第十一話
熱中症にご注意!(水分補給は大事!!)
18
バイロンは第四宮に戻るとすぐさま副宮長としての業務にいそしんだ。メイドたちの動きを目で追いながら気になる業務は自ら率先して行った。もちろんアナベルの動きもそれとなく追っている……
『観察しろか……何もしないで』
マーベリックのアドバイスは頭突き女子としては物足りないものであったが、アナベルの出方を見極めるには観察に徹するのも一つの選択肢であるとバイロンは思いなおした。
『とりあえず、何もせずに……様子見と行くか。下手に嗅ぎまわっても悟られるかもしれないし……相手も百戦錬磨のつわものだろうし……』
一般的に不審な人物がいた場合、その素行調査や動向注視といったことは重要なおこないとなる。第四宮に仕えるメイドを束ねるバイロンはマールを使ってアナベルを監視することも可能であった。
だが、アナベルの能力の高さを考慮すれば反対にこちらの意図が悟られる可能性もある。
『今は我慢ね……』
バイロンがそんな結論に至ったときである、顔色を青くしたリンジーがフラフラとした足取りでバイロンの下にやってきた。
「ベテランの風当たりがきつい……」
リンジーは泣きそうな顔でそう漏らした。
「エリーさんとアナベルさんとがぶつかってから……こっちに対する姿勢が険しい」
リンジーがそう言うとバイロンは苦しい表情を見せた。
『なるほど、アナベルに対する処遇が軽いために、他のベテランが不快になってるのね』
ベテランメイドたちは新参であるアナベルが罰せられずに意気揚々としていることよりも、アナベルを罰しなかったリンジーのほうに厳しい目を向けていたのである。若輩の身で宮長になったリンジーに対してベテランたちが牙を見せたのだ。
「競馬会の経験のあるベテランがまとまらないと、こっちが困るわ……」
リンジーはそう言ったが、その表情はさらに険しくなった。
バイロンはその表情を見るとリンジーが別の問題を抱えていることにすぐさま気づいた。
悟られたと思ったリンジーはため息をついた。
「じつはね……バイロン」
リンジーは青白い顔でそう言うとバイロンを宮長室へと連れ込んだ。
*
「これ見て……」
宮長室には山のようになった箱が積まれていた。皆きれいに包装されていて、その包み紙も安っぽいものではない。贈答品として明らかに高級な品々だ。
バイロンは一瞬で看破した、
「……付け届け……それもこんなに……」
バイロンは手近にあった10cm四方の小さな包みを見るとそこには高級ブランドの刻印がスタンプされていた。
『これ、めっちゃ高いやつジャン……』
バイロンの眼に入ったのは彼女たちの給料では買えないようなブランドものである。超富裕層しか買えないといって過言でない代物だ……
「すごい……超一流のやつばっかり……」
バイロンは職業柄、様々な貴族と応対するためこうした品々を常にその目にしていたが自分たち平民の世界では場違いも甚だしく手にすることはないと考えていた。
「マジ、ぱねぇ……」
バイロンはあたりを見回したが小物であれ、贈答用の焼き菓子であれ、超がつくほどの品々が複数置かれているではないか……どうやらリンジーの知らぬ間に宮長室に運び込まれたようである。
「これって……みんな競馬会のための……」
バイロンがそう言うとリンジーが頷いた。
「出走するレースで便宜を図ってほしいとか、コースの特徴を教えてほしいとか……ほかにどんな馬がレースに出るのかとか……貴族連中が情報を集めるために送ってきてるみたい。私のところに財務大臣の筆頭秘書が来たんだから」
言われたバイロンは困った表情をみせた。
「あからさまね……それも想像以上…」
バイロンは続けた、
「どうするの、これ……リンジー?」
バイロンが尋ねるとリンジーがマイラの見解を伝えた。
「マイラさんに相談したんだけど……『よしなに』だって……」
バイロンは『よしなに』という単語を耳にすると思わず鼻汁が垂れた。
「それ、管理しろってこと……それとも返せってこと……」
マイラの言動はどちらにもとれるニュアンスがある……管理するとすれば第四宮の予算に組み込めということになるであろうし……送り主に戻すとなれば返送の手続きをとれという意味になる……
「……どないせぇっちゅうねん……」
バイロンがそう漏らすとリンジーが唖然とした表情のままに口を開いた。
「マイラさんは私たちの対応をためしているのよ……きっと……」
リンジーは執事長になったマイラがバイロンとリンジーの度量を試しているのだと判断していた。付け届けを懐に入れて競馬界における貴族連中の調整役として立ち回るのか……それとも精錬潔白に付け届けを突き返すのか――それを判断しろということなのだろう……
「どうする、バイロン?」
尋ねられたバイロンは垂れた鼻水もすすらずに沈思した。
「これをうまく活用してうちのメイドたちに配れば、彼女たちの気持ちをつかむことはできるわ……現状を好転させることも可能かも。アナベルとエリーのトラブルを考えれば何らかのインパクトがなければベテラン勢の統率がとれにくくなる。」
バイロンはベテランたちとの距離を補うためには付け届けを用いる行為は実にいい餌になると踏んだ……
「だけどこれを配れば貴族たちにつけいれられる……そうしたらズブズブの関係になるわ……向こうの操り人形みたいになるかも……」
バイロンは付け届けを用いて第四宮のメイドの求心力を高めれば、それにより貴族との関係が悪い意味で強くなると想起した。
『難しい判断だわ』
だが、そう思う一方で送られた品々を見ると涎が出そうになった。
「返すのは簡単だけど……もったいない……」
バイロンはさらに思考を深めた。
「かといって、うちのメイドたちに付け届けを配ったのが露見すれば後々トラブルになるのは目に見えてるわ……物品として処理するのも無理がある……」
バイロンが勘を利かせてそう漏らすとリンジーがその表情をしかめた。その視線には≪バルビン≫と書かれた有名焼き菓子の店を記した紙箱が映っている
『バルビンのマードレーヌ……超おいしいんだよね……』
バルビンとは高級貴族ご用達の店で平民では口にすることのできない焼き菓子を製造している老舗である。リンジーは宮長の会合の途中にはさまれた休憩時間に出されたバルビンの焼き菓子を口にしていたのだが……その味は二度と忘れえぬほどの美味であった……
「バルビンのマドレーヌ……中にジャムが入ってるんだよね……」
リンジーがそう言うとバイロンも鼻息を荒くした。
「焼き菓子は生菓子じゃないから……賞味期限は多少ある……」
バイロンはそう漏らすとカレンダーを見た。
「競馬会……終わったあとでもおいしく食べられるわね……」
バイロンがそう言うとリンジーが実にいやらしい視線をバイロンに浴びせた。そこには明らかに何かを思いついたようなフシがある。
「……いけるかもしれない……」
リンジーはどうやら『裏ワザ』を脳裏に浮かべたようで血走った眼でバイロンを見た。
「『一時預かり』があるわ」
リンジーはそう述べるとさらに続けた、
「一時預かりっていうのは、私たちのモノになったというわけではなくて、あくまで預かっているというだけのことなの……つまり、このままの状態を維持するということになる。」
バイロンはリンジーの発言にたいして知恵をまわした。
「つまり現状は付け届けを受け入れるが、中を開封して配ることはしない……」
リンジーは朗らかな反応をみせた、
「そう、つまり、トラブルになりそうなら送り主に帰してしまえばいいのよ。今はただ預かるだけ」
リンジーはそう言うといやらしい目をみせた、まるで談合にいそしむ政治家のような目である。
「この物品は一時預かりにして我々で管理しましょう……そして競馬会が滞りなく行われた後に……みんなで……」
リンジーが『一時預かり』というウルトラCを発言するとバイロンは鼻の穴を大きく広げた。そして小さな包みのほうに目をやった。その包み紙には手作りブローチの老舗として名高い高級店の刻印がおされている、バイロンは獲物を狙う獣のごとき目を見せた。
そして、
「素晴らしいお考えだと思います、宮長!」
バイロンが同意するとリンジーもまんざらではない表情を浮かべた。
うら若き二人の乙女は『付け届け、一時預かり大作戦!!!』を遂行するべく互いに真剣なまなざしをみせた。
付け届けがたくさん送られてきたバイロン達は、それをいかに処理するかで難儀しますが……
リンジーは一時預かりという秘策を用いて対応するようです。
さて、彼女たちはうまく第四宮をコントロールできるのでしょうか……それとも……




