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その3

しばし時がつと、盛装に身を包んだライドルがやってきた。先ほどとは打って変わり、柔和な笑顔を浮かべると僧侶らしい振る舞いで二人に話しかけた。


「祝詞ということですが、お二人は夫婦ですかな……ああ、もしや、おめでたですか?」


若干ながら卑猥な表情でセクハラまがい言葉をライドルがかけると、肉感的な女のほうが小さな咳払いを見せた。どうやら違うという意味らしい……


「ということは……大願成就とか健康祈願といった類かな?」

 

ライドルがそう言って口を開くと、はめていた入れ歯がずれ落ちた。


 妙な空気が礼拝堂に流れる……何事もないかのように入れ歯をはめなおす小柄な老人の姿は祝詞を頼んだ二人からすれば何とも言えない珍妙さがある。


肉感的な女は男の袖を引くと、その耳元で囁いた。


「このおじいさん、大丈夫なの?」


肉感的な女が非難を込めた声でそう言うと男のほうも眉間にしわを寄せた。



『ライドル家の一族には……もう力がないのか……』



 男は一瞬そんな考えを脳裏に浮かべたが、その思いを振り払ってライドルの持つ力を試そうとある単語を述べた。



「五穀豊穣を祈願したい」



 五穀豊穣祈願とは神仏に対して穀物(麦、米、稗、粟、豆)が豊かに実ることを祈ることである。その根底には主食である穀物がしっかりと実れば飢えに苦しむ人々がいなくなるという思いがある。


だが、五穀豊穣とは僧侶の世界ではそれだけではない。


 僧侶の世界における五穀豊穣とは争いを忌避して人々の生活が質素でありながらつつましく成り立つことを意味する。主食である穀物が減って飢饉になれば人々は生きていくために争いを起こすが、逆に五穀以外のものが豊かになりすぎれば、その富を巡って諍いをおこす……


 つまり食うに困らず、かといって豊かになりすぎない状況というのが五穀豊穣の本質であり、それが人々の生活を安定させてその精神に安寧を与えるという意味合いなのだ。


ベアーの祖父、ライドルはコホンと咳払いすると口ひげを生やした男を見た。


「お布施の値段が上がりますけど、よろしいですかな?」


言われた男は鷹揚にうなずいた。


                                   *



『さて、いかなる魔道の力をみせるのか……』


 祈りのなかにある言霊はその僧侶の持つ魔道の力を反映している。すなわち祝詞を読む僧侶の言葉を耳にすれば、その人間のもつ力がわかるのである。


『さあ、ライドルよ……お前の片鱗を見せてみろ』


口ひげをはやした壮年の男はライドルの力を試すべく、祝詞を読む言葉に耳を傾けた。



だが……



祝詞を読む老人からは魔道の力どころか、その息吹さえ感じられない……言霊には力が宿っていないのである……



『どういうことだ……素人以下じゃやないか……』



 微塵の魔力も感じさせないライドルの祝詞には言霊と思しき片鱗はない。ただ節をつけて謳うように発話しているだけである。それどころか時折、入れ歯が外れるためにその調子も時折寸断されるというありさまである……



『呪われし一族……この程度の力なのか……』



壮年の男は沈思した。



『300年前に魔人と戦った勇者の一族も……時がたてばただの木偶の坊か……どうやら私の思い過ごしのようだな……』


男はそう判断するとやおら立ち上がった。



「もう結構です、ご老人……さあ、マリア、帰るぞ」



 男は肉感的な女にそう言うと30ギルダーを椅子において礼拝堂の入り口へとすたすたと歩いて向かった。



だが、その背中に向けて老人が言葉をかけた。



「お若い方、もうしわけないが……この金額ではたりんのだが……」


 ライドルがそう言うと壮年の男はそれを無視して礼拝堂の扉を開けようとした。そこには祝詞を読む行為を茶番と認識した客観的な冷徹さがある。


「300年前に魔人を倒した勇者の一族がこの程度の力しかないとおいもいませんでした。」


男は半ばあざけるような口調でそういうと振り返った。


「30ギルダーでも高い金額だと思いますよ」


男は侮蔑を込めて言い放つと、入り口の扉を押し開こうとした。



だが、扉は開かない……閂が外からかかっているわけでもなく、鍵がかかっているわけでもないのに……



男は扉から手を放すと観音開きになった扉の紋様に目をやった。


「もしや……これは……」


 男が小さな声でつぶやいたときである、肉感的な女のほうが外に出ようと扉を押し開こうと両手を扉の戸に置いた。



「だめだ、マリア、触るんじゃない!!」



 男がそう言ったときである……雷鳴にうたれたがごとく女は体を震わせるとその場に崩れ落ちた。糸の切れた人形のような倒れ方である。


男は想定外の事態にたじろいだが、すぐさまライドルに向き直った。



「これは、どういうことかな、ご老人?」



にらみつけられたベアーの祖父は何食わぬ顔で答えた。



「料金が足りないといったじゃろ」



そう言ったライドルの背中には僧侶とは程遠い不道徳なオーラが滲んでいた。



ライドルは倒れた女のもとに近寄ると脈をとって状態を確認した。


「大したことはない……気を失っているだけじゃ……回復するには少々時間がかかるがな」


ライドルはそう言うと今ほどおこった現象について言及した。


「この礼拝堂の持つ力が、お前の持つ力と反作用を引き起こしたんじゃよ。通常なら起こりえぬことだがな……」


ライドルは口ひげをはやした男をねめつけた


「お主……魔道の心得があるようじゃな……」


ライドルはそう言うと男の右手を見た。


「癒し手か……どうやら、お主、僧侶のようだな」


ライドルは意地悪く笑った。


「この礼拝堂の地下には秘密があってな……魔道の力を持つ者に反応するんじゃよ、とくに力のあるもには強くな」


ライドルはこの礼拝堂がまるで生き物であるかのように言い放った。


「強い力に不遜な思い……それらがあいみまえた結果、入口の扉は開かなくなったのだろう」


 ライドルは男の意図を見透かしたかのように言うと、鼻の穴から飛び出た鼻毛を抜いてフッとそれに息を吹きかけた。


鼻毛は礼拝堂の静謐な空間を揺蕩うと、閉まった扉の壁面に吸い込まれるようにして張り付いた。



そして……



閉じた扉がぎぎっと音を立ててゆっくりと開いた。


「その娘の手当てが必要だ。母屋のほうへ」


ライドルはそういうと肉感的な女の胸を凝視した。



「詰め物をしておらんようだな……」



ベアーの祖父はそういうと男を真剣な表情で見つめた。



「お主、この娘の胸を毎晩……」



ライドルはそう言うと鼻息を荒くした



「……うらやましす……」



口ひげを生やした男はおもった



『何言ってんだ、このじじぃ……』



想定外の展開に口ひげをはやした男は絶句した。


ベアーの祖父の力を試そうとした壮年の男ですが……とんでもない展開が待ち受けていました。


さて、この後どうなるのでしょうか?

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