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第十七話

36

翌週、月曜日早朝


 ベアーとウィルソンとジュリアはロイドの戦略をもとに議論を展開していた。在庫にある最後の切り札、羊毛をどのタイミングで先物市場に投入するかという命題である。


 気温を考慮して値上がりするであろう瞬間を狙う必要がある、彼らは天候を加味して熟慮に熟慮を重ねた。



そして6時半、一つの結論に至った。



「本日、朝10時、先物市場にドリトスで手に入れた羊毛を現物として投入し、それにレバレッジをかける」


 レバレッジとはてこの原理という意味だが先物の世界では異なる意味がある、それは証拠金取引における倍率という意味だ


 つまり100ギルダーの証拠金をマーケットに投入し、10倍のレバレッジを利かせると実際のマーケットでは1000ギルダーの取引が可能になるのだ。プレイヤーは少ない証拠金にレバレッジを利かせて大きな取引を実行できるのである。


 だが、その一方、そのリスクは甚だしく大きい。わずかな値動きでも大きな損害を被ることがある。ウィルソンたちは羊毛を現物として先物市場に投入するのだが、わずかでもその値段が下がれば破産するというリスクを負うことになる……


まさに丁半博打、伸るか、反るかの大勝負である



「この羊毛を糧としてうちは先物市場に100倍のレバレッジをかける!」


それに対してジュリアがウッと唸った。


「100倍って、ウィルソン……マジでか……」


いつもなら品行方正な物言いのジュリアがあまりの驚きに妙な言葉遣いになっている、


「それ限度いっぱいじゃん……ちょっとでも下がれば……おわりよ……」


ジュリアが震えるとウィルソンは何食わぬ顔を見せた。


「うちはもう、打つ手がない。勝負するしかないんだ!!」


 ウィルソンのいつになく真剣な物言いは真摯であり、冷静である。40代後半の貿易商の経験がそこには裏打ちされていた。


「レバレッジを最大まできかせて、大金を稼がないとどうにもできない……それしか残された道はない」


言われたジュリアは押し黙った。


「俺たちは毛皮が値上がりするほうにすべてをかける、これでいく」


ウィルソンがロイドの戦略をなぞるとジュリアもうなずいた。



「そうね、このままなら……キャンベルにおもちゃにされて喰われるだけだもんね……」



ジュリアはそう言うと腹を決めた女の表情を見せた。


「先物のほうはこっちで手続きを全部進めるわ、ウィルソンとベアーは株のほうに集中して!」


言われた二人はうなずいた。


こうして船会社ケセラセラは世紀の大勝負をうつことになった、はたしてこの勝負はいかに……



37

朝10時、ジュリアが先物市場で羊毛の注文を出している頃……


株式マーケットでは大きな変動があった。名の知れわたった業者の株がうごきはじめたのである。


『ラッツの言うとおりだ……』


 ラッツがロゼッタでベアーに宣言した通り、ダリス全土に材木を下ろす卸問屋の株価が急に乱高下し始めたのである。


 200年の歴史を誇る材木商の株価は急降下と急上昇を繰り返した。その値動きはすさまじくその差を抜こうとするプレイヤーが売りと買いの注文を連発した。


ベアーはそのさまを冷静に見ながらさきほど手にしたかわら版の文面を読んだ。



『材木商、あやうし!200年の歴史に幕が下りるか、血を分けた兄弟の仁義なき戦い!!』



 老舗の材木商で跡目争いが生じ、それが発展して派閥争いとなったのである。その結果、血を分けた兄弟の間で社長のイスをかけて骨肉の争いがはじまったのだ。


 だが、この情報はマーケットの仕手筋にとっては実にうまみのある内容であった。業者の株価が混乱する報せは株価の差を抜こうとする仕手筋にとって最高の状況えさになっていたのである。



『人の不幸は蜜の味……か』



 ベアーはボードに書かれた数字が15分程度で次々と塗り替えられていく様を見ると、儲けようとする人間の欲望が如実に反映されていると息をのんだ。


『みるみるうちに株価が変動している……上がって、下がっての繰り返しだ……』


 だが、その一方で隣にいたウィルソンは材木商のことなど歯牙にもかけず、一点を凝視していた。それはケセラセラの株価であった。



「下がり始めた……仕手筋の奴らが手じまいしたんだろ……」



ウィルソンが厳しい表情をみせた。


「材木商のスキャンダルでうちの株を持っていたやつらはそれを売ってターゲットを乗り換えたんだろうな」


ウィルソンがそう言うとベアーも納得した表情をみせた。


「キャンベルがこの状態で動いてくると厄介ですね……」


ベアーが気を取り直してそう言うとウィルソンもうなずいた。



38

そんなときである、二人の前にモスグリーンのスーツに身を包んだ女が現れた。一見すると美人だが唇が異様に薄く、妙に冷たい感じのする30代後半の女である。


「船会社ケセラセラの方ですね」


女はそう言うと名刺を見せた。


「キャンベル海運 社長秘書 ジャネットです。」


ジャネットは慇懃に言うとウィルソンを見た。


「キャンベル様はそろそろ取引を終わりにしろと言われました。それゆえ、今週の水曜日にそちらの株をすべて買わせていただきたいと思います。」


 ジャネットは妖艶にほほ笑んだ。そこには小さな業者を嬲ることに飽きた様子が見てとれる……『お遊びは終わりだ』といわんばかりである。


その口調を不愉快だと思ったベアーはいきり立った。


「役所の奴らを垂らしこんで、うちを無理やり上場させた上に、買収しようなんて、あんたたちは一体何様なんだ!!」


ベアーが歯をギリギリさせながら言うとジャネットは何食わぬ顔で答えた。


「役所の人間を垂らしこんだことなんてありませんわよ、いい加減なことを言わないでいただきたいわ。」


ジャネットが冷たい視線を浴びせるとさすがのベアーも怒りに火がついた。


「汚いやり方をして居直るのか、あんたには商倫理のかけらもないのか!!」


ベアーが怒髪天の表情でそう言うとジャネットはそれを無視して薄ら笑いを浮かべた。


「水曜日に50%以上の株を買い上げます、50%以上の株を持ったキャンベル様はあなたたちの会社のオーナーになります。」


ジャネットはベアーを無視して続けた。


「現在のマーケットは仕手筋の連中も材木商にターゲットを移して、あなたたちの会社の株を手放しています。すなわち船会社ケセラセラの株を購入するプレイヤーは極めてすくない。」


ジャネットは口に手を当ててホホッと笑った。


「どうあがいても、株価は下がるだけでしょう」


ジャネットは切り口を変えてさらに続けた。


「私はキャンベル様から船会社ケセラセラの次期社長になるように仰せつかっております」


言われたウィルソンはぎょっとした表情を見せた。


「水曜日の午後にはあなたたちには私にひれ伏すことになるでしょう」


ジャネットは不遜な笑みを浮かべた。


「あなたがた持つ倉庫も私たちが使うことになります、内装をかえて、事務所スペースも改築します。あなた方はさっさと自分の荷物をまとめてくださいね!」


それに対してウィルソンが反応した。


「まだ、水曜の相場が終わったわけじゃない、そういうことは50%の株を買い取った後に行ってくれ!!」


ウィルソンが殺気立つとジャネットは実に不愉快な表情をみせた。


「あなた、未来の社長に対する口のきき方を知らないみたいね……」


ジャネットは薄い唇で笑った。


「そういう態度だと、あなたの名前が社員名簿から消えることになるわよ?」


言われたウィルソンは余裕を見せた。


「別にかまわんよ、あんたが社長になるなら俺はやめるまでだ。俺はケセラセラとロイドさんに義理はあるけどあんたにはない、ましてキャンベルにはな!!」


ウィルソンが雄々しく発言するとジャネットはたじろいだ。


「……そう、わかったわ、好きになさい。」


ジャネットはそう言うとわざとらしく靴音がたつようにして踵を返した。


 ウィルソンはその背中をにらみつけたが、現状は芳しいものではない。両替商から資金繰りを拒否され、株価も下がり続けている……船会社ケセラセラは暗礁に乗り上げた様なものだ。


最後通牒をかまされたベアーとウィルソンは下唇を噛みしめる他なかった。




とうとう、キャンベルが船会社ケセラセラを買収すると宣言してきました……はたしてベアーたちが先物市場に投入した羊毛は値上がりするのでしょうか……




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