第八話
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ポルカはなだらかな丘を切り出して造られた町で、上方が所得の高い富裕層が住み、下方は貧困層が住むという具合になっていた。役所や公共機関はちょうどその中腹に位置し、両者を分ける塀のようになっていた。どちらかというと中間層の少ない街で少数の富裕層と多数の貧困層でわかれていた。住居も明らかに違っていて富裕層はコンドミニアムや庭付きの屋敷に住んでいたが、貧しい層の人々は集合住宅にひしめき合って住んでいた。
坂を上がって20分ほど歩くと役所が見えてきた。ドリトスと違い3階建ての立派な外観にベアーは港町の経済力を感じた。ポルカの人口はミズーリと同じくらいだが、交易という観点では比にならないほどの物流がある。人の出入りもあれば商品の搬入もある、にぎにぎしく行きかう人の列は途切れることがなかった。
「すごい人の量だな、港町ってこんな感じなんだ」
役所の入り口も混雑していてベアーは驚きを隠さなかった。
ベアーは中に入ると一階の入り口に張り付けられた情報板を見た。
「職安は二階だな」
石造りの階段を上り職安セクションの受付にいくと昨日もらった書類と必要事項を記入した申請書を係員に提示した。
「あの、どこか住み込みで働けるところはないでしょうか?」
初老の係員はベアーの申請書に目を通した。
「あるにはあるけど……君の志望する貿易商の見習いはないね」
「そうなんですか」
「貿易商は上級学校に行くか、公用語がネイティブ並みにできないと駄目なんだ。今の君の経歴ならきびしいよ、それに人気職だからね……」
窓口の老人は淡々と話した。
「状況的に厳しいのわかるけど……他の職ならあるよ」
そう言うと3か所ほど住み込みができるところを教えてくれた。
*
事務の老人が提示したのは飲食関係の3件であった。
「これは大衆食堂、俺たちみたいな一般人が行く店だね、それでこっちはレストラン、山の手の金持ちが行くところだ。3件目はパスタ専門店だな、このパスタ屋は結構人気があっていそがしいんだけど……どれがいいかね?」
ベアーは悩んだ。
「給料はどうですか?」
「どれもさほど変わりはない、だけどレストランはチップが上乗せされるから、レストランが一番いいだろうね」
「じゃあ、レストランでお願いします」
ベアーが即答すると年老いた係員は書類をまとめた。
*
こうしてベアーは山の手のレストランに向かった。役所から北東に向けて坂道を上ると30分くらいで看板が見えてきた。高級レストランと呼ばれるだけあって店構えは立派で店舗裏のテラスは高級感が漂っていた。
「すげぇな……」
テラスに置かれているイスとテーブルには装飾が施され遠目から見ても高級品だとわかった。ベアーは入口の看板に近づくとその隣の黒板に書かれているメニューを見た。
『何だ、このポワレって?』
ポワレとは蒸し焼きにした魚や肉料理の総称である。ムニエルと違って小麦粉を素材にまぶさないのが特徴だ。ベアーはそうした料理の知識はないので首をかしげるほかなかった。
そんな時である、入り口から不審な表情を浮かべた男がやってきた。細身の男で執事のような恰好をしていた。
「何か御用ですか?」
「あの、バイトの面接を受けたくて」
男はベアーを隅から隅まで見た。
「申し訳ありませんが、先ほどの面接で決まりまして。現在は募集しておりません」
そう言うと痩せた男は『さっさと帰れ』という表情を見せてスタスタと店の中に戻っていった。
ベアーは男の態度から一瞬で嘘だと見抜いたが、人の足元見るような人間に顎で使われるなら無理して面接までこぎつける必要はないと思った。
『よくない状況が続くときは無難に過ごすのが一番じゃ、背伸びをして身の丈に合わないことに挑戦したり、変に高望みしたところでよい結果が出ることはない。』
祖父が礼拝堂で話していたことをベアーは思いだした。
「次に行こう!」
ベアーはひとりごちると気持ちを切り替えた。
*
ベアーは再び役所の職安の窓口に舞い戻った。
「すいません、駄目だったんですけど」
先ほどと同じ初老の男がベアーに対応した。
「じゃあ、パスタ屋か食堂だけど、どっちがいい?」
「近い方がいいんですけど」
「じゃあ、パスタ屋だね」
こうしてベアーはバイトの面接を受けるべく書類をもらってパスタ屋に向かった。
*
パスタ屋は役所から歩いて20分ほどの所にあった、外観は丸太を組み合わせたロッジ風になっている。
『ここだな……』
個人で営んでいる店らしくあまり規模の大きな店ではない。カウンターだけの簡素な造りになっていた。
ベアーは木扉を開けて店内に入った。ランチタイムが終わり時計の針は16時近くを差していた。
「すいません、職安から紹介されてきたんですけど」
店番をしていた太った中年女はベアーを見ると裏の工房に回るように指示した。態度からベアーは今の女が店主だと思った。
ベアーが裏に回ると先ほどの女が現れた。
「これが書類です」
ベアーは書類を渡したが、女は書類見ずにベアーに一言かけた。
「あんた腕を見せて見な」
ベアーはそう言われ袖をまくった。
「力仕事の経験は?」
「前にチーズ作りをしていたんで、それなりに…」
女店主は両腕の筋肉のつき具合を見た。
「明日の朝、8時に来な、生地作り耐えられたら採用、駄目ならそれで終わり。何か質問はあるかい」
ベアーがかぶりを振ると女店主は店に戻っていった。
素っ気ない女店主の対応にベアーはどうするか迷ったが、もう一軒の大衆食堂に面接に行くのも時間的に無理なので明日の『生地作り』にトライすることにした。
『麺打ちか……やったことないな……でも選んでる余裕はないしな……』
ベアーはそう思うと風景に目をやった
すでに日が暮れ始め、丘の中腹からは海の水平線に太陽が沈んでいくさまが見えた。港に入る船がオレンジ色に光る水面をすべる様子は何とも言えない旅愁がある。ベアーは宿無し、一文無しの状態であったが小高い丘から海を眺めると何となくだが気分が落ち着いた。
*
ベアーがシェルターに戻ると何人かの子供たちがロバと戯れていた。
「耳、長いね~」
「足は短いよ!!」
「鼻フガフガしてる」
亜人の幼児が必死になってロバの背中に乗ろうとしていた。
「駄目だ、高い…」
腰の位置があわず四苦八苦していた。
ベアーは近づくと男の子の足を支えてやった。
「すげ~」
背中に乗ると景色がわかる、亜人の幼児は目を輝かせた。
子供たちはベアーを見るとニコニコした。
「このロバ、おにいちゃんの?」
「そうだよ」
ロバの背中に乗った子供がたずねた。
「ロバ、いいね~」
周りにいる子は足を引っ張ったり、お尻を叩いたりと実に楽しそうにしている。ロバの方は別に嫌がらずいつもの感じで干し草を食んでいた。
「僕も欲しいな~」
「私も飼いたい」
子供たちは思ったこと口に出した。
『そうだな、もしここで飼ってもらえるなら、それもいいかもな。子供たちと戯れるのも悪くないだろうし』
住み込みと言えども厩までついているとは限らない、ベアーはいい考えだと思った。
『聞いてみるか、あのメガネおばさんに……』
ベアーはそんな風に思った。
*
夕食は朝食と同じく貧しいものだった。
『胚芽パンとスープか……このスープ、朝と同じだな……』
余り具が入っていないスープはお湯のようでお世辞にも美味いとはいえない。だが、子供達が食べている様子を見ていると文句を言うのも申し訳なく、ベアーはひたすら不味いスープを口に運んだ。
「ベアーさん、職探しの方はどうですか?」
いきなり話しかけられてベアーは驚いたが、スプーンを置くとかしこまった。
「はい、一件目は駄目だったんですが、二件目は面接してもらいまして、明日の実技で採用するかどうかが決まるそうです……」
「そうですか、はやく決まるといいですね」
異様にプレッシャーをかけてくる話し方にベアーは若干不快になったが、ただで泊めてもらっている以上強くでれない。
「あの、ロバなんですけど……」
「ロバが何か?」
「その、子供たちも喜んでいるので、厩に置かせてもらえないかと……」
中年女はベアーをジロリと見た。
「タダでは無理です。このシェルターは税金と寄付で賄われています、寄付金を出すというなら考えますが」
ベアーはにべもない女の口調に対して、一文無しのため沈黙せざるを得なかった。




