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第五話

12

屋台をひっくり返そうとしている太った候補生は忍び寄る男の存在に気付いていない、中年の男はそれを把握していた。


『太ももを刺せばいい』


男はそう思うと太った候補生の背後に忍び寄った。


『調子に乗りやがって、このクソガキ、何が士官候補生だ!』


そう思った男は様子をうかがった、


『このデブ、気付いてないな』


そう判断した男は手にした果物ナイフを逆手に持ち替えた。


『ちょっと痛いぜ、アンちゃんよ!』


酔った男は不敵に笑った、


と、そのときである、


そのナイフを持ったその手がねじりあげられた、


「痛っえ、何するんだ!!」


 男の後ろには屋台のカンテラに照らされた美しい青年が立っていた。その表情は闇とカンテラの明かりにより生じた陰影により神秘的な雰囲気さえ漂っている。


「刃物はまずいだろ」


パトリックは男の腕をひねりあげると、その手にしていた果物ナイフを叩き落とした。



「貴族に刃を向けることの意味がわかっているのか?」



そう言った青年は般若のごとき厳しさで平民が貴族にさからった時のリスクを仄めかした。


それを理解した屋台の周りにいた客はその場の状況を注視した。下手な動きは自分の首を絞めると理解している……だがその一方で酒の入った客たちはけんかとなることを望んでいる節もある……


その雰囲気を感じたパトリックは屋台の店主を見た。


「この男が刃物を持っていたのは確認したな?」


パトリックは酔った客が刃物を持っていた事実を屋台の親父に確認させた。


「酔った勢いでの喧嘩ということにしてやる、だが、これ以上の狼藉は貴族としては許しておけない」


パトリックはそう言うと中年の男のケツを蹴り飛ばした。


「さっさと行け!」


 パトリックは厳しい判断を避ける選択を取った。それというのも屋台の周りにいた客の動向を把握していたからである。彼らの放つ気配の中に殺気が滲んでいたためである……


『この男にこれ以上の危害を加えて事を荒立てれば、貴族に対して不快な思いを持っているほかの連中に袋叩きにされるやもしれん。』


 パトリックはいくばくかの金を店主に投げつけるとその場を穏便に保った。そしてすぐさま太った士官候補生のところに近寄った。


                                   *


 明るいところに太った士官候補生を連れて行くと、なんとのその人物は図書室で見た『クビなし』ことホフマンであった。


「……先輩……」


 クビなしは軽く酔っているものの、先ほどの事態を理解しているようでパトリックによって刃傷沙汰から回避できたことを感謝した。


「…すまんな…酔っていて……」


クビなしは軽い酒乱のきらいがあるのだろう、ぼったくられたときに必要以上に激高したことを述べた。


「あの程度のことでキレていてはみっともないな……」


クビなしがそう言うとパトリックがそれに応えた。


「屋台は平民が楽しむところです、下手に貴族がいけば向こうも身構えるでしょう。そのあたりは配慮しておかないと」


 平民と貴族の間には断絶した身分差がある。それゆえに遊ぶ店やテーブルもわかれている……だが首なしはその点を考慮せずに、平民の使う屋台で飲食したようだ。


「どうやら、カリができたようだな……」


 クビなしはそう言うとパトリックに心づけを渡そうとした。正確には失態を犯したことに対する口止め料である……


だが、パトリックはそれを受け取らなかった



「カリがあると思うなら別の形で返してほしいのですが……」



言われたクビなしは二重あごをプルンと震わせた。



13

翌週の月曜……


抜き打ちの小テストが行われた。マルチンは容赦なく候補生たちの裏を突く戦略を講じていた。


『馬鹿どもに冷や水をかける、これが教師のだいご味だ』


 小テストの結果は散々ぱらぱらで、候補生たちの悲鳴が聞こえてきそうだ……答案の採点をしていたマルチンはほくそ笑んだ。


自宅の自室で答案を眺めたマルチンは候補生たちの素点を名簿に記そうとした。


『10点満点の小テストの平均点は3点……ほとんどの候補生は赤点なみだな』


マルチンは一番成績の悪い生徒の点数を確認した。


『0.3点……ローズ フレッド……ローズ家の子息か……出来が悪すぎるな。兄とは別人のようだ。』


マルチンは薄ら笑いを浮かべながら、今度は一人だけ高得点を取った生徒の名前を確認した。



『……そんな……ありえん……』



 数学に素養のある候補生でも5点程度の答案しか書けない小テストで8点という高得点をたたき出した人物は思わぬ候補生であった。



『……フォーレ パトリックだと……』



士官学校に中途入学する貴族でまともな人間はいない。マルチンは思わぬ事態にたじろいだ。



『……なぜだ……』



マルチンは仏頂面を浮かべた。


『確かにデキは悪くないのかもしれん……だが、現状でヤツが高得点をたたき出すのは考えにくい……何か裏があるんじゃないか』


5年近くの指導経験のあるマルチンはパトリックの好成績に裏があるのではないかと勘繰った……


『……それともあの生徒は意図的に能力があることを隠しているのか……能あるタカは爪を隠すという……』


だが、マルチンはパトリックの解答用紙の計算式を確認すると腑に落ちなかった。


『……きれいすぎる……解の導き方が……』


教師としての経験はマルチンの考えを否定した


『……怪しいな……』


マルチンはそう思った。


 そんなときである、階下から声が上がった。くぐもった奇声は常人ならば背筋を凍らせるような響きである。


『……またか……』


マルチンは重いため息をつくと腰を上げた。その表情には昏い陰りが滲んでいる。


『……いい加減にしてほしい……』


 マルチンは階下に向かうと寝室の扉に手をかけた。扉の向こうからは再び奇声のようなものが聞こえてくる。


マルチンはその声を聴くと頭を抱えた。



『……勘弁してくれ……』



マルチンのストレスは累積しているようで、その表情は明らかに尋常ではない。



『……もう二年だぞ……』



マルチンは徒労のこもったため息を吐いた。



『……いつ終わるのだ……この地獄は……』



マルチンは寝室の扉を開けることなくその場にへたり込んだ。




パトリックは抜き打ちの小テストで高得点を取りますが……マルチンはそれを怪しみます。


一方、そのマルチンですが……かれは何やら問題を抱えているようです……

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