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第十五話

30

4日目、木曜日の早朝、ベアーはウィルソンに『勝負』の相談をした。


「このままなら、うちはやられてしまいます。それなら一か八かの賭けにでるべきじゃないかと……」


ベアーは先物取引に関する一発勝負を提案した。


「うちの倉庫にはまだ手つかずの資産が残っています。あれを使うんです!!」


ベアーがそう言うとウィルソンはうなった。



「あれか、ドリトスで手に入れた羊毛だな」



 かつてベアーとウィルソンがドリトスの羊毛ギルドの悪行を暴いて駆逐し、生産者と直取引して手にれた羊毛のことである。


 だが、その羊毛はリーズナブルな値段で買ったものの温暖な秋であるため、相場での値段はすこぶる低い。秋も終わりが近づいているにもかかわらず気温は高く、羊毛が値上りする気配はない。


「確かにこのままだとうちはなぶり殺しにされる……」


ウィルソンは頷いた。


「相場が引ける前に、ロイドさんに相談する。」


                                    *


この後、ロイドの邸宅でベアーとウィルソンは先物取引に関する提案を行った。


「……なるほどな……」


実にところ、ロイドも同じ考えだったらしく二人の提案をありがたく思った様子を見せた。


だが、その一方、ロイドの表情に精気はなかった。


「勝負に関しては正しい賭けだと思う。だが羊毛を先物に出すとしても、われわれの思ったほうに値が動くかはわからない。丁半博打と言えども先物取引の怖さは半端ではない。」


ロイドは勝負に敗れたときに従業員に払う給料がないことを話した。


「いまなら、毛皮を処分してお前たちの給料を払うことはできるが、先物に投入してしまえば……どうにもならなくなる。」


ロイドはすでに負け戦を覚悟しているらしく、いかに傷を浅くするかという算段をしていた。


「羊毛を担保として先物市場で勝負するのは現段階では勝つ見込みがない。勝つためには……ある条件が必須になる」


ロイドがそう言うとウィルソンとベアーがうなった。


「気温だ、気温が今年は高い。巷では羊毛が要らないくらいの暖かな冬になると思っている。相場というのは人間の『気』というものに左右される……現状で毛皮を買おうとする者は現在すくない」


ロイドの発言は実に貿易商らしい鋭いものであった。


「晩秋になってもこれだけ暖かいと暖冬になるのかもしれん……この勝負はうまくいくとは思えん……」


 先物取引は気候というファクターが実に重要になるのだが、経験のあるロイドはその点を考慮し、現状での先物取引がうまくいかないと判断していた。


そんなときである、ベアーが祖父の言動を思い出した。


「秋が暖かいと、その反動で冬が寒くなると祖父は言っていました。もしそうならこの状況は勝負するうえでは逆にいいんじゃないですか。毛皮のマーケットは例年よりもはるかに低い値段で推移しています。今が底値なんじゃないでしょうか。」


ベアーがそう言うとウィルソンが腕を組んだ。


「大将、ベアーの言うとおりです。温暖な気候から考えると羊毛が市場でこれ以上、下がるとは思えません……下振れのリスクはかなり低いと思います。この状況なら……」


ウィルソンの言動に対してロイドはうなった。



「今、仕込めば、おもしろい結果もありうるな……気温さえ変動すれば……」



 ロイドはそう言うと実に厳しい表情を浮かべた。だがそこには羊毛を用いた先物取引が勝負をするだけの価値があることを認識していた。



31

その日の相場も厳しい状態が続いた。午前の終値は昨日よりさらに下がり見るも無残な展開が発生した。ベアーもウィルソンも言葉を亡くしたが株を買い支える資金がないため指をくわえるほかなかった。



だが、午後になると妙なことが起こった、何と株価が上がりだしたのである。



「ウィルソンさん、うちの株が上がってます!」


ベアーが声を出すと、ウィルソンがボードをにらみつけた。そこにはベアーの思いを打ち砕く冷静さがある。


「キャンベルににらまれたうちの株を買うやつはまともな業者じゃいない……」


ウィルソンは実に不愉快な表情を見せた。


仕手筋ハイエナがたかってきたんだ……」


ベアーは何のことかわからず首をかしげた。


「株価を乱高下させてその差を抜くやつらがいるんだよ、一般のプレイヤーたちをとりこみながらな……」


ウィルソンは続けた、


「キャンベルが『売り』、仕手筋が『買い』の注文を出す。そうすると注文の多いほうに株価はふれる。ボードの数字の変化を見た知識のないプレイヤーがうちの株を買っているんだろ……」


ウィルソンは淡々と続けた。


「仕手筋は買の注文を出しながら、最後に売り抜けてその差を抜く。仕手筋の動きを読み切れなかった一般プレイヤーは下がった株を所有することになる……」


ウィルソンが仕手筋の戦術を述べるとベアーは顔色を青くした。


「相場とはそういうものなんだ、人の欲が作り上げた戦場なんだ……」


 ベアーは戦場という言葉を聞くと生唾を飲み込んだ。儲けようとするプレイヤー、そして彼らの裏をかいて出し抜く仕手筋、どちらも僧侶の倫理からは破たんしている。だが、ベアーが見ているボードにはその戦いが数字としてくっきりと浮かんでいた。


「これが相場なのか……」


ベアーは口を真一文字に閉ざした。


                                   *


 その後も一進一退の攻防があった。仕手筋と一般のプレイヤーは船会社ケセラセラの株を売買してその差を抜こうと躍起になっていた。そのさまは実に激しく、値動きが著しく変わる様子は他のプレイヤーたちもかたずをのんでいた。


『仕手筋の奴らの『買い』だな、きっと』


『でも今しがた下がったぞ、……仕手筋が『売った』んじゃないか……』


こまめに動いたり、大きく触れたりと株価の振幅は落ち着きがない……


『それともキャンベルが動いたのか……』


 株価はあいかわらず流動していることを示していた、プレイヤーたちにとっては抜き差ししやすい状態である。


『ケセラセラはキャンベルが呑み込むと思ってたんだけど、そうでもないのかな……』


『タイミングをみはからってるんだろ』


『実は株価操作のおもちゃにしてるだけなんじゃないのか、ひょっとして仕手筋と裏でつるんで足りな』


『キャンベル海運はあくどいから、ありえるな……』


 マーケットでは様々な話が流布するのだが、賭場に入ったプレイヤーたちの噂話は実に多岐に飛んでいる……それが事実か否かはわからないが……


 ベアーとウィルソンはそんな状況下を冷静に判断するべく、様々な情報を耳に入れたが、その信憑性はどれも疑わしいものばかりであった。


ベアーは思った、


『誰かの話した内容に尾ひれはひれがついて真実がゆがんでいく……その結果がボードに書かれた株価の推移を作っているんだ』


そんなときである、一人の男が声を上げた。



「そ、そ、そ、そんな……」



 船会社ケセラセラの株を買ったらしいプレイヤーが悲壮感の限界を超えた表情を見せた。そしてその場にひざまずくとその眼を血走らせた。ベアーはその表情を見せて思い出した。


「あの人、初日に利益を出した人じゃ……」


それに対してウィルソンが答えた。


「ああそうだな、初日に利益を上げた投資家だな。出た利益をうちの株に突っ込んだろうな……」


ベアーは素早くボードに目を移すと船会社ケセラセラの株が一気に下がっていた。


「キャンベルがさらに空売りをかけたんだな……」


ウィルソンは冷静にそう言うと膝をついたプレイヤーに触れた。


「仕手筋とキャンベルの合間で挟まれて上下するうちの株が上がるほうに投資したんだろうな……だが、逆に触れた」


そんなときである、ひざまずいた男が表を上げると血の気の色の引いた表情で叫んだ



「は、はさん、だ、破産だよーーー」



 うめく男の様子はベアーが今までに見たことのない悲壮感がある。限界まで追い詰められた精神が壊れたようである。



「……どうしたらいいんだよ……もう突っ込む金がねぇよ……」



 ベアーはその男の様子をみて気の毒に思ったが、それよりも周りのプレイヤーたちの様子に震え上がった。



「……笑ってる……」



 男の苦しい状況を見て口角を上げるプレイヤーが複数いたのである。そして何事もないかのようにボードに目を移していた。ベアーはその様子を見て絶句した。


だが、そのベアーに対してウィルソンが冷徹な見解を述べた。


「相場はだれかが損をしなきゃ儲からない。つまり破産者の血をエネルギーとして成り立っている世界なんだ……まともな神経の持ち主じゃ、ここではやれない。ベアー、ここはそういう処なんだよ。」


 破産者を鼻で笑う精神性……それができなければこの世界では通用しない……ベアーはその事実に体の芯が冷え込むのを感じた。




ロイドはかつてドリトスで手に入れた羊毛を先物市場に投入することを決めたようですが、気温が暖かく、タイミングとしては芳しくありません……はたしてこの後どうなるのでしょうか……

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