第二十一話
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翌日、木曜日の相場は相変わらずケセラセラの株がうなぎ上りになっていた。
「俺たちが上場した時のちょうど5倍の値段になってる……」
ウィルソンはマクレーンのフォローと仕手筋の介在で急激に上がった株価に奇妙な思いを持っていた。
「だが、これだけ値段が上がると…自社株買いもできない……」
自社株買いとは自ら自分の会社の株を買うことである。これは株の値段を下げないようにするための資産価値維持の意味と、買収や乗っ取りを防ぐという意味(株価が低いと簡単に買収されるので、それを防ぐ)もある。
ウィルソンは表情を変えずに続けた、
「株価が逆に下がれば、その反動で今度は一気に変わるかもしれん……キャンベル次第でどうなるかわからん……」
株価には適正価格というものがある、それは業者の規模、業務、扱う商品そして売り上げや借入金など様々な因子を考慮してつけられる。船会社ケセラセラの場合は大きな取引や強みのある資産があるわけではないので適正価格は上場した時の値段が適性である。
だが、現状はそれをはるかに超える5倍の値段がついていた……
「キャンベルだけじゃなくて仕手筋の連中が一斉に空売りをかけてくればいくらマクレーンさんがフォローしてくれるって言っても株価は維持できない……」
ベアーがそう言うとウィルソンはうなずいた。
「ああ、そこは……怖い……そうなれば、結局、キャンベルに買収される」
結局、この日の株価は高止まり状態を見せた、ベアーもウィルソンも固唾を飲むだけで自社株買いも敢行できなかった。
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翌日、金曜日午前、
山が動いた、
キャンベルの組織的な空売りが再び始まったのである、昨日の終値が一瞬にして30%毀損した。
「来たか、キャンベル、動きが速い!」
ベアーがそう言うと今度は買の注文がどっと入った、マクレーンのバックアップである。
先ほどの下がっていた株価がすぐさま15%回復した。
「うちの援軍だ!」
ベアーはそう言ったがウィルソンはそれに対して厳しい表情を見せた。
「……買い負けてる……資本力が違うんだ」
どうやらキャンベルは買収したグループ業者の資本を投入するつもりのようでケセラセラの奪取のために手段を選ばなくなっていた。
レオナルド14世ことマクレーンの資産が温泉利権で担保されているとはいえども、キャンベルが買収してきた業者の総合的な資産はそれをはるかに凌駕する……
「……下がった……」
株価はじり貧状態へと動き出した。
そして適正価格よりも高いと判断した仕手筋連中はキャンベルと足並みをそろえて空売りを始めた。
ジリ貧ではなく株価は急降下を見せ始めたのである。
「……くっ……」
ベアーは歯を食いしばったが資本力のないケセラセラでは太刀打ちできない。
そんなときである、再び株価が上がった。
「マクレーンさんが応援してくれているんだ……」
レオナルド14世ことマクレーンは信義に厚く、かつて自分を助けてくれたロイドやベアーに対して己の身を削る方針を何食わぬ顔で打ち出した。
命を懸けたサングースの修羅場で助けてくれたベアーたちに対する強い思いである。
「勝つ見込みがないのに……助けてくれている……」
あのナイーブな青年は出し惜しみすることなく自分の資産を株式市場に投じている、自分のことなど考えずに……
ベアーは株価の値動きを見てそれがわかると自然とその頬を熱いものが伝わるのを感じた。マクレーンの信義に対して心が震えたのである。
「こんなに……頑張ってくれてるのに……」
だが、株価は徐々に下がっていく……ベアーはそれを見るとどうにもならない現実に歯噛みした。
一方、隣にいたウィルソンは現実を冷徹に見据えた見解を述べた。
「下がり方が緩やかだ、今日はもつ、本当の勝負は週明けだ……」
ウィルソンがそう言うとベアーが顔を見上げた。
「ベアー、この状況を逆転するにはキャンベルのスキャンダルしかない――お前の言っていたかわら版の話だ。あれが月曜の朝一で流れれば……流れが変わるかもしれん!」
言われたベアーは涙をぬぐった、そして一気呵成に言い放った
「俺、ラッツのところに行ってきます!」
ベアーがそう言うとウィルソンがうなずいた。
「それぞれが、自分たちにできることを精いっぱいやるんだ。そうすれば……道が開けるかもしれん」
ウィルソンがそう言うとベアーはその場を走り去った。
それを見たウィルソンは熱い息を吐いた。
『厳しい戦いだ……だが……何かあるかもしれない……ねばるんだ』
タフな交渉を経験してきたウィルソンは最後まであきらめない姿勢を見せた。そこには47歳になった貿易商の意地だけではなく一人の人間としての強い思いが滲んでいた。
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相場が引けるとベアーはラッツの勤めている社屋に向かって状況を確認した。
「そっちのほうはどう、筆跡鑑定は?」
ベアーがラッツに尋ねるとラッツは微妙な表情を見せた。
「じつは筆跡鑑定はまだなんだ……俺たちがゴルダであった倉庫番の奥さんが死んだ旦那の筆記鑑定を拒んでるんだよ……遺族の同意がないと比較するための資料が手にはいらないから鑑定ができない」
ベアーはあまりの驚きに声を失った。
「別の記者がゴルダに行って倉庫番の奥さんを説得しようとしたんだけど……」
ラッツはそう言うと実に陰険な目を見せた。
「殺された倉庫番の奥さんはキャンベルから金をもらってるらしい……奥さんを見張ってたうちの記者が、その様子を目撃したんだ……」
それを聞いたベアーは唇をわなわなとふるわせた。
「自分の旦那を殺した相手から金をもらうのか……そんなのありかよ!!」
ベアーが大声を出すと、それに対してラッツが怒りを込めて答えた。
「子供の養育費っていう名目でもらってるらしいんだ……旦那を殺されても、その相手から平気で金をもらうんだ…あの女房もしたたかだよ……」
ベアーはラッツの発言を耳にすると祖父の言葉がその脳裏に浮かんだ
『生活に追われた人間はわずかな金で自らその身を獣道に追いやる。目先の小銭で良心が掻き消えるからだ。それは足元をばかりを見て、前を見ていないからだ。』
ベアーは幼いころに言われた祖父の言葉を思い出すとその意味が今になり痛切に理解できた。夫を殺害した相手から金をむしる妻の姿は不道徳の極みである。
だが、祖父の言葉を理解したところで現状が変わるわけではない……
『このままじゃ、なにもはじまらない……』
ベアーは沈思した――そしてしばし目をつむると一つの可能性に触れた
「ラッツ、広域捜査官にこの件を打診するのはどうかな?」
言われたラッツは苦虫をつぶしたような表情を見せた。それというのも広域捜査官が捜査に着手するには手に入れた証拠を渡す必要性があるからである……つまり殺された倉庫番の残した資料を手放さなくてはならない……
ラッツはしばし考えると声を上げた。
「向こうの動きとリンクできるなら……つまり取材をさせてくれるなら、いけるかも」
ラッツがそう言うとベアーがうなずいた。
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さて、その頃、ロイド邸の厩――ルナとロバは……
「なんか、かなりやばいよね、今……」
ルナがそう言うとロバは相も変らぬ不細工な顔でアクビした。
「あんた、ロイドさんのところの厩でも世話になってるんだから、ちょっとは心配くらいしなさいよ!」
ルナがそう言うと孤児たちのいるシェルターとロイドの自宅にある厩を行き来しているロバは鼻息を吐いてから何食わぬ顔を見せた。
「マクレーンもガンバってるんだしさ……」
だがロバは泰然としていつもと表情を変えない。
ルナはそれを見るとフッ~と息を吐いた。
「ベアーもまいってるみたいだし……何とかならないのかね、この状況……」
ルナがそう一人ごちるとロバが地面に何やら蹄で書き出した。
『だい…じょう…ぶ……』
たどたどしい文字群であるが妙に自信があふれている、ルナはそれを見ると首をかしげた。
「なんで大丈夫だってわかんのよ!」
ルナがそう言うとロバはそれにかまわず草をはみだした。
「ったく、ほんとに役に立たないんだから!」
ルナがあきれた表情を見せるとロバは空を見上げた。その表情はどの角度から見ても不細工で美神から見放された面構えである。
だが、ロバの面には妙な自信が満ち溢れていた……
キャンベルは買収したグループの資本を用いてケセラセラの空売りに乗り出しました。マクレーンのバックアップもありますが……この先どうなるかは、わかりません……
ですが、不思議なことにロバだけは別の見方をしているようです……一体なんなのでしょうか…
(みなさま、マジで風邪が流行ってます、お気を付けください。作者は胃腸炎になりますた……)




