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第十八話

39

翌日の火曜日


 船会社ケセラセラの株価はじわじわと下がった。キャンベルがゆっくりと真綿を占めるようにして空売りをかけていたのだ。


「今日と明日の相場で下げるだけうちの株を下げて明日の午後で一気に買い占めるつもりだろう……くそ野郎が」


キャンベルの戦略を見抜いたウィルソンが毒を吐いた、それを聞いたベアーは沈思した。


『何か打開策はないのか……』


 ベアーが資金繰りできるわけではないので、船会社ケセラセラを助けることは物理的にできない。この状況下を打破するにはキャンベルの投じた金額と同等、ないしそれ以上の現金を相場に撃ち込まねばならない……


「ジュリアさんのほうはどうですかね、羊毛の値段……」


ベアーがそう言うとウィルソンが首を横に振った。


「この気温じゃ無理だ……暖かい晩秋なんて……どうにもならんよ。1,2度下がった程度じゃ……」


言われたベアーは沈黙した。


『急激に気温が下がるなんてありえないだろうし……それに今日、下がらなければ明日の朝の気温が下がるとは思えない……』


                                   *


 結局、その日の船会社ケセラセラの株価はさらに下がり終値は上場初日につけた値段の半値となっていた。羊毛の値段も変わらず利益が出るようなことはなかった……絶望的な状況が露呈していた。


                                   *


その日の夕方……


ロイド邸ではすべての社員が集められ現状が報告された。


「諸君、残念だが万策尽きたといっていい」


 ロイドは青白い顔でのべた。その表情は疲労が深く刻まれている。資金繰りに奔走し苦汁を食んできた徒労が色濃く滲んでいるのだ……


「明日の午後でうちはキャンベル海運に取られることになる……」


ロイドがそう言うとウィルソンをはじめジュリアそしてケセラセラ号の船長とその船員が涙ぐんだ。


「一矢報いようと仕込んだ羊毛の先物取引もうまくいっておらん。損はしておらんが利益もでていない。リスクを負って勝負をしたもののこちらも駄目だ」


ロイドがそう言うとベアーはうなだれた。


「全部だめか……」


ベアーが一人ごちるとロイドがそれを見て優しく微笑んだ。


「皆よくやってくれた……」


ロイドはそう言うと一本のワインを手にした。


「このワインは私がこの会社を創業した一年目につくったものだ」


ワインのラベルにはかつての社名(フォーレ商会)と『新たな門出』という文言が記されていた。


「この会社がなくなっても諸君たちは死ぬわけではない。明後日からは新しい日々が始まるだろう。」


ロイドはそう言うと社員ひとりひとりにワインを注いだ。



「湿っぽい話はよそう……新たな門出に乾杯だ!」



ロイドはそう言うと皆の苦労をねぎらった。そこにはすでに達観した貿易商の思いが滲んでいる。



『ロイドさんはもう、腹を決めているんだ……』



 負け試合を自覚したロイドは船会社ケセラセラが買収された後のことを考えているようで、所属している社員たちの状況が少しでも良くなることを思慮しているようである。ノブレスオブリージュという貴族のあり様は社員の未来に向けられていた。


 齢70を過ぎて、会社を失うことは実に厳しい……再起をかけるのも難しいであろう……ロイドの未来はここで費えることになる……


『くそっ……キャンベルの奴め……』


 逆恨みも甚だしいのだが、パトリックにたいして不愉快な思いを持ったキャンベルの行動は祖父であるロイドの会社に致命的な斬撃を与えていた。


『やっぱり、だめなのか……』


ベアーはあまりの悔しさにその身を震わせた。


だがその一方、ベアーは一つだけ可能性が残されていることを思い起こした



『ラッツのほうがうまくいけば……何とかなるかもしれない……キャンベルを落とす証拠が見つかれば……』



淡い期待であるが、可能性はそれしかない……ベアーは明日の早朝、ラッツのところに赴くことにした。



40

翌日、水曜の早朝……


ラッツは……先輩、ピエールの残したキャンベル卿の裏帳簿を探すのに四苦八苦していた。


 2日にわたりシェルター内を縦横無尽にして図鑑の6巻を探したが、図鑑は影も形もなかった。途中からシェルターの孤児たちも一緒になって探してくれたが捜索作業は徒労に終わっていた。


「ひょっとして捨てたんじゃ……」


ラッツが不安な声を上げると、早朝から証拠さがしに参加したベアーが声を上げた。


「そんなことあるもんか!!」


 ベアーはいきり立ってそういった。船会社ケセラセラの命運を握る資料であるためその存在が失われていればその時点で買収されるのは明白である。それ故、ベアーの精神は明らかに尋常ではない……


 だが、熱くなったところで証拠が出てくるわけではない。ベアーは深呼吸して気持ちを落ち着けようとした。


「証拠が見つかれば、キャンベルをギャフンと言わせられる、そうすれば現状を大きく変えられるはずなんだ」


ベアーは一縷の望みをラッツに吐露するとラッツも大きくうなずいた。


「こっちにとってもスクープになる……絶対に見つけてやる!!」


                                      *


それから1時間……


図鑑の6巻はみつからない



さらに1時間……


昼になったが証拠は見つからない。



さらに1時間……


既に捜索場所はシェルターの建物内の屋根裏や地下室まで及んでいたが証拠は出てこない。



捜索者としても限界がおとずれていた……



「くそっ、見つからないじゃやないか!!!」



 自分の世話になっている会社が横暴なキャンベルにより乗っ取られる寸前であるため、ベアーも気が気ではない……よくしてくれたロイドやウィルソン、そしてジュリアの顔が浮かんだ。


 善人が悪人になぶられるのは僧侶としては許せぬものがある。倫理と道徳を説く聖職者の孫であるベアーにとっては我慢ならないものがあった。



「くそっ、キャンベルに負けるのか……」



 多大な資本を投下してマーケットで暗躍するキャンベル海運の力は船会社ケセラセラが跳ね返せる見込みはない……状況は以前よりも厳しい……



そんな時である、思わぬ声が外から聞こえてきた、それは人外のものである。



「うるさいなっ……」



 ベアーがそう思って窓のほうを振り向くと、相変わらずの不細工な面をさらしたロバが窓枠に顎を載せていた。


「おまえなあ、今、大事な時なんだよ、重要な資料を探しているんだ!!!」


 ベアーが強い口調でそう言うと、ロバはそれを無視して『ついて来い』と顎で示唆した。その表情は相変わらずで飄々としている……


手掛かりのないベアーとラッツは微妙な表情で顔を見合わせた。



41

しぶしぶロバについていくと、そこは厩であった。


「厩に何があるんだよ、掃除でもしろっていうのか?」


ラッツがそう言って中をのぞくと10歳に満たない男の子が厩の枯草の中で気持ちよさそうに寝ていた。



「学校さぼって、厩で寝てたのか……」



男の子は実に気持ちよさそうにスヤスヤと寝ている。


「今は、この子と遊んでる暇はないんだよ!」


ベアーがつっけんどんに言うとロバは傲岸不遜な表情で顎をクイクイと動かした。


その表情は『よく見ろ!』といわんばかりである。


腹の立ったベアーはロバをにらんだ後、眠っている男の子のほうに目を戻した。


その時である、ラッツが声を上げた。



「ベアー、あれ、あの枕にしてるやつ……」



 よく見ると男の子は干し草で作った枕の高さを調節するべくその下に何やら本のようなものを入れているではないか……


ベアーとラッツは厩の中に入ると男の子を押しのけると、その枕となっているものを手に取った。



『6巻 植物について』



と背表紙に記されている。二人は唖然とすると言葉を亡くした。


「あった……あったぞ」


「これだ、6巻だ!」


 二人は同時に声を上げると図鑑の中を開いてみた。そして、その背表紙の中に慎重に糊付けされてはさまれた『便箋』があることに気付いた。


「これひょっとして……」


二人は顔を見合せて『便箋』を確認した。


 そこには白金の在庫と思しき数量と、袋詰めしたときに出た端数などが記されているではないか……そして最後の一枚にはゴルダの管理人の名前がサインされていた。



「間違いない、ゴルダの倉庫番がピエールさんに送ったものだ。白金の在庫が書かれてる!!!」



ベアーとラッツは白金について記された在庫の目録を見つけると歓喜の声を上げた。


だが二人はすぐに平静に戻ると、その表情を引き締めた。


「これを編集長に見せて、午後のかわら版に乗せてもらおう。倉庫番が管理していた白金の情報が流れれば大きな事件として扱われるはずだ。そうすればキャンベルに打撃を与えられる、もちろん株価の変動もあるはずだ!」


ラッツはそう言うとベアーとともに編集長の待つ社屋にダッシュで向かった。




追い詰められたベアーたちですが、とうとうキャンベルに打撃を与える証拠を手に入れます。


ですが、相場が引けるまでの時間はあまり残されていません……


はたして、彼らは間に合うのでしょうか?

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