第九話
5月なのに梅雨って……どうなってんですかね……
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マーベリックが三ノ妃に関する拉致事案をレイドル侯爵に報告してから既に一週間が過ぎていた。隠れ家である骨董屋の二階で事態を分析していたマーベリックはいまだに事態の全貌がはっきりしないことに不快感を抱いていた。
『……身代金目的の営利誘拐ではないのか……』
マーベリックは三ノ妃を拉致した賊が何らかの形で接触してくると考えていたが、まったくもってそのようなことはなかった。
『奴らは何を考えている……』
幽閉した三ノ妃の身柄をおさえた敵が何を考えているのか、この点に関する情報がなければ次の一手は打てない。
『金を欲しがらない賊など存在しないはずだ……』
マーベリックは渋い表情を見せた。
『そもそも、奴らはいったい何者なのだ……』
素朴な疑問が沸き起こったがその脳裏に浮かんだのは窮地を救ったレイの見解である、
『白金の行方を追っていたレイはトネリアに運ばれた白金が紙幣に変換されたといっていた……トネリアでは金貨や銀貨の代わりに紙の金、つまり紙幣が商業者間の取引では一般的になっていると聞く……つまりその紙幣も決済手段としてすでにダリス国内に持ち込まれているのでは……』
マーベリックがそんな疑問を持ったときである、部屋の戸がノックされた。ノックの仕方からすぐに手下とわかったマーベリックは『入れ』と低い声で言った。
*
入ってきたのはゴンザレスであった、その表情はあまり明るくない。
「収穫がなかったようだな?」
マーベリックがそう言うとゴンザレスはごま塩頭を掻いた。
「すいやせん、いろいろ回ってみたんですが……旦那のいう鉄仮面につながるものは何もありやせん。富裕な商人に関しても……」
マーベリックはミル工場で見た鉄仮面とその配下である富裕な商人に関してゴンザレスに調べさせていたが、その結果は芳しくない。闇に潜る配下でさえも手掛かりがつかめずにいた……
「我々の情報網にかからぬものはない……ありえぬ話だ」
マーベリックがそう言うとゴンザレスが沈黙した、
「ミル工場の関係者に当たって見たんですが……あそこの経営者の一家は行方不明だそうです……」
マーベリックは『さもありなん』という表情を見せた。
「相手は普通の賊ではない……プロの仕事をするさ……」
マーベリックがそう言うと困り果てたゴンザレスが一つの提案をした。
「旦那、今回の事案はゴルダの白金強奪に端を走っているんですよね……それならあっしにも考えが……あるんです」
ゴンザレスが自分の考えを述べるとマーベリックは唸った。
「我々の天敵と組むというのか?」
マーベリックがそう言うとゴンザレスがうなずいた。
「向こうの持っている情報とこっちの情報を合わせれば表と裏が合わさります。向こうも鉄仮面を追っているはずですから、多少は……」
ゴンザレスがそう言うとマーベリックがため息をついた。
「考えておく」
マーベリックが会話を打ち切るようにぴしゃりとそう言った時である、ノックと同時に部屋のドアがバタンと開いた。
*
入ってきたのは定期報告を行うべくやってきたバイロンであった。
「お邪魔かしら?」
バイロンがそう言うと気を利かせたゴンザレスが部屋から出て行こうとした。
「じゃあ、あっしはこれで」
去り際にゴンザレスはそう言うと、バイロンに対して妙なジェスチャーを見せた。自分の右の二の腕あたりを左手の人差し指でトントンとたたいたのだ、そして意味深にマーベリックのほうを見てから階段を駆け下りて行った。
その様子からバイロンはマーベリックに何かあったことをすぐに悟った。
*
バイロンは第四宮のメイドとして応急処置に関する研修を受けていた。傷口の消毒、包帯のまき方、骨折した時の添え木の使い方など……簡易的な処置に関してはある程度の知識がある。
第四宮の誉れあるメイドはこうしたことにも対応することが求められているのだ。
ゴンザレスの示唆によりマーベリックの怪我に気付いたバイロンはマーベリックに傷口を見せるように言った。
「大した傷ではない……すでに処置は済ませた。」
マーベリックはぶっきらぼうにそう言ったが右手をかばう様子を見せると、バイロンはシャツを脱ぐように言った。
「何恥ずかしがってんの、さっさと見せなさい。応急処置くらいは研修を受けてるから平気よ」
さばさばとした口調でそう言うと、バイロンはマーベリックに近づいた。
「いや、大丈夫だ……」
マーベリックはそう言ってバイロンを避けようとしたが……腕を気にして注意力が散漫になったために椅子のあしに自分の足をとられた。
そして体勢を崩して転倒しそうになる……
すると、バイロンがスッと動いてマーベリックを支えた、勘の良い動作といっていい。
「……すまんな……」
バツの悪い表情を見せたマーベリックであったが、バイロンはマーベリックを椅子に座らせるとシャツを脱がせて腕の傷を見た。
「きちんと縫えてるわ……でも包帯は衛生的とは言えないわね」
バイロンはそう言うと目に留まった棚にある包帯と化のう止めの軟膏を取った。そしててきぱきとした動作で処置を施した。誉れあるメイドとして怪我の手当にかんする講習を受けた経験が発揮されている……
マーベリックはその所作を観察していたが、物怖じしないバイロンの行動には舌を巻いた。
『なかなか、やるじゃやないか……』
軟膏を塗りつけたバイロンがマーベリックを見た。
「この傷かなり深い切創だけど……神経とか筋の損傷は?」
尋ねられたマーベリックはコホンと咳払いするとそれに応えた。
「それはない……一応これでも鍛えてある。」
マーベリックの腕は意外にもしっかりとした筋肉がついている。見た目は痩身なのだがただ細いだけではないようだ。二の腕はワイヤーがよじれるがごとき形状であり、前腕部も鍛えた形跡がしっかりとある。
『……ひょっとして、着やせするタイプ……』
バイロンははだけたシャツの合間から腹部をチラリとみやったが、そこには盛り上がった腹筋があった。
『……われてんじゃん……』
バイロンは腹筋に気を取られたが、それを悟られぬようにするために視線を移した、だが、不思議なことにマーベリックと目が合ってしまった……
何とも言えない雰囲気が二人の間に訪れる……
バイロンはその動揺を隠すために口を開いた。
「あ、あ、あの……これ誰がやったの?」
バイロンが傷を負わせた相手のことを尋ねるとマーベリックは渋い表情を見せた。そこには内容を話すかどうか逡巡する様子がある。余計なことを吹聴されては困るという思いがある。
だが傷を治療してもらったことと、近衛隊の被害がいずれ露見することを鑑みると鉄仮面とその一味に関して正直に話すことにした。膠着状態である現状を切り開くヒントをバイロンが示してくれると考えたためである。
マーベリックは鉄仮面の情報が入らないことにいらだちますが、そんなマーベリックに対してゴンザレスは一つの提案をしました。はたしてどんな内容でしょうか?
一方、バイロンに怪我の手当をしてもらったマーベリックは三ノ妃が行方不明であることを打ち明けます。
さて、物語はこの後いかに?




