第十話
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パトリックは襲われた町娘を介抱すると破れた被服を繕うための費用を渡した。娘は頬を赤らめてパトリックを見たが、パトリックはそれにかまうことなく縛り上げたハンターの下に向かった。
そして、
パトリックとフレッドは縛り上げたサセックス家の嫡子を連れ立つと治安維持官の詰所とは異なるところに向かった。
*
彼らの前には壮大な石造りの邸宅がそびえていた。その門構えは明らかに高級貴族であることを知らしめる雰囲気が漂っている。門扉には細かなレリーフが施され、高名な芸術家がこしらえたことがその雰囲気から推察される。
「パトリック、マジでサセックス家に乗り込むのか?」
フレッドは小声でそう言ったが、そこには明らかに不安感が滲んでいる。
一方パトリックはみじんの恐れもない様子を見せた。
「おまえ、下級貴族の家柄でサセックス家とわたりあえるとおもってるのか?」
フレッドは美しい表情を微塵も変えずに呼び鈴を鳴らすパトリックの様に息をのんだ。
『こいつ……大丈夫なのか……金持ち貴族にケンカを売るなんて……』
フレッドがそう思うとパトリックはフレッドを見た。
「フレッド、お前は隣で黙って立っていればいい」
その物言いにはすでに戦略があるようで、フレッドは息をのんだ。
「立ってるだけでいいって……」
フレッドが二の句を告げようとすると邸宅の入り口が開いて執事と思しき初老の人物がやってきた。
*
「何のご用件でありましょう?」
二人の候補生を怪しげに眺める執事に対してパトリックが答えた。
「この者が、サセックス家の関係者と言っておるのだが」
パトリックがそう言うと顔を腫らしたハンター姿の男が声を上げた。
「じい、何とかしてくれ……」
歯の抜けた男の姿を見た執事はその表情を変えると素っ頓狂な声を上げた。
「ぼっちゃま……」
執事は震えた声を上げるとパトリックとフレッドを見た。
「これはどういうことでございますか?」
執事はサセックス家の嫡子のあまりにひどい面構えにおどろいたが、それと同時に『何やらあったのではないか』と気をまわす様子を見せた。
それを見逃さなかったパトリックは相変わらずの美しい顔で朗らかに答えた。
「こちらの嫡子が『粗相』をしたようでしてね、穏便に済めばいいのですけど」
意味深にパトリックがそう言うと執事は不快な表情を見せた。
「中にお入りください」
執事は『粗相』という単語に反応するとハンターである男の脇を抱えた。
*
パトリックたちが通されたのは謁見の間であった。一段高いところには玉座と思しき立派な椅子がすえつけられ、赤を基調とした長いじゅうたんが入口のドアまで続いている……絢爛豪華といって差し支えない
「我が息子にけがをさせたと聞いている」
口を開いたのは玉座に座った男である、頬杖をついて尊大な態度をとっていた。
「けがをするに十分な理由があったまでのことです」
パトリックが恐れることなく反応すると、サセックス家の頭首はすこぶる不快な表情を浮かべた。
「士官候補生ごときがよく言うわ、己らのことを我が息子を嬲った暴行罪で枢密院に訴えてやろうか?」
サセックス家の頭首がすごむと柱の陰から様子を見ていた息子が顔を出した。父親の権威にひれ伏すであろうパトリックたちの姿を一目見ようとしているのである。その表情は実にいやらしい……
「我々は町娘を手籠めにしようとしたご子息の蛮行をこの目にしております。あなたが立派な貴族であろうと我々には関係ありません。そちらがけじめを取らぬならこちらこそ枢密院に告発いたしましょう。」
パトリックが相変わらず美しい表情で滔々と答えるとサセックス家の頭首は口角を上げた。
「けじめだと片腹痛い、貴族の格をわかっていないようだな。士官学校に進学する程度の下級貴族が私に物申すとは」
サセックス家の頭首がそう言うとパトリックはフフッと笑った。
「貴族の格でございますか……それはこちらが言いたいことなのですが」
パトリックが小ばかにした態度をとるとサセックス家の頭首は激高した。
「私に物申せるのは帝位につく家柄の大貴族だけだ。御三家の身内でもないお前のようなガキが口を開くとは笑止千万、これ以上、口を開くようなら無礼うちにしてくれる!」
脇で控えていた衛兵たちが槍をもってささっと二人の前に現れると、彼らは後方をふさぐようにして布陣を引いた。明らかに多勢無勢、フレッドは眼を点にすると震え上がった。
だがパトリックはそれに臆することなくを発言した。
「乱心ですかな、ご当主、無礼うちとは?」
パトリックはそう言うとサセックス家の頭首を美しい表情を変えずにねめつけた。
「私の隣に立っている候補生のことをご存じないとお見受けする」
言われた当主は鼻で笑った、
「まともな家柄の貴族は士官候補生などにはせん。政治家の道を志すか、研究者になるか、高級官僚になるかのどれかだ!」
当主はそう言い放つと右手の人差し指を立てた。
「この指がお前たちに向けられた瞬間に、未来が失われることになる。命乞いするなら今のうちだぞ!」
当主がそう言うとパトリックは今まで黙っていたフレッドのほうに顔を向けた。
「ローズ家の嫡子に向けて槍を向けたぞ、フレッド」
言われたフレッドはきょとんとしたが、ローズ家という単語を耳にしたサセックス家の当主はその表情を変えた。
「そちらのご子息は町娘を手籠めにしようしただけでなく、捕り物の途中でローズ家の嫡子であるローズ フレッドに対して刃を向けました。御三家といわれるローズ家の嫡子に向かってです……さらにあなたもローズ家の嫡子に槍を向けました……親子そろって愚行を犯したことになります。」
言われたサセックス家の頭首は唇をわなわなと震わせた……そこにはまさかの人物がいたことに対する想定外の思いが滲んでいる。
『……グヌヌヌヌ……』
怒り心頭といった表情で当主はパトリックをにらんだが、格上のローズ家の子息がいるために振り上げた拳が降ろせない状態になっていた。貴族の爵位は絶対である、すなわち伯爵では公爵には太刀打ちできないのだ……たとえ経済的に勝っていたとしても……
『ここで間違った行動をとれば私の首が危うくなる……格上の貴族にケンカを売ることは正しい選択ではない。』
サセックス家の頭首はさらに頭を回転させた。
『ローズ家がこの事案に対して枢密院に告発すれば……こちらが手傷を負う……』
冷静な考えが脳裏に浮かんだサセックス家の頭首であったが、その怒りは収まるわけではなかった……むしろ眉間の青筋は先ほどよりも太くなっている……
当主は歯噛みすると、この原因を作った溺愛する息子をにらみつけた。息子のほうは再び柱の陰に隠れると、歯の抜けた表情で苦笑いを見せた。
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そんな時である、思わぬ事態が起こった。先ほどの執事が血相を変えてやってきたのだ。その表情は青ざめていて人のものとは思えない。
「どうしたのだ!」
怒りの冷めやらぬ当主が尋ねると執事は声を震わせた。
「暴走した町の者が……」
窓のほうに目をやったパトリックとフレッドは外が妙に明るいことに気付かされた。夜のとばりがおり始めたこの時刻ではありえぬことである。
パトリックとフレッドは状況が妙に騒々しくなったことに感づいた。
「なんか、おかしいことになってるぞ……」
フレッドが耳元でそう言うとパトリックもうなずいた。
「祭りが始まるかもな」
パトリックがその勘をはためかせるとフレッドがその意味が解らず首をかしげた。
「血なまぐさい祭りだよ」
そう言ったパトリックの表情はブーツキャンプで修羅場を潜り抜けてきた猛者のものに変転していた。
ハンターの生家であるサセックス家に乗り込んだパトリックはフレッドの持つローズ家の威光を使って当主と交渉しようとしますが……思わぬことがおこります。
なんと、怒りに震える領民たちが押し寄せてきたのです。
はたしてこの後、どうなるのでしょうか?




