プロローグ
物語はバイロン編10章が終わったあと……キャンベル卿が審問に立たされるところから始まります。彼はトネリアの富豪パストールとともに皇位継承を画策したものの、失敗してその責任をとらされようとしています。
枢密院――そこは貴族の関わる事案を精査する諮問機関である――外交、防衛といった国家の根幹にかかわるものもあれば、相続問題、貴族同志の諍い、業者との癒着、平民との軋轢なども精査される。
扱う事案は多岐にわたるのだが一つだけ確実なことがある。それは枢密院で審問されることは当事者にとって芳しいことではないということだ。
その枢密院の特別法廷でキャンベル卿は被告人席にその身を置いていた。
『この雰囲気……タマランな……不愉快極まりない……』
御影石で造られた内部は灰色を基調として統一され、寺院とは異なる独特の緊張感が満ち満ちている。厳かでありながら殺伐とした会場は秘密裁判が行われる場所としてじつに調和している……
「被告、キャンベル伯爵!」
司法官によりその名を呼ばれたキャンベルは面を上げた。
「これまでに生じた由々しき事態に関して沙汰を申し渡す。」
紫色の法衣に身を固めた司法官がそう言うとキャンベル卿は神妙な面持ちを見せた。
「お前がホストとして催した仮面舞踏会での出来事は憂慮する事態がしょうじたが、根本的な原因はトネリアの商業者パストールの仕掛けたと思われるトラップにあると思われる。」
キャンベルは司法官の言動に耳をすました。
「だが現在、パストールの乗った商船が座礁してパストールとの連絡がつかないためパストールの証言も取れていない。それゆえ事実関係の精査が難航している」
司法官がそう言うとキャンベルは内心ほくそ笑んだ。
『うまくいっている』
キャンベル卿はパストールが海上で行方不明になったことを最大限生かした戦略を取っていた。仮面舞踏会での乱痴気騒ぎはすべてパストールが仕組んだものであり、自分は善意の被害者であると……
さらには白金の付け届けに関しても出し元であるパストールが行方不明で言質が取れないため宙づり状態になっていた……つまり枢密院の捜査が困難を極めていたのである。キャンベルは弁護団にその点をつかせていた。
『パストールがいなくなったことで奴との癒着は明るみに出ない。奴から付け届けを貰った他の貴族も証言はしないだろう……わざわざ自分の汚点をさらすバカもいまい』
キャンベルの読みは実に冴えていた。
『この沙汰は私にとって悪いものではない』
キャンベルは金にものを言わせ10人の優秀な弁護団を使って秘密裁判に臨んでいたが、その結果は自分にとって最善の判決がもたらされることを確信していた。
『大したペナルティーはないだろう』
キャンベルは相変わらずの仏頂面であったが、その内心ではあくどい笑みが滲んでいた。
『しらを切りとおせば枢密院も私を追い落とせまい』
キャンベルがそう思った時である、司法官のもとに書状を持った書記官が走り込んできた。
「これを!!」
40代前半の陰険そうな女は事務的にそう言うと書状を司法官に渡した。
司法官はそれを見ると「うっ」と呻った。
そしてしばし沈思するとおもむろにキャンベルを見た。
「レナード卿からだ。」
司法官はそう言うとレナード卿のしたためた文面を読みあげた。
*
レナードからの書状を読み終えた司法官は声を震わせた。
「お茶会において、帝位継承権の改変を取りまとめたのはお前だと断罪してある。」
文面を要約した司法官はそう言うとキャンベルを見た。
「レナード卿はお茶会で暗躍して投票権のある貴族の意見を取りまとめたのがお前がだと……」
司法官が厳しい眼を向けると、脇に控えていたキャンベルの弁護士が異議を唱えた。
「レナード卿の進言には証拠がありません……糾弾するのであればその証拠を!」
キャンベルの弁護士がそう言うと司法官は冷たい表情を見せた。
「レナード卿のこの書状にはお茶会でお前に恐喝された貴族の署名が複数ある……」
司法官はそう言うと一枚の写し絵をキャンベル卿に見せた。
「恐喝された貴族たちはお茶会でこの写し絵を見せられたそうだ、そして帝位改変に否応なく賛成したと書かれておる」
司法官の手には白黒ともセピア色とも取れる写し絵がある。そこにはキャンベルの別邸で行われた仮面舞踏会において生じた乱痴気騒ぎに興じる貴族の姿があった。
『そんな、あの写し絵はすべて処分したはずなのに……』
キャンベルは自分の弁護団を見たが、彼らも司法官に提示された物を見て生唾を飲み込んでいた。
司法官はしばし時を置くとキャンベルに向かって声を上げた。
「これに対してどう申開く?」
それに対してキャンベルは体をブルブルと震わせた。
『あの写し絵がなぜ、レナードの手にわたったのだ……』
呆然として沈黙するキャンベルに対して司法官は厳しい表情を見せた。
「お前の行ったことは許されざることだ。 覚悟されよ!!」
*
枢密院での精査がなされ、厳しい沙汰を言い渡されたキャンベルは自宅に戻るとワインを煽った。
『……ふざけやがって……』
レナードが枢密院に提出した書状はキャンベルの息の根を止めるほどのインパクトがあった。
『クソが……』
怒りがこみ上げたキャンベルは真鍮製のグラスを投げつけた。使用人の1人にそのグラスがあたると額から血を流れた。だがキャンベルはそれに対して目もくれず血走った目を見せた。
「ふざけるな!!!」
その声を聴いた使用人たちはキャンベル卿を見ると恐れおののき、その場を逃げるようにして去った。
「くそが、くそが、くそが!!!」
高級貴族とは思えぬ乱心した姿を見せたキャンベルは怒りにその身を焼いた。
「領地の没収……さらに身分の降格だと……ふざけるな!!!」
キャンベル卿の所有していた領地はその50%がその手から離れ、国庫に所属することになっていた。とくに都にある地価の高い一等地が没収されたことはキャンベル卿の資産を大きく毀損する事態であった。
しかし、問題は資産の没収ではなかった。
「私が……男爵だと……一代限りの貴族……継承権のないド底辺の男爵だと……」
ダリスの貴族において男爵という称号は平民に与えられる最高位ではあるが、あくまで一代限りの継承権のない『偽物』である。伯爵というノブレスオブリージュの中核を担っていたキャンベルとしてはゆるし難いものである。
「200年続いた我がキャンベル家が平民の成り上がりと同じ男爵だと……」
貴族の称号に対して強いプライドを持っていたキャンベルにとって爵位の降格は領地の没収よりもはるかにキツイものがあった。
「クソが、クソが、クソが!!!」
キャンベルは再び怒りに身を任せるとテーブルの上にあった食器を入り口のドアに向かって投げつけた。
「………」
だが、音を立てて割れるはずの食器は割れるどころか音も立てずにドアに吸い込まれた。
キャンベルが目を点にして入り口のドアを見るとそこには思わぬ存在が立っていた。
領地を奪われ、爵位を貶められたキャンベル卿の前に一人の人物が現れます。いったいこの人物は誰なのでしょうか?(プロローグが長くなったので2回に分けます)




