第十三話
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木、金、土とルーティーンワークをこなしたベアーに初めての休日が訪れた。だが慣れない環境と仕事のせいもあり、肉体的にも精神的に疲れはてたベアーは風邪をひいて寝込んでしまった。結局日曜は、体力回復に費やすことになった。
その甲斐あって翌日の月曜は心身ともに回復した。ベアーは7時になると工房に行って朝飯を食べ、その後、再び生地づくりに精を出した。
「だいぶマシになってきたね」
「ありがとうございます。」
力の入れ方というか、膝の使い方というか、捏ねるうえで必要な動きが身につき始めたベアーにとって生地づくりは先週ほど難儀な作業ではなくなっていた。
「よし、じゃあ、倉庫の籠を持ってこっちに来ておくれ」
そう言うと女店主は工房の外に出た。外には野菜を売りに来た行商人がいた。
*
「どうも、いつも!」
30代中盤の行商人は小型の馬車いっぱいに積んだ野菜を見せた。
「いつものお願いね」
女店主がそう言うと野菜売りの男はベアーの持ってきた籠にあふれんばかりのトマト、玉ねぎ、にんにくをいれた。
『すげぇ、量だな』
ベアーは驚いたがそれ以上にびっくりしたのはその料金だった。
『なんであんなに安いんだ?』
女店主が行商人に払った金額は市価の半分ほどであった。ベアーは野菜を運んで工房に戻ると早速、女店主に理由を尋ねた。
「なんで、あんな安くで買えるんですか?」
女店主はニヤリと嗤った。
「野菜っていうのはね、市場じゃ値のつかない大きさや、形のものが必ず出るんだ、『規格外』ってやつ、それをまとめて現金で買うと安くしてくれるんだよ。」
ベアーは『なるほど』とおもった。
「うまいこと人の縁ができるとそう言う商売ができるんだよ。」
女店主は自分の人脈を自慢するように言った。
ベアーは商売人としての嗅覚の鋭い女主人に対して素直に感服した。
*
こんなやり取りを経て本日の『戦争』が始まった。すでに何度か経験している洗い場の作業だが、恐ろしいほどの忙しさにベアーはただ沈黙した。3時間のラッシュを終えるとベアーは軽い虚脱状態になっていた。
「忙しかたっね、今日も。」
客が多く売り上げが良かったので女店主はニコニコ顔である。一方マーサは合変わらずポーカーフェイスを崩さない。正直何を考えているかわからない女性だと思った。ベアーはマーサのことを心の中で『鉄仮面』と名付けた。
夜の客は昼の半分にも満たないので洗い場での作業はそれほど大変ではない。むしろトマトソースを焦がさないように木べらでかき混ぜるほうが問題であった。
「熱い……」
沸騰したトマトソースが飛び散り、腕や首筋を襲う。
この作業は疲れることないが危険が伴う。昨日までは長袖で作業をしていたので気にならなかったが半袖になるとトマトソースがもろに肌にあたる。
「これ、半袖じゃ無理だな……」
こうしてベアーはまた一つ学習した。
*
作業が慣れ始めると時間がたつのも速くなり気付いてみれば二度目の休日となっていた。ベアーは一週間分の給料をもらうと、久々に羽を伸ばそうとかねてから気になっていた観光スポットに向かった。
『ここか……』
ベアーの眼前には青い空とビーチが展開していた。
ビーチの海岸線は遠浅になっていて50m先の沖まで浅い。そのため子供を連れた家族連れも安心して海の中に入っていた。和やかな避暑地の雰囲気にベアーは気分が良くなった。
そして……そんなベアーにお目当てともいうべき存在が目に入ってきた。
『おう、おう、巨乳――』
自分でもアホだと思ったが年頃の少年には眩しい光景が展開していた。色とりどりの水着を身に着けた若い娘たちが楽しそうに波打ち際で騒いでいる。
『やっぱり巨乳だな、貧乳ではない!』
貧乳トラウマのベアーがそう確信した時、その思いに水を差す言葉が投げかけられた。
「おい、お前。ここは貧乏人の入っていいところではない。早々に去れ!!」
ベアーが振り向くとそこには警備員と思しき男が立っていた。
「そこの立札が読めんのか!」
ベアーが振り替えると立札があった。戻って確認すると、
『立ち入り禁止、これよりプライベートビーチ』
とかかれていた。
『何だ、これ?』
ベアーが怪訝に思うと立札の所に立っていた40代の警備員がベアーを睨み付けた。
「パスがない者は入れん、早々に去れ!」
ベアーはカチンと来て言い返そうとした。
だが警備員はそれ見透かして言い放った。
「パスは200ギルダーだ、お前、買えるのか?」
ベアーの懐には80ギルダーしかない。
『ぐぬぬ……』
歯がゆいが厳しい懐事情では反論できない。ベアーは不服ながら経済格差の前に敗北せざるを得なかった。
『くそ、5000ギルダー盗まれてなければ……』
そんなことをおもった時であった、一匹の犬がやってきて警備員の足元にまとわりついた。
「向こうに行け、この馬鹿犬!!」
警備員はそう言うと寄ってきた犬を手にした棒で殴った。殴られた犬は情けない声を上げてその場から離れた。
「俺は犬が嫌いなんだ、さっさとどこかに行け!!」
犬は恨めしそうに警備員をみると足を引きずって立札から離れた。
『あの犬、かわいそうだな……』
そう思ったベアーは足を引きずった犬を助けることにした。犬が止まって座り込むとベアーは近づいて声をかけた。
「ちょっと待ってろよ、楽にしてやるから。」
そう言うと久々に回復魔法(初級)を詠唱した。
*
久々に魔法を使うので2度ほど失敗したが3度目には成功した。引きずっていた犬の足は回復し普通に歩けるようになった。
「よし、これでいいな」
最初はビクビクしていた犬だが足の調子が良くなるとベアーの廻りを駆け回った。嬉しそうに一声吠えると屋台の方へ走っていった。
ベアーがそれを見届け立ち上がった時であった、突然、背中から声がかかった。
「君、今、魔法を使ったよね?」
1人の青年がベアーに話しかけた。金髪を七三で分けた肌の白い青年である。品のいいシャツとグレーのズボンで身を固めている。
『なんだ、この超絶イケメンは……』
ベアーは目の前に現れた青年の容姿に度肝を抜かれた。
「僕の名はパトリック、怪しい者じゃない。」
眉目秀麗とは言ったものだが、その言葉通りの青年で誰が見ても振り返るほどの整った顔立ちである。ベアーは自分との容姿の比較で明らかに『勝てない』と瞬時に思った。
美少年はベアーに語りかけた。
「時間はとらせない、少し付き合ってくれないか」
「えっ、でも……」
「礼も払うよ!」
金欠のベアーには聞き捨てならない言葉であった。




