その7
申し訳ありません……長くなったので2回に分けます、次回が挿話の最終回です。
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凄まじい徒労感がマークを襲う……
『なんということだ……』
マークは一冊目を読み終えると300年前に起こっていた事象が今まで自分の学んだ知識と異なることに絶句した。
『……魔人との戦いは……』
書物は日記形式で戦況が記されていたが、そのほとんどが人間同士の諍いやエルフたちとの軋轢、そして亜人たちとの対立であった。
『エルフと亜人とともに手を取り合い、魔人の放ったモンスターを退治した。そして大賢者サルヴァンがその命と引き換えに魔人を倒したというのは……嘘だったのか……』
マークが学んできた内容とは異なり、初代ライドルが記した書物には魔人の力があまりに強く、エルフや亜人が魔人サイドに寝返ったと記されていた。
『これでは勝ち目がないではないか……』
マークは一冊目を途中まで読み終えるとすさまじい絶望感に襲われた。体が震え、言葉が出ない……軽い眩暈と吐き気が断続的に訪れた。
『魔人の圧倒的な力に恐怖した人々はその軍門に下り、その命を存続させようとした。エルフや亜人たちも同じか……』
圧倒的な魔人の力を見せつけられた人々は戦うことをやめて魔人の支配を望んだ……そして、そのために魔人に抗う人々の情報を売りわたし、その見返りに自らの命の保全を求めていた。
一方、エルフたちは同族を守るために団結すると、亜人の兵士たちの情報を魔人の配下に売り渡していた。同族を守るためとはいえ異人種の命を取引の条件としたのである。
『なるほど現在も亜人とエルフが対立するのは300年前の戦乱が起因していたのか』
初代ライドルが書物に記した陳述はあまりに陰惨で目の覆いたくなるものばかりであった。
『魔人とその配下の生贄にするために女、子供も容赦なく……』
己の命を存続させるために自分の妻を売った男の話……亜人の子供をだまして犠牲にしたエルフの話……人の道にそむいた外道たちの話は延々と続いた。
*
最初の一冊を読み終えたマークは大きく息を吐くと、黒歴史ともいうべき300年前の真実にその表情を歪めた。
『手を取り合って魔人を撃退したという史実はうわべのもので……事実は闇の深い不道徳なものか……なるほど……』
マークはそう思うと渋い表情で二冊目に手を伸ばした。
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二冊目は一冊目と変わらず陰惨な事案が記されていたが、その中で目を引いたのが僧侶の動向であった。回復魔法を用いて兵士たちの治癒にあたっていたはずの僧侶たちは戦況が不利になると尻尾を巻いて前線から遁走するという姿をあらわにしていた。
以下は初代ライドルが記した陳述である。
≪3月4日、雨……戦況はすこぶる悪く、前線の兵士はモンスターたちに蹂躙され無残な結果を残すに至る。されど僧兵たちはその治療をなおざりにしてその場を撤退。助かる見込みのある兵たちさえ見捨てて遁走……≫
マークは倫理を説く僧侶の逃げる姿にした唇をかみしめた。
≪3月6日、曇り……戦況はさらに悪化。南の砦まで後退した我々のもとに援軍は来ない……かろうじて保たれていた士気も司令官が討ち死にしたため混乱が生じる。3名の僧侶は怪我を負った兵士をモンスターの群れの中に放り込み、自らの脱出のための時間稼ぎに使うという愚行に及ぶ……≫
不遜な道を歩んできたマークでさえも吐き気を催す内容である、厳しい状況とはいえあまりに非道な行いは己が僧侶であることさえ恥じざるを得ない……
『魔人との戦いはこれほどひどかったのか……』
マークは苦しい思いを胸に読み進めると陳述の後半にわずかな光が見えてきた。
『魔人の側についた一人の魔女が我々のもとにあらわれる。ジーナという魔女だ。ジーナは持っていた魔導書を賢者サルヴァンに渡した。サルヴァンはその魔導書を分析すると魔人を倒す方法を編み出そうとした。』
マークは初めて史実と重なる陳述を認知した。
『魔女が魔人を裏切り、人間たちに力を貸したという事実はどうやら本当らしいな』
マークはそう思うと再び陳述に目を落とした。
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だが、次頁から記されていた内容は想像を絶した。
『なんと……間に合わないではないか……』
魔女ジーナのもたらした魔導書の理論を用いて賢者サルヴァンは魔人を倒そうと試みたのだが……魔人の猛攻により研究はストップ。それどころかサルヴァンとその弟子である2人の青年は魔人の放った機械兵により殺害されそうになっていたのである。
『研究があと一歩のところで頓挫……なんという……』
マークは思わぬ事態に打ち震えたがそこで二冊目は終わりを迎えた。唐突な展開に息をのんだマークはすぐさま三冊目に手を伸ばした。
*
だが、三冊目の書物は今までの二冊と違い明らかに陽気と思える紫紺のオーラが漂っている……
『ここで止められるか、私は真実が知りたいのだよ!』
マークは癒やし手の力を高めると全身全霊を用いて三冊目の表紙に手を置いた。
『この続き、読まねばならない!!』
マークの探究心に根差した魔導の力は紫紺の妖気を打ち払った。
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マークが三冊目で知った事実はあまりに非道でありそして不道徳であった。
『……そんな……』
賢者サルヴァンとその弟子たちは死の寸前でその命をつなぎとめていたが、彼らの命を救った『モノ』はあまりに不遜な存在であった…
『……こんなことをしていいのか……』
マークは生唾を飲み込み読み進めた、
『初代ライドルは賢者サルヴァンを助けるために……手段を選ばなかった……』
マークはその体を震わせた。
『……魔人でさえも厭った行いをライドルは……』
マークは次頁をめくるか逡巡した。
『……不遜の極み……』
だがマークの知的探究心は彼を叱咤した。
『……ここまで来て引き下がれるか!!』
マークはそう思うと次頁を震える手で開いた。
*
≪人の心には限界がある、そしてその限界を超えたとき人は廃される……≫マークの精神はライドルの陳述を読む進めたことで廃人への道が開かれていた。
『……300年前の戦い……このようなことが……』
『……なんという……なんという……なんという不義……』
マークはその眼を充血させ、鼻から血を流した。あまりの精神の混乱に対して人の備えている生理現象が異常をきたしのである……
『初代ライドルは……冥界と契約した……そして、この世の理を反転させる技法を身に着けた……』
マークは喀血した。
『……死者を……操る……』
『死者を軍隊として組織して魔人へ差し向けたのか……』
マークはあまりの闇の深さに体を震わせた。
『……あな、恐ろしや……あな恐ろしや』
初代ライドルが用いた技法の闇に触れたマークは『事の本質』を理解した。
『ライドル家は呪われているんじゃない……ライドル家が呪いの元凶なんだ』
マークは倫理や道徳を超越した先にある深い闇に身をゆだねた初代ライドルの選択にその身を震わせた。想像を絶するライドル家の秘密はマークという不遜な僧侶の心を木端微塵に砕いていた。
ライドル家の秘密を知るにいたったマークですが、彼はこの後どうなるのでしょうか?
そのあたり少し触れたいと思います。




