第二十七話
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さて、キャンベルが別邸の地下でジャネットに襲われている時……
マーケットでは更なる動きがあった。
「先物市場では羊毛の値段がまだ上がっています、天井が見えません!!」
天井とは上がった値段の限界を示す言葉だが、いまだ青天井ともいうべき状態が続いている。
「株式市場では仕手筋がキャンベル海運の株を空売りしています!」
これはウィルソンである、
刻一刻と変わる状況をロイドは目をつぶって腕組みしながら耳に入れている……先物取引における羊毛の売却益を脳裏に描いていた。
ベアーはその様子を見ると提案した。
「ロイドさん、ここが勝負所かと!」
ベアーがそう言うと隣にいたルナもフンフンと頷いた。58歳の魔女も頃合いだと判断している……
ロイドは大きく息を吐くとその場の全員に目くばせした。
「これより我が船会社ケセラセラは舵を大きく切る!」
ロイドはそう言うと賭けともいうべき勝負に出た。
「羊毛の先物取引を決済し、その売却益をすべて株式市場に投入する!!」
ロイドがそう言うとその場の全員が雄たけびを上げた。その眼は興奮のあまりに血走っている。
ロイドは高らかに宣言した、
「反転攻勢だ、キャンベル海運の株を買い切るぞ!!!」
ロイドたちのとった戦術は自社株を買い増してキャンベルに買収されないようにする防御策ではなく、買収しようとするキャンベル海運の株を購入して買収しようとする攻撃的方針であった。
つまり敵であるキャンベル海運の株を50%買い切るという逆転の手法である。
ラッツのかわら版により影響されたマーケットの動きは仕手筋の絡みもあってキャンベル海運にとって芳しくない事態が生まれている……すなわち、この戦術は不可能ではないのである。
「今なら……いけるはず」
嬲られてきた船会社ケセラセラの社員たちが生み出した苦肉の策はキャンベルのわきに回り、そこから抉るという方針であった。
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ロイドは最新の株価を確認すると下がりゆくキャンベル海運の株を購入するべく取引所に注文を出した。
「キャンベル海運の株130800株を購入する!」
ロイドはそう言うとキャンベル海運の株をちょうど50%買い切る値段を指定した。
「1株当たり23ギルダーでよろしいですか?」
取引所の職員が平静を装ってそう言うとロイドはうなずいた。大口取引は取引所にとっても大きな手数料を手に入れることになる、取引所の職員は震える声を出した。
「指値の注文を承りました」
そう言った瞬間である、キャンベル海運の株が26ギルダーに下がった。
あと3ギルダー下がればロイドの指定した23ギルダーになる……
*
大口注文が入ると状況を先読みした勢力が動き出して再び株価が変動した……小刻みな値動きが始まったのである。≪売り≫と≪買い≫の注文がつばぜり合いを始めた。
株価の動向とその気配を読んだ仕手筋たちが鼻を利かす、そこにはキャンベル海運を空売りすることが自分たちの利益になるか否かの計算が始まっていた……
『……この勝負、どっちに転ぶ……』
仕手筋たちがそう思った時である……
再び号外がマーケットに舞った。ラッツのいるかわら版の記者たちがタイミングよくキャンベルたたきの第三弾を敢行したのである。
その見出しは:
≪キャンベル海運、時価総額が著しく減少、月末の決済はどうなるのか?≫
株価が急激に下がったキャンベル海運の財政状態は芳しいものではない。その状況を煽るような号外をラッツたちが出したのである。
それを読んだ仕手筋は頃合いだと判断した。
『……潮時だな………ある程度下げたら、そこで手じまいだ!』
利益を確定できると思った仕手筋連中が動き出すと、周りのプレイヤーたちもその動きに影響された。
*
そして、しばし……キャンベル海運の株価はうねりをみせていたが、1時間ほどすると株価を記したボードに確定した数字が書き込まれた、それは売買の需要と供給が均衡する金額である。
≪23ギルダー≫
値段を確認した職員は手元にあった大型のハンドベルを鳴らした。
つんざくようなベルの音が取引所にこだまする
「ただ今、23ギルダーでキャンベル海運の株130800株が約定されました。」
この情報が職員の持つ拡声器を使ってマーケットに流れると、よもやの展開に取引所の空気が変わった。
『えっ……』
『マジか……』
『130000株以上って……』
『キャンベル海運の発行株式の50%を超えてるよな……』
『……っていうことは……』
『……キャンベル海運は買収されたのか……』
『……マジか……』
プライヤーたちは誰が買ったのか気が気でなくなった。
『……どの業者が買ったんだ……』
プレイヤーたちは取引所の職員が持つ購入者の札を見た。
『……船会社ケセラセラ……』
まさかの展開に皆が言葉を失う……
『嘘だろ、こんなことあり得るのか……』
すべてのプレイヤーが注文の声を亡くすと取引所に異様な沈黙が訪れた。
『窮鼠、猫を噛むってやつか……』
あるプレイヤーがポツリとこぼすと初老のプレイヤーがそれを否定した。
『いや違う……『小』が『大』を喰ったんだ……』
先物取引で仕込んだ羊毛の値段は『龍の巣』によりもたらされた冬の到来で爆上がりした。一か八かの賭けで最大のレバレッジを利かせていた先物の利益はキャンベル海運の株50%を買い切る金額に到達したのである。
そして、その好機を見逃さなかったロイドたちは羊毛の売却益をすべて株式市場に投入し、見事キャンベル海運の株を買い切ったのである。
ベアーは約定という単語を耳にすると体が震えるのを感じた。小刻みに震える指先は止めようと思っても止められない……
「勝ったんだ、この勝負、勝ったんだ!!!」
ベアーが大声を上げると、隣にいたマクレーンが雄たけびを上げた。
「やったぞ、とうとうやったぞ!!」
その表情は歓喜にむせんでいる、ナイーブな旅芸人だったとは思えない活力がある。
一方、ジュリアは株購入の手続きを進めるために取引所の職員に話しかけられていたが、呆けた表情のまま口をポカンと開けている。現実には起こりえない事態を目の当たりにして感情を失っていた。
そして、ウィルソンである……小刻みに震えると両手で顔を覆って嗚咽を上げた。人目をはばからず涙を流す姿は何ともいえないものがある。齢50近くになり男泣きするウィルソンの姿は胸迫りくるものがある。
パトリックに小遣いを送るために社員としての手続きを踏んだウィルソンであったが、それが転じてキャンベルににらまれる結果を及ぼした。そして執拗なまでの執着を見せるキャンベルにより船会社ケセラセラは買収される寸前までいったのである。奇跡ともいうべき逆転劇はウィルソンの精神を限界まで揺さぶっていた。
ベアーはウィルソンの男泣きする姿を見ると声をかけた。
「やりましたね、ウィルソンさん!!!」
ウィルソンは大きくうなずいた
「かわら版のおかげだ……あれで流れがかわったんだ。仕手筋の連中が煽られて……その結果、プレイヤーたちがキャンベル海運に売り注文を出したんだ! お前の友達のおかげだ!!」
ウィルソンがそう言うとロイドがやってきて二人の肩をたたいた。
「……二人ともよくやってくれた……」
ロイドの言葉に二の句はなかった、そのまぶたには光るものが滲んでいる……辣腕の貿易商も感極まったようである。二人の肩を強く叩くと深くこうべを垂れた。そこには社員に対する感謝の念がありありと浮かんでいる……
「大将やりました、本当に俺たちはやり遂げたんですよ!!」
ウィルソンはそう言うとこぶしを握り締め、口をワナワナと震わせた。
だがベアーはその様子を見ると、かつてウィルソンがドリトスでさらした姿を思い出した。
『これは……やばいヤツだ……』
ベアーの直感がそう囁いたときである、ウィルソンの股間から熱い潮が流れ出した。
『やっぱり……』
感極まったウィルソンの前立腺は限界を超えて膀胱への道を開いていた。
その瞬間を見逃さなかたルナは魔女の鋭い観察眼を発揮した。
「……ウィルソンさん、歓喜の失禁……」
だが、この世紀の大勝利のことを思えば失禁するのも悪くないのではなかろうか。極限まで追い詰められた弱小貿易商が悪行を重ねて新興財閥まで上り詰めたキャンベル海運を買収したのである。
歓喜にむせびながら失禁するウィルソンを見たベアーは一つの結論に至った。
「いいじゃないか、垂れ流すぐらい!」
ベアーが朗らかにそう言うと、トコトコと歩いてきたロバがベアーの隣で止まった。そしてそれに深く同意すると、歯茎を見せてニカッと笑った。
了
これにて11章は終わりとなります。ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
今回は感極まったウィルソンが失禁するというラストになりましが、作者はあまりの寒さに『痔』になるという事態に襲われました(号泣!)
まだまだ寒いのでお体にはお気を付けください(特に受験生!!)
ではまた、次の物語で!
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12章は6月予定です。




