第十六話
暑い、暑い!!(以上)
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バイロンとリンジーは静かに深く洞察していた、誰が自分たちに使途不明金の使用を擦り付けたのかを調べていたのである。
だが……どのメイドも業務にいそしむだけで粗相さえしなかった。噂話さえ出ない状況である。私語を慎み業務にいそしむ彼女たちの姿はまさに誉れあるメイドそのものであった……完璧といえるほどに安定した状況が第四宮では展開していた…
「……これじゃあ、どうにもならないわね……」
バイロンはひとりごちると腕を組んで考え込んだ。
『いろいろ調べてみたけど、何も出てこない……』
バイロンは今までの経緯を整理していた。
『現金出納帳も改ざんした形跡もないし……日報にも妙な記述はない……リンジーと一緒に調べてるから間違いはないわ……』
バイロンが打つ手なしといった表情で溜息を吐くと、後方から現れたリンジーが声を上げた。
「バイロン静かすぎると思わない……」
リンジーがそう言うとバイロンは怪訝な表情を浮かべた。
「いつもなら、私語もあるし……業務をうまくサボろうっていうメイドもいる。ベテランたちならうまくごまかすにしても、それでも彼女たちの行動はある程度こちらの耳に入る……でも今はそれさえもない」
リンジーに指摘されたバイロンは小さくうなずいた。
「そうね……あまりに動きがないわね……きっと私たちの考えが読まれてるんだわ」
リンジーは心づけの横領をなすりつけた犯人が深く潜っていることを示唆した。
「……相手のほうが一枚上手だったみたいね……」
リンジーは≪観察してれば、そのうち犯人も尻尾を出すんじゃねぇの、大作戦≫が失敗していることを述べるとバイロンもそれに同意した……
そんな時である、二人の前にベテランメイドのお目付け役とでもいうルッカが老体をゆすってやってきた。その表情は嬉々としている……
「ここ4,5日は宮の様子もおちついていますね……ベテランたちも」
ルッカは自分の監視が行き届いていることに自信を見せた。
「私が見てると思うと、メイドたちも下手な動きができないんでしょ、フフフ」
ルッカはしわだらけの顔でほくそ笑むと二人を見た。
「あの……土、日なんですが……大きな行事もありませんし、休日をいただけませんか。孫たちと過ごしたいので」
ルッカはそう言うとエレガントなあいさつを見せた。そこには休暇をもらってもバチは当たらないという思いが滲んでいる……
それに対してリンジーが発言した。
「よしなに」
『許しを得た』とおもったルッカは二人に丁寧なあいさつを見せるとくるりと踵を返した。振り返る時に見せたルッカの顔は実に生き生きとしている……孫に会えるのがうれしいのだろう……
残された二人はルッカの後ろ姿を見ながら会話を続けた。
「ルッカさんは、お休みか……確か二人のお孫さんがいるって言ってたわよね」
バイロンがそう言うと、リンジーはがっくりと肩を落とした。
「……いいわね、ルッカさん……お孫さんと過ごせるなんて……私たちなんて……クビになりかけてるのに」
リンジーもバイロンもルッカには現状を話していなかった……余計なことを話さないほうがいいと判断していたためである……
「知らなければ、ルッカさんに責任が及ぶことはないわ、これでいいのよ。」
バイロンがそう言うとリンジーが心労によりうなだれた。
「私たちの『春』は短かったわね」
リンジーはうら若き二人の乙女が第四宮を制御してきた現実が崩れ去ることを揶揄すると、ため息を付いた。
「……これで権力の世界ともお別れ……」
リンジーは未練タラタラにそう言い残すとその場から離れた。がっくりと肩を落とした後姿は悲壮感が漂っている……
残されたバイロンはその後を追わずにその場に立ち尽くした。
『……ダメか……』
そんな風にバイロンが思ったときである、突然、窓の外から石つぶてが飛んできた。バイロンは足元に落ちたそれを拾うと石の外側が便箋で覆われていることに気付いた。
『……何かしら……』
バイロンが紙をはがして眺めてみると、そこには以下のようなことが記されていた。
≪心配無用≫
ただそれだけであったが、バイロンはその文字からマーベリックの筆跡であると看破した。
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月曜日……
早朝の業務が終わると毎週行われる週例会議が宮にある会議所で催された。執事長を中心にして第一宮から四宮までの幹部が集まり、それぞれが業務報告を行ってその週に生じたことを精査する会合だ。
そしてこの会議の最後には会計報告がなされて、それが了承されれば終了なる……だがその時こそがバイロンたちにとって芳しくない瞬間がやってくる……
つまりバイロンとリンジーが横領の嫌疑により……解任、否、場合によっては解雇される瞬間である……
二人が心づけを自分たちのために使っていないと述べたところで使途不明金が出たのは否めない事実であった。現状はこれを覆すための犯人探しはうまくいっていない……
『こりゃ、無理かな……』
二人は重い足取りで会議の会場へと足を向けた。
*
会議は円卓のテーブルで行われた。ヒバリの詩集が施されたテーブルクロスが陽光に反射してきらめいている……その光は黒い影を焼き尽くす勢いがある。不正をただす聖光とも見える……
執事長であるマイラがその陽光をうけて議事場に入るとすべての宮長と副宮長が立ち上りあいさつした。
「では会議を始めましょう」
マイラがいまだに慣れぬ執事長として号令をかけるとその場にいた全員が座った。
「では第一宮の報告からお願いします」
会議の始まりである
*
議事進行はとどこりなく進んだ……第三宮の宮長が報告を終えると、マイラがリンジーのほうを向いた。
「では最後に……第四宮の報告を」
リンジーは手続きにのっとって報告を開始すると淡々とその週にあった事象を述べはじめた。
『どうしよう……マーベリック……心配無用とか言って……全然だめじゃん……』
リンジーの報告は一定のペースで続く、隣に座っているバイロンは周りの様子を見たが好転するような様子はみじんもない。
『次の項目で報告が終わる……ということは…次は会計報告……使途不明金が明るみになる』
バイロンは執事長であるマイラを見た。
『……特に変わった様子はないわ……』
ポーカーフェイスで議事進行を促すマイラの様子から特に感じられるものはない……
『……やっぱり無理なのか……』
バイロンはマーベリックがマイラに何か伝えているのではないかという淡い期待を持ったが、それもないとわかると大きなため息をついた。
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リンジーの報告が終わるとマイラに促され会計担当者が立ち上がった。40代中盤の口ひげをはやした男である。いかにも経理の事務員という風貌で、数字に対して自信を見せている。
「いまからハンズアウトをくばります。重要なことが書いてありますのでしっかりと目を通してください。」
経理の事務員はそう言うとバイロンとリンジーをチラリと見た。その表情は実に陰険である。明らかに使途不明金に関して糾弾する姿勢がにじみ出ている……
「では、会計報告を始めます」
経理の事務員はバイロンとリンジーをけん制すると数字を読み始めた。
*
経理の事務員であるハンスは先々週の水曜に使途不明金と思しき数字を確認していた。会計担当者として目ざとく帳簿をチェックしていたが、それを見逃していると外部の人間から指摘されたからだ。
『使途不明金を明るみにすることは宮の帳簿を預かる立場として当然だが、それ以上に立身出世の第一歩になる』
ハンスは上級学校を卒業していないため、宮中で務める事務員として出世は望めなかった……その一生を単調な数字と付き合っていく下級官吏として終えることになる。だが、第四宮の宮長と副宮長の不正を告発できれば彼の株が上がるのは間違いない。当然のごとく現状を変えられるかもしれない……
『俺のほうが……仕事が出きるのに……数字にも明るいのに……』
20年以上、宮の中で経理の事務員として地味な仕事をこなしてきたハンスだが、自分よりも若い連中が出世していく姿は身に余るものがあった。
『上級学校を出ただけの若造が……俺を頭ごなしにしてポストに就きやがって……クソが』
ハンスの事務能力は実に高く、上級学校を卒業した事務員よりも経理に関しては優秀であった。だが学歴という壁はいかんともしがたく、ハンスの出世は宮中では不可能であった…
だが、そんな思いを持っていたハンスのもとに先々週の水曜、一人のメイドがやってきた。
『この資料を読んでいただけませんか?』
そう言って平身低頭するメイドの姿はハンスにとって思わぬものであった。
『上級学校を出ているメイドが俺に頭を下げた……ということはこの資料は……ほんものじゃ……』
学歴コンプレックスを持つハンスにとって上級学校を出たメイドが頭を下げたことはいかんともしがたい優越感を植え付けた。
『……気分がいい……たまらない』
そう思ったハンスはメイドの渡した資料を丁寧に精査した。
そして3時間足らず、ハンスは使途不明金と思しき内容をすぐに見つけた。
『この事実を上司に報告せずに明るみにすれば……俺にも出世のチャンスが……』
使途不明金を告発する行為は誰でもできる。犯罪行為の告発は上司に伺いを立てる必要がないのである。
『俺にチャンスが巡ってきた!!』
ハンスはそう思った。
バイロンとリンジーの状況は芳しくありません……ですがとうとう会議は始まってしまいました。
マーベリックは心配無用と書いてよこしましたが……本当に大丈夫なんでしょうか。ハンスという事務員はすでに横領の証拠を握っているようです……
はたして会議はどのような展開になるのでしょうか……




