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第二十話

まだまだ暑いらしい……気温が下がる日もないらしい……つらい……

41

クラーク司法長官は執務室で自らが作成した書類にサインしようとしていた、その脳裏にはボルト13世と頭巾の女の言った言葉がちらついている。


『未来が変わる……』


 下級貴族として大臣というポジションまで上り詰めたクラークであったが、その視野には宰相という器が映っていた。


『苦労した……本当に……』


 クラークは下級貴族として経済的に困窮し、上級学校で教科書を買う金さえ工面できなかった過去を思い起こした。


『下級貴族は富裕な平民よりもはるかに貧しい……無駄な交際費や定例行事にかかる雑費で日々の生活はカツカツだった……特に上級貴族の家に招かれたときに持っていく贈り物の工面は本当にきつかった』


クラークは書類に目を落とした。


『だが、この書類にサインをすれば、その労苦からも解放される……無駄な貴族の慣習を廃止して能力のあるものを引き立てる政策を貫徹できる。無能な上級貴族を引きずり落としてその力をこそぎ落とすことができる……』


クラークは己の持つ改革案に酔いしれた。



『下級貴族から宰相まで上り詰めた人物はダリスの歴史においていまだ存在しない……もしそれができれば……それは革命だ。』



クラークはボルト家の後ろ盾と頭巾の女の持つ切り札を使えば新世界が構築できると確信していた。


『これで変わる、すべてが変わる!!』


だが、その一方でクラークには権力に対する妄執も存在していた。


『私の過去を手繰られても、力さえあれば何とでもできる……かつての事案をもみ消すこと……書類の改ざんもだ……いや、存在しなかったことにさえも……』


クラークは己の出自に関する最大の弱点を消し去りたいとおもっていた。



『……これさえ葬り去ることができれば……私におそれるものはない……』



クラークはそう思うと目前にある書類に己の名を刻もうとした……


と、そんな時である、執務室のドアが突然ノックされた。


                                    *


クラークは不審に思った、


『この時間はだれも面会予定はないはずだ!』


クラークはそうおもったが、ドアノブがガチャリと音を立てると重々しい扉が静かに開いた……



「入っていいと誰が言った!!」



 クラークはきわめて不快な声を出したが扉の内側からその人物が現れるとクラークはその顔をひきつらせた。



「……あ、あ、あなたは……」



クラーク長官は目の前に顔を包帯で巻き上げた人物が現れると、二の句がつげられなくなっていた。



「お初にお目にかかる、ぜひご挨拶をしたいと思いはせ参じた。」



顔を包帯で包んだ男、レイドル侯爵はくぐもった声を出した。


「かわら版では庶民の味方と謳われ、貴族の不正をただす人物として名をはせている。実際に改革を行おうとしてるあなたの行いは実にすばらしいですな。」


 レイドルがそう言うとクラークは咳払いを一つはさんだ。自分の精神を落ち着けようとする間を取るためだ。


「あなたとの面会の予定はございません。お引き取りを……執務がありますので」


震える声を抑えてクラーク司法長官がそう言うとレイドルはククッとくぐもった笑いを見せた。


「お忙しいようですな……ですが、あなたにはぜひ見てもらいたいものがある」


レイドルはそう言うとマーベリックのもたらした桐の小箱を懐からおもむろに取り出した。


「警備のものを呼びますよ、これ以上、近寄れば!」


クラークがそう言うとレイドルはそれを無視して小箱をクラークの執務机にポンと放った。



「よく見たほうがいい」



 クラークは不愉快でありながら、レイドルの放つオーラに気圧されていた。包帯で顔を覆った男の持つ形容しがたい雰囲気は権力者でさえも飲み込みはじめている……


クラークは拒否しようとする意志さえかき消されると小箱の中身に目をやっていた。



「………」



無言になったクラークは唇を震わせた……



「その耳に覚えはありますな、クラーク司法長官?」



淡々とレイドルが尋ねるとクラークはポソリとこぼした。



「知らない……こんないびつな形の耳など……」



小箱の中から出てきた特徴のある『耳』を見たクラークは生唾を飲み込んでそう答えた。


だが、レイドルはククッと笑った。


「その耳の持ち主はベルツ出身のダイナーの女です。ですが、その女……私の手下を殺そうとしましてね……それも複数の村人を使って……」


 言われたクラークはうつむいた、動揺したことを悟られないようにするために……クラークは絞り出すようにしてなんとか声を上げた。



「で、で、出ていきたまえ……わ、私は司法長官だぞ!」



だが、レイドルはそれにかまわず続けた、そこには大臣という役職さえも歯牙にかけぬ豪胆さがある……



「あなたの出生の秘密がわかりました……」



レイドルはそう言うとクラークの仄暗い過去にふれた。



「……あなたの本当のお母上はその事実を隠すために……暴力という手段を……」



レイドルは何食わぬ顔で続けた、



「そうそう、墓地に行って墓の中の棺もあけました……驚きましたよ……」



レイドルはわざとらしく咳払いした。


「スミス家とアンドレア家の間には一人の嫡男が生まれました……ですがその嫡男は生まれながらに虚弱な体質でした。長く生きられる力がなかったのです。そんな時です、アンドレア家の当主がダイナーの町娘に手を出して子を産ませたという事実が露見します」


レイドルは気の毒な声をだした、


「そこで何があったかはわかりません……ですが病弱な嫡男がなくなられた後に……奥方も亡くなりました……それも同じ日に……」


レイドルは核心に触れた


「ですが……不思議なことに嫡男が亡くなったにもかかわらず、アンドレア家では家督が相続されました……いったいなぜなのでしょうか、死んだ人間は家督を継げません。まさか入れ替わったのでしょうかね?」


レイドルが核心をついて執拗に続けようとするとクラークはそれを遮った。



「……何が望みだ……」



クラークの血走った表情は常軌を逸していた……己の過去を暴かれたために精神が荒らぶっているのだ……


それを感じたレイドルは包帯で覆った顔をゆがませた……明らかに笑っている



「望みなどありません、いくつか知りたいことに答えてくれればいい」



レイドルはそう言うとクラークに近寄りその耳元でささやいた。



「こちらに付けば、悪いようには致しません……あなたは民衆にも人気がある、未来を考えればよいのです」



レイドルは厳しい口調に変えて続けた、



「もし拒否するようであれば、あなたはすべてを失うでしょう、長官のポストだけでなく貴族としての地位も」



 老獪な策士の吐息を浴びたクラークは生唾の飲み込んだ、そしてしばし沈思すると震える声を上げた。その音色は屈服のメロディーを奏でていた。



42

クラーク司法長官との謁見を済ませたレイドルは素早く馬車に乗るとマーベリックに話しかけた。


「面白いことが分かった……」


 レイドルはマーベリックがベルツで集めた情報を使ってクラークの出自を暴き、それを恐喝のネタに使ったのだが……その罪深い行為は≪甘い果実≫と思しき情報を引き出していた。



「頭巾の女は三ノ妃だ、ボルト13世と組んでひと波乱おこそうとしている……」



マーベリックは驚きを見せると同時に『波乱』という単語に不快な思いを持った。



「まさか……マルス様を再び……皇位継承権……」



マーベリックが勘をはためかせるとレイドルがククッと笑った。


「三ノ妃はクラーク出生の秘密を知っていたのだろう……そしてそれをネタにして書類を作らそうとした……懐柔されたクラークは亡くなったマルス様の戸籍を復古させるつもりだったのだ。マルス様が再び皇位継承権を握れば三ノ妃の立場も180度変わる」


レイドルはくぐもった声でつづけた、


「ボルト13世もマルス復活を援助している、そしてそのために必要な工作資金をボルト家が供給する立場のようだ。つまり頭巾の女、クラーク司法長官、そしてボルト13世がトライアングル体制を引いているのだよ」


言われたマーベリックは厳しい表情を浮かべた。



『俺がバイロンの横領事件を追っている時にそんなことが……あの事案はやはりブラフだったのか……やつらが計画を進めるうえでの時間稼ぎということか』



マーベリックは今になりボルト家の執事の意図がありありと分かった。



「申し訳ありません、侯爵様……後手に回っているようです」



マーベリックが状況を理解して平身低頭するとレイドルはそれを無視した。



「謝る暇があるなら、頭を使って体を動かせ」



レイドルは嫌らしくそう言うとマーベリックに最適解のヒントを与えた。


「マーベリックよ、ボルト家の工作資金は必ずダリスに還流されるはずだ。それを押さえろ。それができればこの計画は水面下で立ち消える」


レイドルは厳しい口調で続けた、


「だが、工作資金の回収ができなければ、奴らはその金を用いて議会の貴族どもを買収するだろう……さすれば奴らの計画は遂行されるぞ。今の貴族は金でいくらでも転ぶ連中ばかりだ。資金が流れる前に抑えねば大きな波乱が起きる」


言われたマーベリックは即座に行動に出ようとした。


だが、その還流資金がどこにあるかという命題には言葉が出ない。



『ボルト家の還流資金はどうやって……ダリスに運ばれるのだ……いつ、どうやって……』



素朴な疑問とは得てして答えの出ないものである……マーベリックは苦々しい表情を浮かべた。




レイドル侯爵がクラーク長官の出自を暴いたことで、ボルト、三ノ妃、クラークの企みがわかりました。なんと書類上で亡くなっているマルスを復古させようとしていたのです。


ですが、そのために必要な資金はいまだにどこにあるかわかりません、マーベリックはこの工作資金の行方を追って奔走することになります。さて、この後どうなるのでしょうか?


マルスは現在、谷あいの村にある肉屋でザックという名で見習いをしています。ベアー、ルナそしてロバとともにサングースで起こった凄惨な連続殺人事件の解決に一役買った人物です。


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