第十七話
今年の夏は暑いそうです……(三ヶ月予報)
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バイロンはアナベルと二ノ妃の行事予定を確認すると、二人が市中に出掛けるイベントにターゲットを定めた。
『宮中での盗聴はなかなか厄介だけど……外に出てしまえば向こうも気付いていないはず……』
宮中でメイドが『妃』の会話を盗聴する行為はもちろん許されていない。近衛兵の警備も厳しく行為自体が不可能である……
だが宮の外から一歩出れば別である……盗聴のチャンスは十分にある。
『週末の芸術展ならチャンスがあるはずよ』
そう判断したバイロンはリンジーに断って有給休暇を使って二ノ妃とアナベルの会話を盗聴しようという考えに至っていた。
*
アナベルと二ノ妃が向かったのは最近催された芸術展である。会場は富裕な商人の別宅を改築したもので、外観もそれらしく演出されている。
その中では新進気鋭のアーティストの創作した様々なアートが展示されていた。特にモダーンアートと呼ばれる流行を取りいれたものが展示物の中心を占めている。
アナベルと二ノ妃が警備の近衛兵を外で待たせて会場へと足を進めると、バイロンもその後を追った。
*
『なんか、よくわからん……』
モダーンアートは変装したバイロンの理解を超えるもので、その創作物は抽象的であり作者の意図は計り知れなかった。だが客として招かれた面々は創作物を眺めるとしたり顔で作品を論評していた。
『ほんとにわかってんのかしら……』
バイロンは評論する人々の会話を盗み聞きしていたが、その議論が抽象的で何か誤魔化しているような印象を受けた。
『教養があるように振る舞ってんのか……それとも知ったかぶりなのか……』
バイロンは客の動向をそれとなく感知してみたが、彼らの反応も今ひとつである
『とにかく、情報を集めなきゃ……』
気を取り直したバイロンは創作物を見るふりをしてあたりを確認した。
『いた、いた、あの二人』
バイロンは展示物を眺める二ノ妃とアナベル、そして展示会の主催者が2階のラウンジに向かうのを見逃さなかった。
『お茶でも飲むのかしら……』
ラウンジとなっている二階に二人は上がってゆく。そして男の案内の下、VIPルームへとその姿を消した。
『……確認しなきゃ……』
そう思ったバイロンは建造物の構造とVIPルームの位置関係を確認すると二ノ妃とアナベルの向かった二階に向けて足を進めた。
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「いかがですかな、二ノ妃様?」
そう言ったのはこの展示会の主催者の男である。富裕な商人と思しき様相だが、どことなく商人らしからぬ雰囲気がある。
「まあまあといったところだ……トネリアのアートと比べれば一段は落ちる。」
二ノ妃がどうでもよさそうに答えると主催者の男はかしこまった。
「ええ、そうでしょう……ダリスごときではこの程度のモノしか生まれません。」
主催者がそう言うとアナベルが男を見た。そこには無駄な会話を省けと言わんばかりの様相がある。男は咳払いすると話題を変えた。
「では、二ノ妃様、こちらへ、本日は絢爛豪華なランチを用意しております。」
主催者の男はそう言うと、VIPルームに隣接した隣の部屋へと二ノ妃をいざなった。扉を開けた小部屋からは淫靡な香りが漂っている……香をたいているのであろうか……
二ノ妃は怪しげに笑うと、その空間に飛び込むようにして入っていった。
*
男が戻ってくるとアナベルが矢継ぎ早に質問した。
「計画は?」
尋ねられた男は小さくうなずいた。
「抜かりはない」
男はそう言うとアナベルの隣にすわった。
「お頭の計画は完ぺきだ……宝石もそうだが、競馬会における金の流れも完璧にコントロールしている。トネリアからの状況確認に関する文書もぬかりはない」
男は続けた、
「驚くべき計画だよ……お頭はそれを本当になさしめた。」
男はそう言うとアナベルの顔をまじまじと見た。その表情はアナベルを値踏みするだけでなく好色ないやらしさがある。だがアナベルはその視線に対して何の反応もしめさなかった。
「王室付のメイドか……お前がな……」
ギャラリーの主催者が揶揄するように言うと隣の部屋から二ノ妃と思える喘ぎ声が聞こえてきた。声色をはばからぬ様子に人としての矜持はない……時折、甲高く、そして小刻みに震えている……
「二ノ妃はお盛んなことだ」
ビッチをなじるような物言いで男が言うとアナベルが答えた。
「あの人はもう、廃人とおなじ……男も女も関係ない」
アナベルは何の感慨もなく言った。
それに対して男が言い放った
「お前がはめたんだろ?」
アナベルはそれに応えず、冷徹な視線を男に浴びせた。妙に寒々としたその表情には人間味のかけらもない……
「それよりも、来週は競馬会の本番よ。その手筈を」
アナベルは淡々と話を切り替えると主催者である男が意味深な笑みを浮かべた。
「……まさか、お前、裏切るなんてことはないだろうな……」
男が疑心をもってそう言うとアナベルが妖艶に笑った、
「お頭は裏切れないわ……あの人だけは……」
アナベルは自分の過去を振り返ると、鉄仮面という存在が現在の自分を構築したことに思いを寄せた。
「あの人は別……特別よ」
そう言った刹那であった、アナベルは立ち上がると誰もいない天上に向かって声を張り上げた。
「誰、そこにいるのは!」
*
その、声を聴いたのはバイロンである、
『……嘘、マジ……ばれたの……』
建物の構造とVIPルームの位置関係を把握したバイロンはアナベルの会話を盗み聞きできるポジションを探り当てていたが……まさかばれるとは想定外であった。
『こりゃ、逃げるしかないわね……』
変装していたバイロンはそう判断するとアナベルのいたVIPルームの上部の空間から飛び出て窓のほうに走った。
『よいしょ!!』
バイロンは窓を開けると外に出て、外壁の足場になるでっぱりに足をかけた。器用にバランスとると背中を壁に沿わせながらゆっくりと進む……
『……あれにつかまれば……』
バイロンの眼には3mほど先にある配管が映っていた。排泄物を流すために造られた下水管である――それをつたって地上に降りようと考えた……
だが、しかしである、見下ろした裏口からはアナベルが意気揚々と出てきた。バイロンにはまだ気づいていないが、物音を立てれば一瞬で見つかるであろう……
『あちゃ、マズイ……』
そう思った、バイロンであったが……さらなる問題が生じた。後ろから主催者と思しき男が壁をつたって追ってきたのである。
『やばいジャン……』
そう思ったバイロンであるが、その耳にギャラリーの主催者である男の声が飛んだ。
「おまえが、その角にいるのはわかってるぞ!!」
富裕な商人とは思えぬドスの利いた声が耳に入る……
『うわ~、声が堅気じゃないじゃん……』
バイロンは内心そう思ったが、そんなことを思ったところで現状が打破できるわけではない。
『……どうしよう……』
追い詰められたバイロンに主催者の男が近づいてくる、その足音が大きくなった、
『……飛び降りたらアナベルに見つかるし……万事休すだわ……』
バイロンがそう思ったときである、何と目の前に輪のついた縄が頭上から下りてきた。バイロンが怪訝に思って見上げると、屋上には見知った顔があった。
『あっ……ゴンザレスさん……』
そう思ったバイロンは縄をつかむと、その輪になった部分に足をかけた。
マイラの指示に従ってアナベルと二ノ妃を調べていたバイロンですが、なんと盗聴しているのがばれてしまいます。
ですが、ピンチになったバイロンの前にゴンザレスという助っ人が参上します。さて、次回はどうなるのでしょう?




