第二十話
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バイロンと別れてしばし――マーベリックはレイドル侯爵の乗車する馬車の御者となり、その手綱を『宮』へと向けていた。
裏門を抜けて欅の並木道を進むと待ち合わせ場所ではすでに目的の人物が待っていた。
「報告があるとききましたが」
そう言った人物はエレガントに座席に腰を掛けると権力者としての威厳を滲ませた。
「はい、一ノ妃様、先週末の事案でございます。」
包帯で顔を隠した男、レイドル侯爵はそう言うとキャンベル卿の別邸で行われた仮面舞踏会について触れた。
「橋梁案件の談合はパストールの策により破談したようです。レナード卿とキャンベル卿が手を組んで士官候補生を二ノ妃様の貢物にしようとしたのですが、それを察知したパストールが事件を引き起こしたようです。」
「そうか、では談合は結果的に失敗になったということか?」
「現状はそうなります」
レイドルはそう言うと声のトーンを低くした。
「ですが芳しくない事実も」
レイドルはそう言うと先週末の詳細を語った。
「そうか……パストールの手下が妙な靄を発生させたということか」
「はい、この件は魔導兵団の長に報告しております」
言われた一ノ妃は神妙な面持ちを見せた。
「賢者、アルフレッドか……理解不能な事案となれば当然だな」
一ノ妃が鷹揚に頷くとレイドルはマーベリックの報告をかいつまんで話しだした。
*
レイドルの報告を耳にした一ノ妃は深いため息をついた。貴族の痴態を耳にしたことで衝撃を受けている。
「あの館で行われていたことは恥ずべき事であります。レナード卿はうまく回避されたようですがホストのキャンベル卿は醜態をさらしたようです」
「二ノ妃はどうだ、まさか乱痴気騒ぎに巻き込まれたのではないだろうな?」
一ノ妃が不愉快そうな表情をみせるとレイドルが即答した。
「それはございません、間一髪のところで第四宮の宮長と副宮長の手で逃げ延びております。」
言われた一ノ妃は大きく息を吐いた。
「それを聞いて安心した。トネリアの皇女が人心腐乱になったとなれば、トネリアとの関係にひびが入るやもしれん。」
一ノ妃はそう言うとその表情を変えた。
「だが、ひとつ気になることがある」
レイドルは興味津々な眼を見せた。
「パストールは本当に橋梁工事の談合をあきらめたのか。あの男は執着心の塊だと聞いている。」
一ノ妃はレイドル以外にも情報源を持っているらしくパストールの行動に不信感を持っていた。
「橋梁工事に関しては問題ありませんが……」
レイドルは口をつぐんだ。そこには闇に付帯して情報を精査する人間の熟慮がある。
「まだ他にも……あるということか」
一ノ妃に言われたレイドルの表情は包帯によりわからないが、小さな動揺がある……
「そろそろ茶会だ、あそこでは多くの提案がなされ秘密裏に話が決まる。我々、帝位の人間はそれを総攬するだけで拒否権があるわけではない。」
一ノ妃が現状を憂うとレイドル侯爵はかしづいた。
「頼むぞ、レイドル」
一ノ妃はそう言うと会話を切り上げた。
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乱痴気仮面舞踏会を終えて1週間、バイロンとリンジーは翌週催される『お茶会』の用意にてんてこ舞いになっていた。
「お茶会では粗相は許されません、ダリスの高級貴族がすべて集まり政治や経済事案の方針をお決めになります。つつがなく行事が遂行されるために我々は役目を果たさねばなりません」
リンジーが訓辞を垂れるとバイロンがにらみを利かせながら食堂に立ち並んだメイドたちを見回した。
「それぞれが自分の役目をきっちりと果すように、では散開!!」
リンジーはそう言うと台座(小柄なリンジーのためにこしらえた木箱)から降りた。
『ちょっと宮長らしくなってきたな……リンジー……』
バイロンはそう思ったが眼の前にある行事、お茶会の事を考えると心持は重たかった。執事長のマイラが残したマニュアルはあるものの、経験のない行事に不安感はぬぐえない
さらには人手が足らず新人メイドも現場に投入せざるをえず、粗相を犯すのではないかという危惧もある。
『そう言えば、二ノ妃様の専属メイドはどうしたのかしら。』
はやり病で宮から隔離された二人であったがいまだに復帰の連絡はない。すでに2週間が過ぎている……
「こんなに忙しいのに二人も休まれると、穴が埋められない」
バイロンは人員の配置に苦心した。
「ねぇ、リンジー、二ノ妃様に誰をつける?」
バイロンがお茶会での業務をリンジーに仰ぐとリンジーが困った表情を見せた。
「お茶会の公務にはあの二人は間に合わないみたい。今朝、病院から知らせが届いたの……まだ熱が下がらないんだって。」
言われたバイロンは負担が増えることに不愉快な表情を見せた。
「困るわ、それは……」
新人とベテランの様子を見ながら最大行事を向かえなくてはならないときに、お茶会の経験のある二人のメイドがいないことは大きな痛手である。
「ルッカさんが指示を出しても、全部を統括できるわけではないし。行事の進行には宮長がかかわるから、各自が自分の仕事を完璧にこなさなくちゃならない。」
バイロンが心配そうに言うとリンジーがそれに答えた。
「経験のない新人じゃ、役にたたないわよね……」
リンジーが腐心すると、バイロンが突然声を上げた。
「……いけるかも……」
バイロンはそう言うと閃いた考えを熟慮した
「逆転の発想よ、ピンチはチャンスととらえるの!!」
バイロンはそう言うとタタタッとその場をあとにした。何のことかわからずリンジーは首をかしげる他なかった。
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その日の午後、バイロンはお茶会の準備をしている新人の1人に声をかけた。
「ちょっとあなた」
バイロンが声をかけたのは頭突きを喰らわせた新人メイドのマールである。バイロンにヤキをいれられたことでかつての面影はなく、現在は小さくなって過ごしていた。
「ちょっと、買い物に付き合ってくれる」
バイロンはそう言うとキリのいいところで業務を切り上げさせて、マールを街に誘った。マールはビクビクしていたが、断ることもできず下を向いて了承した。
*
バイロンは行事で必要になる備品を買うとマールに持たせた。
「傷の具合はどう?」
バイロンはマールを配慮する声をかけた。それに対してマールは沈黙した。そこにはバイロンに対する恐れがある。だがその恐れは頭突きに対する恐怖感だけではない……
「うちの実家が脱税で『手入れ』がはいったのはバイロンさんの『力』ですか?」
マールが恐る恐る尋ねるとバイロンはそれに正直に答えた。
「私のうしろ側にはレイドル侯爵がいるの、いろいろな所でその眼を光らせている……あなたの実家のことも把握していたのよ」
言われたマールはうつむいた。
「あなたが実家の財力をかさに着て同輩たちを操っていたのは簡単にわかったみたい。」
バイロンが涼しげな表情でそう言うとマールは深い嘆息を吐いた。
「私、クビになるんですか?」
マールが沈んだ表情でそう言うとバイロンがカカッと笑った。
「確かに普通ならクビでしょうね……同輩を使って役職を取ろうとするなんて――だけど私はあなたの人を掌握する能力は長けていると考えているの、やり方さえ間違えなければね」
バイロンは釘を刺しながらそう言うと香草の風味が漂う屋台に近寄った。
「それ二つくださいな」
バイロンがそう言うと屋台の主人はうれしそうな表情を見せて牛の横隔膜の串焼きを渡した。
「さあ、食べなさい」
マールは富豪の娘ということで屋台での飲食をあまりしたことがないらしく不信感を見せたが、バイロンが美味そうに頬張るのを見ると思い切って口にした。
香草により臭みが消されたハラミは角の立たない塩味で実にいい塩梅である、適度な歯ごたえも高級ホテルでは味わえない醍醐味があった。
「……これ、おいしいです……」
マールがそう言うとバイロンは突然、厳しい表情を見せた。
「今度のお茶会はダリスの高級貴族が一堂に会する重要な会合よ、失敗は許されないの。」
バイロンはそう言うとマールを真正面から見据えた。
「私はあなたの行動力を買っている、反旗を翻すガッツはそのあたりの女子じゃありえないから」
バイロンはそう言うとマールの肩を叩いた。
「期待してるわよ!」
思わぬ一言をかけられたマールはその眼を点にした。バイロンにヤキをいれられたことで世の中に自分よりも恐ろしい存在があることに気付いた彼女だが、まさか自分に対してバイロンが温情をかけるとは……
バイロンはマールの表情を見ると背中をポンとたたいた。そこには頭突きとは異なる慈愛が感じられた。
「これであなたもハラミ女子!」
言われたマールは鼻息を荒くした。
『ヤベェ、バイロンさん、パネェ……』
頭突きで『ヤキ』を入れるだけでなくその後、精神的にフォローするバイロンの姿勢はマールが人生で経験したことのないものであった。富豪の娘として何不自由なく暮らし、全ての者を使用人として扱っていた彼女の精神に新たな側面を現出させていた。
*
そんな時である、バイロンは思わぬ存在がその眼を横切るのを認識した。
『今、寄合馬車から降りてきたのは……まさか……』
バイロンはそう思うとマールに声をかけた。
「荷物を持ってさきに宮に帰っていて……私、買い忘れたものがあるから」
バイロンはそう言うと雑踏の中へと走って行った。
残されたマールは口をポカンと開けたが、ハラミ女子としての任務を遂行するべくバイロンの命に従った。
お茶会を切り抜けるために頭突きで調教したマールをハラミ女子に昇格させたバイロンですが……その眼には思わぬものが映ったようです。
果たしてバイロンは何を目撃したのでしょうか?




