第十二話
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こうして掃除を終えると一日が終わった。ベアーは休む前に女店主に挨拶すると気になっていた質問をぶつけた。
「あの……給料はどうなるんでしょうか?」
女店主は目を大きく見開いた。
「そうか、あんた一文無しだったんだね」
女店主はすっかり忘れていたらしく腕組みして考えだした。
「明日、仕入れのために両替商にいって現金を下ろすから……とりあえず三日分の日当を午後に払ってやるよ。それでいいかい?」
「お願いします。」
ベアーは気になっていたことが解決したのでほっとした。
「ところで、あんた、荷物も盗まれたんだろ?」
「はい、全部」
「そりゃ、マズイね、それじゃ着替えもないだろ。そうだ、小屋の中に箪笥があるから、その中を覗いてごらん。死んだ亭主の物だけど被服類があるから使っていいよ」
「いいんですか?」
「ああ、最後に洗濯して返してくれればいいよ」
「ありがとうございます」
下着類さえも盗まれていたベアーにとって女店主の申し出はありがたいものだった。
*
翌日も昨日と同じサイクルを送ることになった。
生地玉づくりに悪戦苦闘、
ランチ時間のラッシュに七転八倒、
夕方からの掃除で疲労困憊、
3日目で慣れてきたとはいえ、疲れという点ではピークに達していた。女店主はそれをわかっているのだろう、ベアーに大衆浴場に行くことを進めた。
「井戸水で体を洗うのもいいけど、たまには湯船につかんなさい。疲れの取れ方が全然違うから」
そう言うと三日分の日当をベアーに渡した。ベアーは久々の現金にうれしくなった。大した金額ではないが自由になる金があるとなると気分が違う。
「あの、どこにあるんですか、浴場は?」
「ここから役所の方にむかって坂を下ったところだ、一本道だからすぐにわかるよ。」
『よし、現金もあるし風呂でも行ってみるか!』
ベアーはそう思い大衆浴場に向かうことにした。
*
10分ほど歩くと御影石で造られた建造物が現れた。
『あれか、けっこう大きいな……』
大衆浴場は天然温泉から湯をひき、そこに温度調整のため水を入れるという具合になっていた。アルカリ質のためお湯は若干ぬめりがあるが疲労回復や神経痛の鎮痛効果などの効能があるようだ。
夕飯を終えた一般客が多くいて脱衣所は混んでいたが、中が広く湯船も大きいため入ってみると意外とゆったりとできた。
ベアーが端の方で湯船につかって疲れを癒していると亜人と浅黒い肌の男の話が聞こえてきた。
「来月、この辺りに新しい店ができるらしいぜ。」
「どんな店?」
「飲食なんだけど、パスタ関連だってさ」
パスタと言えば『ロゼッタ』もパスタ屋である。ベアーは聞き捨てならないと思った。
「都から料理人が来るらしいから結構、いけそうなんだよね」
「そりゃ、いいな。『ロゼッタ』はペスカトーレとボンゴレしかないからな、他の味があるならそっちに行きたいよな」
ベアーは一瞬『マズイ』と思ったが昼の忙しさから解放されるなら『ちょっとうれしい』という思いも生じた。
再びベアーは二人の亜人の会話に耳を傾けた、
「とにかく、行って食ってみないとな」
「そうそう、山の手連中の値段だったら俺たちには無理だし」
『ロゼッタ』は大衆向けの店で値段も手ごろである、仮に競合相手がロゼッタと同じ層の客を取り込もうとしているなら間違いなくライバルになる。ベアーはのぼせてきたので湯船を出たが、二人の会話はかなり気になった。
*
翌日の水曜は午後が休みのためベアーは朝からうれしくなった。
「そうだ、今日の午後、シェルターに行ってロバの様子見ないとな……」
ベアーはそんなことを考えながら生地玉づくりに励んだ。腕が筋肉痛でかなりきつかったが午後が休みと思うとそれも我慢できた。
いつもと同じように麺の状態を確認するのに女店主が平打ち麺を茹でた。どうやら今日は昨日よりも状態がいいようで納得した表情を見せた。ベアーも麺を食べたが昨日との違いは分からず『美味い』としか思わなかった。
その後、再び生地玉づくりにベアーは精を出した。時間はかかるもののムラのある生地玉は出なくなり、商品として通用するものが捏ねられる様になってきた。ベアーは腕前があがっているのではないかと自分でもおもった。
そんな時である、女店主から声がかかった、
「そろそろランチだよ」
『戦争』始まりの合図である。
11時から14時までの3時間、ベアーは皿とフライパンの応酬にクタクタにされた。3日目といえどもこのラッシュにはなれなかった。最後の客がいなくなるころにはシンクに皿が山積みになっていた。
ベアーが死んだ魚のような目をしていると女店主が声をかけた。
「今日は大変だったね。」
通常は100人程度の来客だが、今日は150人近かった。女店主は売り上げが良かったのでご満悦だ。
「今日は店と同じものを賄で出してあげるよ」
そう言うと店主は『ロゼッタ』の看板メニュー、ペスカトーレを作った。ベアーは疲労困憊で食べられないと思ったが口に運ぶや、その思いは一瞬で消え去った。
複数の魚介の出汁が出たペスカトーレは想像以上の味だった。
「あさりとトマトソースは相性がいいんだけど、そこにイカとエビの出汁が混じるとね、その辺の店じゃ出せない味になるんだよ」
店主はしたり顔で話していたがベアーは食べることに夢中で聞いていなかった。だが無心で食べるベアーの様子は女店主にとって満足のいくものだった。少年の夢中になって食べるさまというのは中年の女にとってはうれしいものである。
*
この後、掃除を済ますとベアーはシェルターに向かった。厩ではロバが手持無沙汰にしていた。
「大丈夫そうだな」
ベアーは元気そうなロバを見て満足した……だが問題もあった。
『いくら払えば、厩に置いてくれるんだろう』
ベアーの悩みの種はメガネ女の動向であった、微妙な心境でシェルターの屋内に入った。
*
「どうも、こんにちは」
「ああ、あなたですか、どうかされました?」
「その厩とロバの事なんですけど……どのくらいの費用が必要なんでしょうか?」
メガネ女はベアーを鋭い目で見つめた。
「どのくらいのお給料ですか?」
ベアーは正直に話した。
「そんなに少ないんですか?」
「3食付いて家賃も引かれるので……」
メガネ女はじろりとベアーを見た。
「わかりました月々50ギルダーで手を打ちましょう」
「50ギルダーですか」
ベアーは素っ頓狂な声を上げた。
「いやですか?」
ポルカの一般的な厩の相場は同じく30ギルダーである。メガネ女の提示した額は微妙なぼったくり金額であった。
『何なんだこの女は……』
犯罪被害者から金をとるシェルターのやり方にベアーは不服であったが、これから厩を探しに行く手間を考えると妥協せざるをえない……
「わかりました、それでお願いします……」
ベアーがそう言うとメガネ女はにんまりとした。微妙なぼったくり価格を手にできたことを心から喜んでいるようだった。




