せたが、その眼はそうでない。どことなく落ち着きはないものの獲物を回収するジャッカルのごとき鋭さがある。
『そろそろ時間だ……』
そう思った貴族たちは馬車の機首を第四宮の裏口へと向かわせていた。舗装された石畳を車輪が巡る様子は心を弾ませて踊るがごとき様相があった。
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一方、バイロンとリンジー、そしてマイラは昨晩から徹夜で金貨を割り振っていた。そして午後になってレースが終わるとすぐさまそのアガリを貴族たちに還元するべく袋に詰めなおしていた。
半端でない金貨の量をさばかなければならず、その徒労は甚だしいものであった。
「……肌が荒れる……」
実際に3人の婦女子の顔はこの世のものは思えぬほどに疲労感がにじみ出ていた。
「睡眠不足で……たおれそう」
バイロンがそう漏らすとマイラがそれに応えた。
「歴代の執事長と宮長たちは、皆この苦行を経験しているのです。」
マイラは初老の老婆にも劣らぬほうれい線を刻みながら答えた。
「この世界ではこの苦行を『悦楽の舞』と呼んでいます」
バイロンとリンジーはその意味がわからずに怪訝な表情を浮かべた、彼女たちの眼の下のクマも甚だしいものがある……
それに対してマイラがフフッと笑った、
「貫徹してしばらくすると妙な感覚に襲われるのよ。その時の高揚感が普通じゃないの」
徹夜明けというのは自律神経に異常が生じている……そのために妙に元気溌剌になるのだ。俗にいうスーパーハインテンションである。だがマイラはそのことを『悦楽の舞』という言葉で表した……諧謔ではあるが雅な表現である。
「そろそろ、時間よ」
マイラはそう言うと最初の馬車が到着する合図をリンジーとバイロンに出した。
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さて、同じ頃……
広域捜査官であるスターリングとカルロスはマーベリックの朋輩であるレイからもたらされた情報の裏を取るべく各地に早馬を走らせていた。
ダリス国内だけでなくトネリアにもである……
そして……結論ともいうべき内容を伝書鳩を通じた通信で手に入れていた。
「まさか……」
カルロスが煌々とした額をさらに輝かすとスターリングが渋い表情をみせた。
「思わぬ展開ね……」
真実の一端を知るに至ったスターリングはそう言ったがその表情は広域捜査官らしきものである。
「でも、これが真実であれば、不逮捕特権の行使はできない。我々が縄をうつことができる……」
スターリングが確信するとカルロスもうなずいた。
「いけますね、これ!」
カルロスがそう言うとスターリングが吠えた。
「副隊長に逮捕状の請求をお願いしましょう」
言われたカルロスはスターリングに敬礼するとすぐさま馬に飛び乗った。
「間に合いますかね……」
カルロスが不安にいうとスターリングがそれに応えた、
「間に合わせるのよ!」
美しき亜人の血を引く広域捜査官はカルロスを捨て置き、実に巧みな手綱さばきを見せて疾走した。
『アナベル、とんだ女ね!!!』
マーベリックからもたらされた情報の裏を取ったスターリングとカルロスはアナベル逮捕に向けて大きな一歩を踏み出していた。
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だが、逮捕状の請求は思いのほかに厳しかった。スターリングとカルロスが彼らの上司であるジェンキンスに直談判しても彼は首を縦に振らなかったのである。
「第四宮にいるトネリアのメイドは普通ではありません。アナベルというあの人物には裏があります!」
スターリングが息巻くとジェンキンスは苦虫をつぶしたような表情を見せた。
「トネリアの王室付のメイドに手は出せん、外交問題になる。まして競馬会の裏金を扱っている人物に対してダリスの治安維持法を適用するのは困難だ」
ジェンキンスは冷静沈着な物言いを見せた。
「お前たちの捜査を疑っているわけではないが、相手が相手だ。平民相手の捕り物というわけにはいかんのだよ」
ジェンキンスがそう言うとカルロスが食い下がった、
「ですから、アナベルは普通じゃないんです……あのアナベルは王室付のアナベルじゃなくて……」
カルロスが真実を続けようとするとジェンキンスが不快な表情を浮かべた
「お前たちが手に入れた情報はマーベリックというレイドルの犬から仕入れたものであろう、自分たちで汗をかいて手にした証拠とは違う。外交問題にもなりかねん事態を引き起こすリスクがあるんだぞ!」
ジェンキンスは小役人のような物言いを見せた。しくじった時の責任を負わされることを恐れていることがありありと窺える……中間管理職のサガともいえる姿勢である、
「たとえお前たちの話が本当であろうとも、公的に信頼のできる文章が届かない限り、我々は動けん。トネリアからの正式な捜査要請でもない限りはな」
それに対してスターリングが吠えた、
「ですからこうして我々は、副隊長の『顔』で何としてほしいとお願いしているのです。お身内の方に外交官の方がおられるでしょう」
スターリングがそう言うとジェンキンスが歯がゆそうに述べた。
「確かに私の兄は外交官だ。だが所詮は平民だ。貴族の世界には手が出んよ」
ジェンキンスはそう言うと二人に出ていくように言った。
「考慮はするが、この先の見通しは甘くない、以上だ!」
二人は食い下がろうとしたがジェンキンスににらみを利かされると不快な表情を隠さずに退散した。
*
スターリングとカルロスが唖然として出ていくとジェンキンスは熱い息を吐いた。
『まさか、あの二人がここまで嗅ぎ付けてくるとわな……』
ジェンキンスはその眼を細めた、
『あのハゲ、ポルカの無能な治安維持官と思っていたが………』
ジェンキンスは立ち上がると伝書鳩の足に緊急用の連絡文書を取り付けた。
『なかなかどうして、見込みがあるではないか』
ジェンキンスはほくそ笑んでそう言うと伝書鳩を何食わぬ顔で飛ばした。
バイロン達は金貨を振り分けて貴族にキックバックする準備を終えました。
一方、スターリングとカルロスはトネリアの管財人であるアナベルの秘密を知ったようです。ですが彼らの上司であるジェンキンスは首を縦に振りません……
さて、このあとどうなるのでしょうか?




