第九話
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レイと別れて4日……マーベリックのもとには重要な情報は何一つもたらされていなかった。
ゴンザレスを襲った執事もクラーク司法長官も大きな動きを見せなかった。クラーク司法長官に至っては外出さえしないという徹底ぶりだ。
マーベリックは状況が進展しないことを不快に感じると、精神を落ち着けるためにカモミールのお茶をカップに注いだ。
『ゴンザレスに奇怪な術を使った輩……何者なのだ……』
密偵として20年以上の経験のあるゴンザレスは決して無能ではない。そのゴンザレスが九死に一生の状況に陥った事実はマーベリックにとって看過できなかった。
『頭巾の女といい、謎の執事といい……わからないことが多すぎる……』
マーベリックは状況把握に努めた。
『謎の執事……この男が頭巾の女とボルト家を結びつけた。そして何やら企んでいる……そしてその企みはクラーク司法長官がカギとなっている。』
マーベリックは熟考した。
『クラークと頭巾の女は同郷なのか……それとも深い関係なのか……』
ボルト家の兵器談合を巡る事案を探る過程で出てきた頭巾の女の存在は実に不可思議であった。
『この女とボルト家のつながりは何を意味しているんだ』
だが、その一方でマーベリックには別の考えがもたげていた。
『ゴンザレスが失敗したとなると……相手は下手な動きを見せんだろう。向こうが慎重に事を運べばこちらも感知できんだろう……』
闇に潜んで情報を収集しているマーベリックの勘はゴンザレスを追い込んだ相手の技量が半端でないことを看破していた。相手もプロなのだ、こちらの失態に付け込んでくるのは当たり前だ。
『マズイな……』
マーベリックがそんなことを思ったときである、二階のドアがノックされた。そのノックの間隔にマーベリックは今日がバイロンとの定時報告の日であることを思い知らされた。
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バイロンはいつものようにしてドアを開けると、特に挨拶もせずにいつもの席に座った。
「すまんが、今日は何も用意してない……お茶で我慢してくれ」
マーベリックはそう言うと角砂糖を添えた紅茶をバイロンの手元に置いた。
*
バイロンは第四宮の状況が落ち着いていることと、合コンで仕入れた兵器納入に関する情報に実入りがなかったことを報告した。
「そうか、わかった」
マーベリックはそう言うと自分のティーカップに茶を注いだ。
『………』
バイロンはマーベリックの顔色をうかがうといつもと違うことに気付いた。
『……煮詰まってるみたいね……』
いつもなら小言を言いながら軽食を出すのだが、それがない……つまりマーベリックの『仕事』がうまくいっていないことがしらしめられた。
そんなときである、マーベリックはコホンと咳払いした。
「ゴンザレスから士官学校との会合がうまくいったと耳にした。この先も情報源としてつながりを持ってもらうとありがたい」
マーベリックはいつものと変わらぬ口調で尋ねた。
「それから、ゴンザレスが危機に陥ったとき機転を利かせて助けてくれたそうだな」
紅茶を飲んでいたバイロンは「フム」とうなずいた。
「外の空気を吸って気分を変えようとしたら、危ない現場に遭遇したの……たまたまなんだけど」
バイロンは紅茶の香りを楽しむと二の句を告げた。
「大声を出しただけよ」
バイロンがそう言うとマーベリックがそれに反応した
「十分だ、十分すぎる」
マーベリックはそう言うと突然、頭を垂れた。自分の部下を助けてくれたことに対する感謝の念がそこにはある。
バイロンはマーベリックのおもわぬ行動に面食らった。
「……べ、別に……大したことじゃないわ」
だがマーベリックはそれに反応した。
「お前の機転がなければゴンザレスは死んでいただろう。情報収集のベテランを失うことはこちらとしても手痛い打撃をこうむることになる……今、たずさわっている案件が処理できたら、何らかの見返りをわたそう」
それに対してバイロンが即答した。
「別に見返りがほしくて助けたわけじゃないわ……レイドル侯爵のバックがあって副宮長という立場についているんだから……少しはそのお返ししてもバチは当たらないでしょ。それに経費もそっちもちなんだし」
バイロンはそう言うとマーベリックの顔色を窺った。
「……なんか、うまくいってなさそうね……」
言われたマーベリックはしばし沈黙すると口を開いた。
「……実は手詰まりでな……」
マーベリックはため息をつくと現状を吐露した。
*
マーベリックは抱えた案件が滞留していることを述べた。証拠や手掛かりといったものがないだけでなく、ゴンザレスの失態により相手の動きが止まってしまったため新たな情報も現出しない状況になっていいることを……
バイロンは人差し指を唇に当てると思いついたことを述べた。
「……頭巾の女とクラーク司法長官が関係あるなら、クラーク長官の人脈をたどればいいんじゃない」
バイロンがそう言うとマーベリックはすでにその調査を行ったことを述べた。
「クラーク長官の生まれたベルツという処は貧しいところでそれほど優秀な人材はいないんだ。貴族も下級貴族がいるだけで公爵や伯爵といったクラスの人材はいない……」
中央政界につながるような人材が輩出されていないことをマーベリックが述べるとバイロンが反応した。
「じゃあ、平民の商工業者は?」
「ない」
マーべリックは乾いた口調で即答した。
「ベルツは産業のない土地だ、名の知れた業者はひとつもない。所得水準や教育水準も低くダリスでは辺境の地といわれている。」
ベルツに関してマーベリックが述べるとバイロンは腕を組んだ。
「クラーク司法長官と関連があって高貴な人……ベルツ……う~ん……」
バイロンはマーベリックの記した下級貴族の名前を覗き込んだ。
≪アンドレア家(子爵)クラーク司法長官の生家≫
≪スミス家(伯爵)スミス家はすでに断絶≫
「……聞いたこともない名前ね……」
バイロンは考え方を変えた。
「クラーク長官はどんな人なの……?」
それに対してマーベリックが答えた。
「品行方正で清廉潔白な人間だ。下級貴族出身であるがゆえに高級貴族に対して不快な思いを持っている。だが能力は高く民衆からの人望も厚い。学生時代に弁護士資格を取ってから司法の世界を歩み、現在は法律のスペシャリストとして司法改革に臨んでいる。」
クラーク司法長官に関してマーベリックが触れるとバイロンがそれに応えた。
「下級貴族で出世って難しいんでしょ、それなのに大臣だなんて……となると後ろ盾が必要なはずよ。それは誰なの?」
「それがいないんだ……貴族政治の不正をただすために現れた彗星のような存在さ」
マーベリックがそう言うとバイロンが怪しんだ。
「あたし、そう言う人って信用できないんだよね……良く見える人の裏側って怪しいっていうか……ひょっとして出自になにかあったりするんじゃない……たとえば養子とか」
バイロンの問いに対してマーベリックが即答した。
「養子に入っていれば戸籍上ですぐにわかる、出生の書類は法的に重要なものだ。いい加減なものは作れない。不備があるとは思えん、特に貴族はな」
マーベリックが断言するとバイロンがその眼を細めた。
「法的にって、今言ったわよね……っていうことは……書類は法律官が造るの?」
「いや、行政官だ。そのなかでも資格のある職員が造る…それ以外のものは作成できない」
マーベリックはそう言うと、急にその表情を変えた
「行政官か……そこまでは調べていないな……」
マーベリックはすっくりと立つと壁に掛けてあったフロックコートを手に取った。
「かりに出自の書類事態を誤魔化すことができれば……そこに何かあるかもしれんな……」
マーベリックはいくばくかの光明を見出すと、バイロンをそのままにして部屋をさっくりと出て行った。
部屋に取り残されたバイロンは苦虫をつぶしたような表情を見せた。
『あいつ、合コンにかかった経費の精算をしないまま出ていきやがった……』
バイロンは憮然とすると窓際から雑踏に消えていくマーベリックの背中を見た。
『……私の財布……空なんだけど……』
手詰まりになっていたマーベリックでしたが、バイロンとの会話の中で手がかりにつながる何かを見出したようです。
さて、マーベリックはこの後どうするのでしょうか?




