第二十六話
逃げようとしたロザリーの前に現れたのはいったい誰なのでしょうか?
今回でわかります!
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なんと、ロザリーの眼には泥だらけになったエマとロバが映っていた。思わぬ存在の登場にロザリーの足がすくむ。
「見つけたわよ、やっとのことで」
エマはそう言うと布のカバンから小汚い小箱を取り出した。小箱は腐食してすでに原形はとどめておらず、ふたの部分に至っては存在していない……むき出しになった中身には錆びついたぜんまいのようなものがあるだけだ。
「これ、覚えがあるでしょ?」
ロザリーはそう言われると凍りついたように動けなくなった……
『……それは……』
ロザリーの脳裏にかつてのことが浮かんだ、幼子たちと合唱団を造った時のことが昨日のことのようによみがえる……200年前のあの日々である……
「これ、オルゴールでしょ……」
エマがそう言うとロザリーは沈黙した。
「一生懸命に探したのよ、この子と一緒にね」
エマの隣には蹄が割れて泥だらけになったロバがいた、その表情は徒労にあふれている……ロバには珍しく肉体労働にいそしんだようだ。
「魔道器のノイズを分析してね……それで気になった動きを探ってみたの……」
エマがそう言うといつの間にか現れたイリアが語りかけた。
「200年前、あなたたちがそのオルゴールの音色をもとにして合唱の練習をしていたのを思い出したのよ。魂だけの存在になってもあの音色は忘れていないんじゃないかって……」
ロザリーの中でかつての記憶が鮮明になる……
≪初めて子供たちと会った時≫
≪合唱団の指揮者となった時≫
そして
≪アルマの言葉を信じて殉教者となることを決めた時……≫
ロザリーは救国の志士として人々を救うという高貴な思いに支えられた合唱団が世界を救うと信じて疑わなかった……たとえ体を切り刻まれ、その骨を粉砕されても……
エマとロバのもたらしたオルゴールは当時のことを想起させる力があった。音色を奏でることこそできないが、ロザリーの記憶の扉を押し開いていく。
ロザリーは体を震わせた……
だがその震えは怒りと呪いにより裏打ちされたものではない……
ベアーはその様子を見るとロザリーに近寄った。
「ロザリー……僕たちは君たちに祟り神になってほしくないんだ……」
ベアーは続けた、
「つらい思いをして……アルマに裏切られて……そして後世の人々にも黙殺された。言葉にできない苦汁を食んだのはよくわかってる……でも……それでも……」
ベアーの言葉に力がこもった、
「救国の志士として殉教した君たちが人々を苦しめる存在になってほしくないんだ」
ベアーのなかで僧侶としての思いが沸き起こる。
「君たちには貴き存在としていて欲しい。苦行を乗り越えた存在として、弱き者を導く礎になってほしいんだ。」
それに対してロザリーは超然とした声で答えた。
「私たちは名無し(ジェーンドウ)……墓碑に刻む名前なんてないわ」
ロザリーが半ば自虐的に言うとルナがそれに応えた。
「それなら自分たちで造ればいいんだよ!」
ルナがそう言うとロザリーの周りに集まっていた子供たちがその顔を見合わせた。想定外のルナの発言に心のひだをまさぐられたのだ。
『……名前…を…造る……』
幼子たちは互いの様子をうかがうと額にしわを寄せて考え出した。祟り神として畏れられることよりも、後世の人々にその名を称えられるほうがいいと思い始めている……その表情には怒りや憎しみといった感情はすでにない。
だが、その一方で子供たちはいかなる名前がよいか判断がつかなかった。仏頂面を見せたまま皆だまりこんでいる。
『……わからないよ……名前なんて……』
斜視の双子が声をシンクロさせてそう言うと顔の四角い女の子がロザリーに話しかけた。
『ロザリー、あんたがつけてよ。あんたがリーダーなんだから』
言われたロザリーは苦渋の表情を見せた……だが、ベアーとちぎった小指に鋭い痛みが走ると、いかんともしがたい思いに駆られた。
『あたしたち、じゅうぶんやったよ、十分すぎるぐらいに!』
絶品のクレープを食して口から魂を吐きだした女子がそう言うとほかの子たちもそれに同意した。
『そうだよ、町の奴らも気を失ったんだから、僕らの力もおもいしっただろうし……』
もやしのようにか細い子がそう言うと合唱団の幼子たちは頷いた。
『……あんたたち……』
ロザリーがそうこぼすと皆がロザリーに注目した。
ロザリーはため息をついた。
『……どうやらこの勝負は負けみたいね……』
ロザリーは途方に暮れたが、その視野にエマの持つ腐食した小箱が映った……皆の思いを受けたロザリーの中でパッと閃きがほとばしった。
そして、ロザリーは言の葉を投げかけた
『……名無し合唱団……』
ロザリーは静かにそう言った。
実に素朴な表現だが彼らの実情を穿った名前としては決して悪くない。孤児として打ち捨てられ、その存在さえ消された幼子たちを端的に表す名称としては完ぺきといえるであろう。個人名にこだわらず、総体として彼らを表す名称をロザリーは創作していた。
子供たちは明るい表情を見せると皆が納得した表情を見せた。
「とってもいい名前だよ」
ベアーがそう言うとその場の仲間たちもその名に大きくうなずいた。そこには『名無し合唱団』に対する尊崇の念がある。
ロザリーはその様子を感じとるとベアーに話しかけた。その表情は祟り神とは思えぬ年ごろの女子のものである。
「……あのさ……さっきのクレープ……食べたいんだけど」
ロザリーがそう言うと気を効かせたセルジュが素早く動いた。途中で転ぶというアクシデントもあったが、セルジュは厨房から戻ってくるとロザリーの前にクレープの載った皿とスプーンを置いた。
神々しく輝くクレープの頂にロザリーはスプーンを入れた。断面からカスタードがあふれて生地と絡まる。ロザリーはゴロッとした果肉の入ったベリーソースをまとわせると大きな口をあけて頬張った。
『……おいしい……とっても……』
ロザリーの頬を涙が伝った。200年という時間により熟成された呪いがもたらした負の感情が消えていく。吟味に吟味を重ねたクレープはロザリーの心を穿った。
苦しみに耐えて殉教し……その存在さえも消され……後世の人々にも裏切られ、そして祟り神となった合唱団の指揮者は『人を赦す』という境地に到達していた。
ベアーはロザリーに歩み寄った。
「君たちのことを祀らせてほしいんだ」
言われたロザリーは何もいわずに小さくうなずいた。ベアーはそれを見るとロザリーの指を取った
「君たちが聖人として称えられることを約束するよ」
ベアーはロザリーと二度目の指切りをかわした。
その契りを見るとほかの幼子たちは晴れ晴れとした表情をみせた。そこには祟り神としての怒りも憎しみも感じられない。実に快活で子供らしい表情がある。幼子たちは満足してベアーたちを見るとにっこりとほほ笑んだ。それは純真無垢なる者だけが見せることのできる今生の別れを意味していた。
と、その瞬間であった。突然にまばゆい光がさした。天を衝く光明は人知を超えている、あまりの明るさにベアーたちはその目をつむった……
そして……一瞬とも永劫とも思える時がたつ……
ベアーたちが眼を開けるとその視界には思わぬ光景が展開していた。
「……空が蒼い……」
ルナがそうこぼすと隣にいたエマが声を震わせた。
「……あの子達……」
彼らの前から名無し合唱団の面々はその姿を消していた。
荒ぶるロザリーたちをもてなすことにベアーたちは『慰撫』することに成功します。
ですが、彼らを『祀る』必要があります。
さて、この後どうなるのでしょうか? (そろそろ、あいつらが……)




