その4
9
肉感的な女を母屋にある一室(かつてベアーが使っていた部屋)にあるベッドに寝かせるとライドルは口ひげの生えた男を客間に連れ出した。
「すみません、客人が一人増えた。」
ライドルがそう言うと待っていたアルフレッドは『フム』とうなずいた。新たな客人を歓迎する様子である。
口ひげをはやした壮年の男はアルフレッドに簡単なあいさつを済ませるとマリアに回復魔法を施すべく、その場を離れようとした。
「お若いの、無駄じゃよ……あれは霊傷だ、回復魔法では無理だ。」
ライドルはそう言ったが男はそれにかまわず客間を出た。
*
「なにやら、穏やかではない様子だが?」
アルフレッドは修羅場が発生しているにもかかわらず葡萄酒をグラスに注ぐとチーズを一つかみ掴んで口に放り込んだ。その所作には余裕さえ感じられる。
それを見たライドルは同じく葡萄酒を愛用のマグカップになみなみと注いだ
「礼拝堂を漂う霊気と先ほどの青年のもつ魔道の力がぶつかった結果、ちょっとした事故が起こりましてね……女性のほうが昏倒したのですよ」
ライドルは何事もないかのように述べた。
「癒やし手の力が礼拝度の持つ霊力と相反したんでしょうね」
アルフレッドはライドルのことばの中に不可思議なものを感じた。
『先ほどの呪われた防具の処理といい、癒やし手の力とぶつかる事象といい、やはりこの一族はただの僧侶ではないな……それにあの聖堂にも秘密がありそうだ……』
アルフレッドはそう思うと再び葡萄酒をグラスに注いだ。
10
そんなときである、不快そうな表情を浮かべて口ひげを生やした男が居間に戻ってきた。その表情は実に真剣である。
「癒やし手の力が効かんのじゃろ?」
ライドルがそう言うと男はしぶしぶ首を縦に振った
「なかなか腕は立つようじゃが、目利きはあまいようじゃな」
ライドルは入れ歯をはめなおすと男を見た。
「この礼拝堂の持つ力は僧侶の持つ聖なる力とはそりが合わんのじゃよ」
ライドルは男に椅子をすすめた。
「お供の御嬢さんは死にはせんよ、だが回復するには時間がかかる……2週間程度かな」
ライドルはアルフレッドを見ると男に葡萄酒を進めていいか目で合図した。
アルフレッドは鷹揚にうなずくと口ひげの男に声をかけた。
「まあ、座りなさい。急いだところでおぬしの伴侶も治るわけでもあるまい」
アルフレッドがそう言うと男は大きく息を吐いて椅子に座った。そこには半ばあきらめのような感がある……ベアーの祖父を試すという行為の代償が想定外に厳しかったためである……
「そなた、名前は何という?」
ライドルがそう言うと男は答えた。
「マークといいます」
ライドルはフムと頷くと隣にいた筋骨たくましい老人を紹介した。
「このうまいワインを提供してくれたお方はアルフレッドさんだ」
マークはその名を聞くとぎょっとした表情を浮かべた。
「まさか……賢者アルフレッド様では……」
マークが恐る恐るそう言うと筋骨たくましい老人はかぶりを振った。
「かつての名はとうの昔に捨てた、いまはただの旅人だ」
アルフレッドはそう言うとハムとチーズを挟んだ胚芽パンをほおばり、ワインで流し込んだ。
マークはその姿を見ると絶句した。
『どういうことだ……ライドルの力を試しに来たのに、そこに賢者が同席しているなんて』
想定外の事態がマークの眼前では立て続けに生じている……
『アルフレッド様は確か、魔道兵団とのつながりも……いや兵団の長であるはず……』
マークは健康的な老人を目の当たりにすると二の句を告げられなくなった。
『……何たる偶然……』
マークが沈黙していると再び葡萄酒をカップについだベアーの祖父がねっとりとした視線をマークに浴びせた。
「偶然だと思ったかね?」
言われたマークはその顔を上げた。
「人の出会いに偶然はない。出会いはすべて必然。天の定めた軌跡の結果じゃよ」
ライドルが人生訓を述べるとアルフレッドが顎髭に手を置いた。
「確かにそうかもしれんな……世界は新たに動き始めている……」
何やら意味深な発言をしたアルフレッドはマークを見た。
「お主はこの時代には珍しく魔道の力に適性がある。その力の方向性をそろそろ考える時期かもしれんな」
言われたマークはそれに対して意味が理解できないという表情を見せた。
「娼婦と旅を共にする僧侶というのは意外に珍しいものだ。おぬしも何か目的があってのことだろう。」
アルフレッドがマークの意図を見透かすとマークは沈黙した。
「破戒僧の道を歩んで得られるもの……『悟り』といったところかな」
ベアーの祖父がにやにやしながらそう言うとマークは嫌な表情を見せた。己の行動を読みぬかれたことに対する不快さが滲んだのである。
「ところで、お主、本当はここに何をしに来たんだ、ライドルの顔を拝みにきたわけでもあるまい?」
アルフレッドの物言いは実に柔らかいが嘘を許さぬ鋭さがあった。
マークはしばしの沈黙を経ると表を上げた。
「300年前、魔人を倒した勇者の一族の力をこの目で見たいと思いました。そしてその力の源がなんなのかを知りたいと……」
マークが率直な意見を述べるとライドルが忍び笑いを漏らした。いわゆる『プークスクス』というやつである。
「昔からよくおるよ、その手のタイプは……」
ライドルはそう言うとマークを見た。
「わが一族は代々呪われておる、それゆえあの礼拝堂もただの聖堂ではない。無学な僧侶は歴史を知らずに聖なる力の源と思って勘違いしとるがの……」
ライドルはそう言うとマークに思いついたかのような提案を持ちかけた。
「お主の伴侶が回復するには2週間ほどはかかるじゃやろ、下手に体を動かすこともできんじゃろうし……それまでのあいだ、ちょっと仕事を頼まれてくれんか?」
言われたマークが怪訝な表情を見せた。
「老人を試した戒めじゃ、そのくらいのことはしてもらわんとな」
ライドルが意地悪くいうとマークは不快なため息を吐いた。
「なに大したことじゃない、礼拝堂の地下に書庫があるのじゃが、そこの書物を虫干しせねばならんのじゃや。それを手伝って欲しいんじゃよ。」
ベアーの祖父はそう言うとマークを見つめた。
「お主、本当はわが一族の秘密を知りたいのだろ?」
言われたマークはごくりと生唾をのんだ。
その様子を見たベアーの祖父は書物をもって階段を上がるのを嫌がる様子を見せた。
「じじいには階段が膝にくるものでな……」
ライドルの意図を悟ったマークはコクリとうなずいた。
ベアーの祖父とマークのやり取りをワインをたしなみながらのぞいていたアルフレッドは口角を上げた。
『面白い試みだな……』
書物の整理という意味合いの中に『含み』を感じたアルフレッドは探究心旺盛な少年のような表情を見せた。
ベアーの祖父のところに訪れた男はマークという人物でした。ベアーが初めて船に乗って向かったトネリアの港町で出会った不遜な僧侶です。ちなみに昏倒しているマリアはダーマスの娼館にいた娼婦です。
さて、この後、マークは『ライドル家の秘密』にたどり着けるのでしょうか?




