第八話
皆様、健康にはお気を付けください。
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リンジーとバイロンは最初にエリーを宮長室に呼んだ。エリーが執務机の前に置かれた背もたれのない丸椅子に腰を下ろすとリンジーが質問を始めた。
「二ノ妃様が馬車にお乗りになった後、必要な荷物を運び込むために両手で化粧箱をもったところ、突然の事態が生じて化粧箱を落とした……そうですか?」
リンジーがエリーに対して確認するとエリーがそれに応えた。
「そうです。その点は相違ありません。」
エリーは事故を起こした当事者ではあるが比較的落ち着いた様子を見せた。
「ですが、私が手荷物を馬車に載せようとしたとき、アナベルさんが突然に持ち場を離れたのです。その結果、近くにいたハトが一斉に飛び立ち……馬車の後ろのドアをあけたようと片手になった私は……それに気を取られて……」
エリーの反応が変わる、
「私……ハト…ダメなんです」
エリーは鳥類が苦手らしく、突如として飛びだったハトの動きに翻弄されたことを述べた。その表情に嘘偽りがあるとは思えない。業務で失態を犯したことに対する悔恨の情が垣間見る。だが、その一方でその表情にはアナベルに対する不信感もにじみ出ている。
それを感じたバイロンがエリーに話しかけた。
「思ったことを正直に話したほうがいいとおもいますよ。この後この事案に対する精査をするときに考慮されるかもしれません」
バイロンがそう言うとエリーはリンジーとバイロンに熱い視線を浴びせた。そこにはバイロンとリンジーに対して配慮してもらいたいという考えが透けて見える……
「アナベルさんはわざと動いたんだとおもいます。」
エリーがそう言うとバイロンがそれを質した。
「わざとと言いましたが……それはなぜですか?」
それに対してエリーは答えなかった、主観的な判断のために妙な答え方をすれば自分の身が危ういと考えているのだろう。
「特に根拠はありません、ですがタイミングがよすぎて……」
エリーはその後しばし沈黙した、
『これ以上の質問を重ねても何も出ないだろうな……』
エリーの様子を鑑みたリンジーは何も言わずにいたが、頃合いだと思うとバイロンが気を利かせて咳払いした。
「わかりました、とりあえず、下がってください」
リンジーがそう言うとエリーは若干恨めしそうな表情を見せて退出した。
*
この後、バイロンとリンジーはアナベルを呼んで聴取を始めた。
アナベルはリンジーの問いかけに対してポーカーフェイスを崩さずに淡々と答えた。エリーと違い彼女を誹謗するようなこともなく当時の状況を落ち着いた様子で話した。
「カクカクしかじかでございます」
バイロンはリンジーの問いに対して答えるアナベルをつぶさに観察していたが、その様子にはよどみもなければ、言い逃れもない……
アナベルは自分が動いたときに『近くいたハトが飛びたっただけのこと』だとのべた。
『嘘をついているようには思えない……偶然生じた事故なのかしら……』
バイロンはそう思ったがアナベルの優秀さを考慮すると、本心を隠して発言することなど造作ないようにも思える……
『はたして……正味のところはどうなんだろう?』
二ノ妃を随行する過程においてアナベルとエリーの動きを見ていた人間は第四宮には存在しない。二人の様子を観ていたのは馬を操る御者のキールだけである。だがそのキールの証言もアナベルに対して悪いものではなかった。
『客観的には白なんだよね、アナベルは……エリーさんが失敗をアナベルに擦り付けて逃げようとしているんだろうか……』
バイロンがそんなことを思っているとリンジーが声を上げた。
「あなたのことはわかりました……アナベルさん。下がってください」
言われたアナベルは丁寧に頭を下げると何食わぬ顔を見せて宮長室を出て行った。
*
アナベルが出ていくとリンジーは大きなため息をついてからバイロンに話しかけた。
「エリーさんはアナベルさんの行動に物申したいのだろうけど、意図的に鳩を操ったわけじゃないから……アナベルさんに責任を転嫁するのはできないわね……エリーさんが鳩を嫌っていることを知っていれば話はまた別かもしれないけど……」
リンジーは続けた、
「ハトが苦手なのはしょうがないだろうけど……かといってそれに驚いて帝位をもつ二ノ妃様のエスコートがなおざりになったのはマズイのよね……」
リンジーが客観的な見解をまとめるとバイロンもそれにうなずいた、
「そうだね……御者の証言もアナベルに意図的な動きがあったようには見えないって。そうなると、驚いたとはいえ、エスコートが雑になったエリーさんの非のほうが……注意力散漫っていうことになる……」
二人はしばし沈思した、
「手鏡の修理は可能だから……大きな失態とは言えないかもしれないけど……帝位の方に対する粗相として認識する必要があるわ……エリーさんの場合は問題になるわね」
リンジーが困った表情を見せるとバイロンもそれに同意した。
「ベテランの粗相に対する罰をどのようにするか……なかなかな判断ね……」
バイロンがそう言うとリンジーが顔しかめた。それというのもメイドに対する罰則をいかほどにするのかは宮長の専権事項だからである。
バイロンは苦悩するリンジーの表情を見ると一つの結論に至った。
『こりゃ、また便秘になるわね……』
*
翌朝の朝礼で昨日の事態についての沙汰が言い渡されることとなった。リンジーはあまり眠れなかったようで、黒いクマが眼もとを覆っている……足取り重くお立ち台(体の小さなリンジーのために造った30cm程の高さの木製箱)にのるとリンジーは全体を見回した。
「昨日の化粧箱をおとして手鏡を割った事故ですが、それについての処遇を話したいと思います。」
リンジーはそう言うとエリーのほうに目をやった。
「エリーさん、あなたは二ノ妃様のお世話はしばらく控えてください。特に減給などはありません。」
リンジーは続けた、
「アナベルさん、あなたは特にバツを受ける必要はありません。ですがこうした事態が起こらないようにメイド同志でコミニケーションを十分にとって互いの動きを確認し合ってください。」
リンジーがそう言うとメイドたちの間に何とも言えない雰囲気が生まれた、
それは『エリーの処遇に関しては理解できるがアナベルに対しては軽いのではないか』という思いである。ベテランのエリーはメイドたちの中では人望があるため、アナベルの処遇の軽さに他のメイドたちは今一つ納得がいかないという様子を見せた。
リンジーもその様子を肌で感じていたが、昨日の二人からの聞き取りや、粗相を犯したときにその一部始終を見ていた御者の言動からアナベルを糾弾するのは不可能だと判断していた。
「私はメイド心得にのっとって本日の処遇を決めました。皆の思いもいろいろあるでしょうが、この件はこれで終わりです。」
リンジーがそう言うとバイロンはすぐさまそれに合わせて声を上げた。
「みなさん、それぞれの持ち場に! では散会!!」
バイロンがにらみを利かすとメイドたちはすごすごと待機所の食堂から出て行った。ベテランの処遇に対する若干の不快さもあるのだろうが頭突きのリスクを避けるためにはやむを得ないといった感じである。
一方で、それに従わずその場に一人残った人物がいた――アナベルである。
アナベルはリンジーを見ると意味深にほほ笑んだ。
「なかなかの判断だと思います。宮長」
アナベルは続けた、
「この先、競馬会のこともございます。妙な敵対はしないということを判断したとお見受けしました。」
アナベルはそう言うとバイロンのほうにも目を向けた
「よしなに」
その物言いはのどに痰が引っかかるようなもどかしさをバイロンに与えた。
『……ん、ひょっとして、私たちアナベルの術中にはまったんじゃ……』
頭突き女子の勘はそう訴えた。
リンジーとバイロンはエリーとアナベルの間に起こったトラブルを収集しようとしましたが、その判断はほかのメイド達には納得がいかなかったようです。
さて、このあと第四宮ではいかなることが生じていくのでしょうか?




