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第二十五話

64

レナード卿の怒りは腰の刃を抜くほどにいたっていた。バイロンは内心ワクワクしていたもののレナードの表情が『マジ』だとわかるとその表情を歪めた……


『刃傷沙汰になっても……議決がひっくり返るわけじゃないのに……それに刃を抜けばレナード卿もただじゃすまない……』


 お茶会というこしきゆかしき会合で血が流れればレナードも罰せられるのは明白である。場合によっては帝位継承権を失う可能性さえある。


だが格下のキャンベルに舐められたレナードの表情には殺意が滲みだしている……


『……これはガチでヤバいぞ……』


バイロンがそう思ったときであった、会場に重々しいひと声が飛んだ。


                                  *


「やめい!!!」


それは一ノ妃から発せられたものであった。


「議題の採決が取られて決定したものを覆すことはできない……それはお茶会での決まり事です。レナード卿、これ以上の乱心はそなたの未来を奪うことになりますよ!!」


一ノ妃に強く主張されたレナード卿は怒りで体をブルブルと震わせた。


「刃を抜けばあなたは終わりです」


 一ノ妃に冷たく突き放されたレナードは近くのテーブルを蹴り上げた。そして一ノ妃に挨拶さえせずにお茶会の会場から逃げるようにして去って行った……


                                   *


一触即発の緊張感が会場から薄れると一ノ妃はその場にいた貴族たちに語りかけた。



「帝位継承の改変は採決の通りに」



なんと一ノ妃が帝位継承権の改変を自ら認めたではないか……


まさかの言葉にバイロンは絶句した。


『……そんな、このままじゃ……』


バイロンはそう思ったが、その一方で乱心したレナード卿を配慮する一ノ妃の意図も理解できた。


『ここでレナード卿が刃を抜けば帝位継承権を失うことになる……そうすれば二ノ妃様が自動的に帝位につく……一ノ妃様はその点を考慮して……』


バイロンは苦渋の決断をした一ノ妃の思いに思慮深さを感じた。



だが負け戦であることは否めない。



『どうやら、この勝負は負けみたいね……マーベリックも間に合わなかった……時間稼ぎも無駄だった……』


バイロンは大きなため息をついた。


『二ノ妃に帝位継承権があたえられれば、ダリスの商工業者はパストールにつくんだろうな……そうなったら、ダリスはトネリアに飲み込まれるんだろうか……』


 バイロンは『物語』のように都合よく事が運ばない現実をその眼にしたわけだが、形容しがたい敗北感が背中から忍び寄っていた。


『……これが負けるってことなんだ……』


 バイロンは悔しさのあまりに目頭が熱くなったが、中途半端な義憤に駆られてキャンベルを糾弾したところで、証拠をもたないバイロンでは何の役にも立たない……


『今は議事進行に全力を注ごう……』


バイロンはそう思うとリンジーに渡されたプログラムを滔々と読み上げた。


「では、みなさま、全ての議題に対する議決が滞りなく行われましたので、結びに一ノ妃様より閉会の御言葉を賜りたいとおもいます。」


バイロンは感情をおさえてそう言うと一ノ妃が壇上に上がるのを待った。



65

一ノ妃は壇上に上がると高級貴族の面々を見回した。


「この度の議決、みなの思いがよくわかった。議題できまったことはきっちりと法制化することになるだろう。帝位継承に関しても同じだ。」


総攬者として統括した一ノ妃は自分の思いが届かなかったにもかかわらず腹を据えた一言を物申した。


「皆の者ご苦労、では……これにて今季のお茶会は……」


 一ノ妃が続けようとした時である先ほどまで中座していなかったレイドルが突然会場に現れた。そして高々と右手を上げた。


 一ノ妃の発言中に挙手するとはよほどのことがない限り許されないが、レイドル侯爵はそれを無視して発言を求めた。


バイロンは司会進行役として止めるべきか迷ったが、その視野に脇をおさえたマーベリックが入る。


『……もう、採決は終わったわ……いまさら……』


バイロンはそう思ったがレイドル侯爵は何食わぬ顔で一ノ妃に近づくとくぐもった声を上げた。



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「一ノ妃様、これを」


レイドルはそう言うと書状を取りだした。


「最後に記された結論部分だけをお読みください」


言われた一ノ妃はレイドルをねめつけた。


「すでに議決はとられた。もう遅い……」


 一ノ妃が力ない声でそう言うとレイドルは実に不遜な眼を見せた。その眼力には一ノ妃の思いを払拭するような黒い輝きがある。


それを見た一ノ妃は閉会の挨拶を棚上げし、言われた通り書状に目を通した。


                                 *


「……ほう……」


一ノ妃はそう言うとバイロンを見た。その眼光は実に鋭い――


「これを皆の前で読んで披露しろ」


言われたバイロンはコクリと頷くと深々と頭を下げて一ノ妃から書状を受け取った。


                                 *


≪先般、キャンベル卿の別邸で行われたマスカレードにおいて――問題が生じたという証言があったため、その調査を秘密裏に行った。そしてその結果、館の中にあった燭台の台座の中に残されていた結晶を分析するに至った≫


バイロンが便箋のページをめくるとチャートと聞いたこともない単語が整然と並んでいた。


『なんだ、これ、意味わからん……』


バイロンは良くわからぬ単語を適当に読み上げた。



「かくかく云々……云々しかじか……」



何のことかわからない貴族たちは首をかしげたが、バイロンの最後の一言で彼らの表情が変わった。


「以上の資料はキャンベル卿の別宅で採取された結晶の分析内容である、この結晶は熱により変化し、赤い靄となることが確認された。」


赤い靄と聞いた貴族たちは辺りを見回すと顔色を青くした。


その表情を見た一ノ妃はほくそ笑むとバイロンに読み進めるようにアイコンタクトした。


                                   *


バイロンは資料を読み上げ終わると、結論部分に至った。


『さらに、詳しく調べた所、結晶の成分にはわずかではあるが特殊な材料が使われていることが分かった。禁止薬物、すなわち魔女の秘薬ポーションが含まれていることを』


 バイロンがポーションという単語を言い放つと会場がどよめいた。そこには明らかにタブーを犯した人間の怖れがある。


『ポーションにより生成された赤い靄には人間の精神を一時的に倒錯、腐乱せしめる影響がある。それは靄に晒された期間と比例するため、3時間以上キャンベル卿の別邸にいた者は現状でもその影響下にある可能性がある。すぐにでも精神鑑定を受ける必要がある』


バイロンがそう言うとキャンベル卿のマスカレードに参加した貴族たちが声をあげて右往左往しだした。


そのときである、会場の中にいたキャンベル卿が声を荒げた。


「私の館で魔女の秘薬などあるはずがない、でっち上げだ!!!」


キャンベル卿はそう言うとバイロンに詰め寄ってその資料を奪い取ろうとした。


「かりにポーションの成分が検出されたとしても秘密裏に我が館に忍び込んで調べた資料など、法的には何の価値もないはずだ!!」


 キャンベル卿の指摘は全くその通りで、不法侵入して得た証拠は刑事事件の証拠になるとは言い難い。キャンベルはその辺りのことを念頭に入れて発言した。


「何があったとしても、問題ない、むしろその分析した人物を成敗してくれる!!!」


キャンベル卿が自信を見せてそう言うと会場が静まり返った。不穏な静寂がお茶会をつつむ……


だが、それに対してバイロンは淡々とした物言いで便箋の最後に書かれた署名欄を読み上げた。



『以上の分析は魔導兵団長、アルフレッドがお墨付きを与えるものである 以上』



 バイロンが魔導兵団長、アルフレッドという固有名詞を告げると不穏な静寂が急激に変転し会場の空気が凍りついた。


キャンベル卿はその表情を変えると言葉を無くした。


『……股間プラプラ卿が沈黙した……』


バイロンがそう思った時である、締めの挨拶をするべく壇上にいた一ノ妃が口を開いた。


「ポーションは魔導兵団の扱うフィールドだ。我々でも賢者アルフレッドの知見は無下にはできない。」


 魔導の力の介在するケースは一般の事案と異なり、魔導兵団による調査と裁断が行われる。すなわちポーションが分析結果としてあらわれた事案は、高級貴族であっても物申すことができないのである。


「ここにいる者たちの中でキャンベル卿の別邸に行ったのは誰だ?」


一ノ妃がそう言うと会場の貴族たちは沈黙した。みな状況が異常であることに気付き始めている……


一ノ妃はその様子を感じると厳かな口調で話しかけた。


「正直に手をあげれば、咎めはせんぞ――被害者に温情をかけるのは帝位につく者としての情けだ。」


 一ノ妃が老獪な物言いで『被害者』という単語を強調するとその場にいた貴族たちはポツリポツリと手をあげだした。


『……みんな、手を上げてんじゃん……』


 先ほどは帝位継承権の改変に賛成していたはずにもかかわらず、貴族たちは『自分たちは被害者だ』という立場にその身を置き換えると一瞬にして手の平返しを見せたのだ。


「どうやら、ほとんどのようだな……」


一ノ妃はそう言うとぎらついた眼でキャンベルを見た。


「お前の別邸で生じた事案だ。もてなすホストとしての責任があるぞ。お前の責任は他の者よりも重い、キャンベル卿、覚悟しておくのだぞ」


 言われたキャンベルはその場にへなへなと崩れ落ちた。懐柔した貴族たちに土壇場で裏切られたキャンベルの表情は青白く精気がない……敗軍の将と思しきものである。


『……こんな、ことになるなんて……』


 奸計が失敗し土壇場で状況がひっくり返ったキャンベルの姿はあまりに哀れである。だが、それで済むほど貴族の世界が甘いわけではない、暗く閉ざされた未来がキャンベル卿に訪れるのは間違いない……


 一ノ妃はキャンベルにダメ押しのにらみを利かせると周りを見ましてゆっくりとした口調で貴族たちに話しかけた。


「賢者アルフレッドの報告ではポーションの影響を受けた者は精神鑑定の必要があると記されている――」


一ノ妃がそう言うとバイロンの心中に精神鑑定という単語が響いた。



『……精神鑑定の必要がある人間の議決は認められないはず…………』



バイロンはそう思うと口を真一文字に結んだ



『これがレイドル侯爵とマーベリックの狙いだったんだ……議決がなされた後にお茶会そのものをひっくり返す……』



バイロンがそう思った時である、一ノ妃が何食わぬ顔で言い放った。



「本日のお茶会で採択されたものはすべて反故と致します。では皆さん、ごきげんよう」



一ノ妃はいつもの表情でそう言うと壇上を下りて会場を颯爽と去って行った。



残された貴族は唖然とすると、沈みゆく日差しを背中にうけて呆けた表情を浮かべた。



『最後の最後に大逆転……ちゃぶ台返し大作戦……恐ろしいわ』



バイロンは唖然とすると同時にマーベリックの作戦に呻らざるを得なかった。




ちゃぶ台返し大作戦がさく裂したことによりパストールとキャンベルの企みは水泡へと帰しました。これにてお茶会編は終わりとなります。


* 次回は10章の最終話となります



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