第五話
9
突如として現れたアナベルは蕩々と語り出した。その様はただのメイドではない。王室付きというにふさわしい堂々たるものである。
「50年にわたるダリスの競馬は裏金の歴史といって過言ではありません。表向きは単なるレースとして扱われますが、その実態は賭博です。」
アナベルは続けた、
「高級貴族や財力のある貴族はレースに自分たちの所有する馬を出走させたいとかんがえています。そして、その賭博において自分たちに都合の良い結果になるように導きたいのです。」
それに対してバイロンが答えた、
「それって出来レースってことでしょ?」
言われたアナベルは小さくうなずいた。
「そうです。発走するレースの種類、ゲートの位置取り、そうしたものを勘案して自分たちの馬が望んだ順位になるように調整するんです。そして掛け金として集まった金をその順位に応じて分けるんです。」
アナベルはさらに続けた。
「高級貴族の方々や財力のある貴族はその『アガリ』を政界工作資金として投入します。そして公共事業やその許認可において裏金として用いるのです。」
アナベルがそう言うとリンジーはぽかんと口を開けた、あまりの話に口から魂が出かけている。
「『アガリ』っていっても税金がかかるでしょ、賭博といえどもレースであれば賞金に応じて課税されるはず」
隣にいたバイロンがもっともなことを述べるとアナベルが怪しく微笑んだ。
バイロンはその微笑みから金の流れが尋常ではないことに気づかされた
「……単なるレースじゃないのね……」
アナベルの微笑みが消えて王室付きメイドのそれとなる。
「御名答です。」
そんなときである、ぽかんと口を開けていたリンジーが突然に手をたたいた。
「そうか、分かった……」
その表情はいつもと変わらぬものである……
「そのお金の管理って……もしかして執事長の権限で拠出できるもう一つの財布と同じじゃ扱いじゃ……」
バイロンはリンジーの発言した内容からかつての執事長選挙のことを思い出した。
「帝位につくものが緊急時に拠出する資金……そしてそれを管理する執事長」
二人の言動に対してアナベルはフフッと笑った。
「お二方、すばらしい解答です」
アナベルはそう言うと第四宮の宮長と副宮長のかかわりについて付け加えた。
「競馬で集めた金はその一部がアナザーウォレットに入ります。そしてその管理は執事長の指示のもと第四宮によってなされるのです。」
アナベルはそう言うと二人を見た、
「つまりあなた方が競馬で上がってきたお金の一部を集めて管理することになるのです。」
リンジーは思わぬ仕事に言葉を失った。
一方、バイロンはアナベルの言動に対して漠然とわき出た質問をぶつけずにはいられなかった。
「アナベルさん、あなたは私たちの知らないことを良くご存知ですが……その知識はいかにして知りえたのでしょうか?」
バイロンが勘の良さを発揮するとアナベルは髪をかき分けた。
「さすが副宮長、優れた洞察力をお持ちで……」
アナベルはそう言うと知識の出所について触れた。
「競馬は12頭立てのレースです。ですがそのうち2枠はトネリアの馬が出走するのです。」
アナベルは続けた、
「すなわち私の母国も一枚かんでいるのですよ、このレースに……この意味が解りますか?」
アナベルが意味深にそう言うとバイロンはその眼を細めた、
『トネリアもこの競馬に一枚かんでいる……すると……アナベルはトネリアから送られてきた競馬会における資金管理者ということか……』
バイロンが厳しい表情を崩さずにいるとアナベルがその表情を読みぬいた。
「どうやらお分かりになったようですね」
アナベルはそう言うと二人に実にエレガントなあいさつを見せた。
「よろしくおねがいします、お二方。」
アナベルはそう言うと二人をしり目に業務へと戻っていった。
残されたバイロンとリンジーは競馬界における『金』の本質に気付くと何とも言えない気持ちになった。
「リンジー、これから荒れるわね……」
バイロンがそう言うとリンジーも厳しい表情を見せた。
「……そうね……金銭を巡っていろいろなところからアプローチがあるでしょうね……」
リンジーは気の重い口調でこぼした。
「大臣の秘書官が直接リンジーのところに来たっていうのは、このためだったのね……」
バイロンがそう言うとリンジーはその表情を一変させた。そしてバイロンを正面から見据えると雄々しく発言した。
「間違いなく便秘になるわ!」
バイロンはリンジーの思わぬ発言に眼を点にしたが、その物言いの中には宮長らしい威厳があるではないか。
「私、いろいろと調べてくる。多分、アナベルの言ったこと以外にも何かあるはず。バイロンは副宮長として業務の監督をお願い!」
リンジーはそう言うと颯爽とその場を離れた。
残されたバイロンはいつになくキレのあるリンジーの行動力に舌を巻いた。
『リンジー、成長してる、便秘以外は……』
バイロンはそんな風に思った。
10
三ノ妃が連れていかれた先は広大な小麦畑の一角にあるミル工場であった。収穫した小麦を貯蔵して、それを細かく裁断――それらをふるいに分けるという作業を行っているところだ。
業務用に袋詰めされた小麦袋が倉庫にいくつも積まれている……
三ノ妃はその工場の中にある事務スペースに身を置いていた。その眼には見たことのないサイロや裁断設備が展開している。だが、そうした環境よりも自分を連れ出した連中のほうが気になっていた。
『……こやつらは何者じゃ……』
自分を連れ出した理由に関しては身代金目的の誘拐かと思ったが、鉄仮面とその配下の動きは単なる強盗団といった犯罪組織には見えない。見た目こそ『賊』ではあるが異様に統率がとれている。
『まるで訓練された軍隊じゃ……』
三ノ妃がそう思っていると鉄仮面の配下である男が現れた。その様子は富裕な商人のようにも思える。
「お初にお目にかかります」
年の頃は30代後半といったところだろうか――醸し出す雰囲気は町人としての様相があるが、丁寧な口ぶりとは裏腹に堅気には見えない。
「大変、不愉快な思いをさせていると思いますが、少々お待ちくださいませ」
男はそう言うと手をたたいた。すると暇をおかずして男の配下がテーブルとイスを用意した。
「簡単なものしかできませんが……」
純白のテーブルクロスを引いたことで三ノ妃が座っていた作業机もそれなりに見える。
「牛肉のソテーとじゃがいものスープ、そしてパンでございます。」
木皿の上には分厚く切られたステーキが載り、皿の脇には人参グラッセと茹でたいんげんが置かれている。その匂いは十分すぎるほどに食欲をそそるものだ。
「お召し上がりくださいませ。」
三ノ妃は男をチラリと見やったが、とりあえずナイフとフォークを手に取った。
『……下手な動きは意味が無い……出たとこ勝負じゃな』
三ノ妃はそう判断するとナイフを肉に突き刺した。
競馬界の実態は裏金が飛び交う賭博だったようです……バイロンとリンジーはいかにしてこの状況に応対するのでしょうか?
一方、拉致された三ノ妃にはどのような未来が待ち受けているのでしょうか?




