第十四話
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その週末の午後――
二ノ妃の御つきのものとしてバイロンとリンジーは馬車に乗っていた。二ノ妃は相変わらずのポーカーフェイスで飄々としているが、その衣装は公務で身に着けるものと違い煌びやかで艶やかであった。やはりキャンベル卿の催すパーティーに期待があるのであろう。気合の入った様子にバイロンは何とも言えない思いを持った。
『どんなパーティーなんだろ……』
御つきのものとしてそれなりに着飾ったリンジーとバイロンは初めての経験になるパーティーなるものに内心ドキドキ感があふれていたが――それと同時に不信感もあった。
『私的なパーティーで付け届けが行われるのは世の常……どんな形で賄賂が渡されるんだろ……仮面をつけてのパーティーだから……相手が誰か確認するのは難しいかも』
バイロンはマーベリックに役立つ情報を手に入れられればいいと考えていたが、どんな形でそれがなされるかは甚だわからない。
『何か証拠になるものが見つかればいいのだけれど……』
バイロンがそんな風に考えていると古びた洋館がその眼に入った。
「あれ、キャンベル卿の別邸よ!」
小声でそう言ったのはリンジーである、かなり下調べをしているらしく早口でうんちくをまくし立てた。
『………長い……』
バイロンはそう思うとリンジーのマシンガントークを半分ほど聞き流したが、仮面舞踏会の会場が200年前に造られた刑務所を改築したものであることには驚いた。
『リンジーの話はほとんど意味がないんだけど……時々、重要な知識があるから馬鹿に出来ないのよね……』
上級学校を『飛び級』かつ『首席』で卒業したリンジーの話には知的水準の高い情報がさりげなくちりばめられている。それらを拾っていくとインテリ階級の特徴などがにわかにわかる。
「キャンベル卿は海運業で成功したんだけど、トネリアとの交易で財産を築いた家系なのよね。レナード公爵の腰ぎんちゃくって言われてるけどお金は持ってるはずよ」
リンジーは二ノ妃の邪魔にならないようにバイロンの耳元でささやいた。
「でも最近は港の使用権に関してトネリアのパストールとの関係が噂されてて、ダリスの商工業者の中ではキャンベル卿を悪く言う人も少なくないのよね」
リンジーの囁きは端的にまとめられていてわかりやすい。
『やっぱり、リンジーは他の子と違うわ……』
天真爛漫、マシンガントーク、そして空気を読まないリンジーであったが、彼女の知性はバイロンにはないものである。
『私が良識のある武闘派でリンジーが天然の知性派……いい組み合わせだわ』
バイロンはマイラがリンジーを宮長としそのサポートをバイロンにさせたことをいまさらながら慧眼だと気付かされた。
バイロンがそんな風に思った時である、馬車が洋館の正門で止った。
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二ノ妃のうしろについて洋館に入ると正面玄関でキャンベル卿が待っていた。
「どうぞこれをお召ください」
キャンベルはそう言うと目と鼻を大きく隠すアイマスクを二ノ妃に渡した。蝶をかたどったそれは紫が基調となり鱗粉の代わりに金粉が振られている。
『これをつけて踊るのか……』
バイロンとリンジーは後方に控えると会場に入っていく二ノ妃の後姿を眺めた。会場まで二ノ妃を送り出した二人の仕事はここでひと段落となる。二人は貴族たちが仮面をつけて踊る会場の脇にある控えの間に移動した。
「さあ、後は終わるまで私たちは待つだけだけど……」
リンジーがそう言うとバイロンが答えた、
「3時間くらいで終わるみたいだけど……その間――暇よね……私はとりあえずお手洗いに行ってくる」
バイロンはそう言うとリンジーのもとを離れて屋敷の中を探索することにした。
*
洋館の中はかつて刑務所で会ったことを思わせないものであった。改築されているため普通の貴族の館とかわらない……むしろ調度品や絵画などの質からキャンベル卿の富が壮大であることを示唆している。
『鉄格子とかあるのかと思ったけどないわね……2階に行ってみるか……』
バイロンはそう思うとタタッと階段をあがった。
『小部屋がいっぱいある……』
バイロンはそう思うと扉の隙間が空いている部屋を覗いた。
『うわっ……なにこれ……』
小部屋では香がたかれ何やら淫靡な雰囲気が演出されている。明らかに普通の部屋ではない。
『ここで逢瀬を重ねるわけか……』
バイロンは二階の小部屋がニャンニャン用の場所であることに気付かされた。
『でも、これは橋梁工事には直接関係ないわ……覚書とか念書とか……そういう物をみつけないと』
バイロンは談合を立証する物理的な証拠を手に入れたいと思った。
『筆跡鑑定すれば談合の証拠になりうるってマーベリックが言ってたわ……でもそんな簡単に置いてあるわけないわよね……』
バイロンはそう思うと2階から3階へと上がろうとした。
『3階は何だろう……』
バイロンがそう思って角を曲がろうとした時である、その体に横から何かぶつかった。かなりの衝撃にバイロンは体勢を崩した。
『いたっ……』
バイロンが尻餅をついてぶつかった対象を確認すると、それは明らかに男性であった。
「これは失敬」
そう言ってバイロンに手を差し伸べたのは士官候補生の制服を身にまとった人物である。バイロンはその顔を見ると驚いた。
『あっ……士官学校の演舞の時の……リンジーのお目当て……たしかパトリックとか……』
バイロンは差し出された手を取らずに自分で立つと制服に身を包んだ士官候補生をつぶさに観察した。
『超がつくイケメンね……でも……どうかしら……』
美少年と言う言葉がかすむほどに端正な顔立ちだが士官候補生はその眼の中に何か仄暗いものを宿していた。バイロンはそれを見逃さなかった。
『マーベリックと少し似てる……この士官候補生……普通じゃないのかも……』
バイロンはマーベリックという闇の中に生きる存在と顔を合わせている。彼の見せる目つきの中に蛇のような感情のない一面があることに気付いていた。
『このイケメンも……一筋縄じゃいかないタイプだわ……』
バイロンの直感がそう語った時である、士官候補生が声をかけた。
「君は……たしか……演舞の時に……二ノ妃様の御つきのメイドじゃ……」
候補生はバイロンを見ると怪しげな目を向けた。
「なぜ、こんな所に?」
その眼光は鋭い、バイロンを明らかに不審な人物として認識している。一方、それに対してバイロンも怪しげな眼で答えた。
「あなたこそ、どうしてここに、士官候補生が呼ばれる場所ではないわ」
バイロンの切り替えしにパトリックは困った表情を見せた。
「……いや、ちょっとね……」
その物言いにはこの館で行われるであろうことを内心気付いているフシがある。バイロンはそれに気づくと候補生の反応を確かめたいとおもった。
「キャンベル卿とかかわりでもあるのですか?」
尋ねられたパトリックはその表情を変えずに言った。
「うちの実家はポルカで貿易商を営んでいるんだけど、その関係でね」
パトリックがそう言うとバイロンは演舞の席の事を思い出した。
「あなた、そういえば二ノ妃様の前でフォーレ パトリックって名乗ったけど……フォーレって……フォーレ商会が実家なの?」
尋ねられたパトリックは小さく頷いた。
バイロンはその姿を見るとマーベリックの話したサングースで起こった事件のことが脳裏によぎった。
『たしかあの事件……フォーレ商会が関わっていたはず……もしかして』
バイロンはそう思うと思い切って尋ねてみた。
「ひょっとして……あなたの会社……ベアーの働いてるところじゃ?」
ベアーという名を聞いた瞬間である、パトリックの表情が急に変わった。そこには驚嘆した様子さえ窺える……そして猜疑心が滲んでいた表情がうすれた。
「君、ベアーを知ってるのか!!!」
パトリックがそう言った時である、バイロンは深く頷いた。
「ええ、彼は私の人生を変えた人よ。今、地に足がついた生活ができているのは彼のおかげ。彼がいなければ今頃どうなっていたか……ベアーには感謝しきれないわ」
バイロンが正直にそう言うとパトリックがバイロンを見つめた。その眼は実に澄んでいる。仄暗い闇を含んでいた先ほどの瞳とは全く異なる……
「そうか、君もベアーに助けられたのか……」
パトリックはそう言うと突然その表情を変えた。
「正直にいうが、僕は君を信用していない。妃のいる会場から離れて館を歩き回って探索するような人間だからね、だがベアーに助けられたというなら、話は別だ」
パトリックが釘を刺すようにバイロンに言うとバイロンも反応した。
「私も同じよ、こんな怪しげな場所でウロウロしている士官候補生なんて信用できない。この階層にある部屋は逢引きに使うところのはず……でも、あなたがベアーを知っているなら……」
互いに猜疑心を隠さぬ表情を浮かべていたが『ベアー』という名前を口にした二人の表情は明らかに変化していた。
「士官候補生のパトリックだ」
パトリックがそう言うとバイロンがそれに答えた。
「第四宮の副宮長バイロンよ」
バイロンはそう言うと衣裳の裾を持ってエレガントに挨拶した。パトリックは士官の礼式でそれに答えるとバイロンに声をかけた。
「早速だが、情報交換と行こうじゃないか」
「いいわ、言えないことはお互い伏せるという条件で」
間髪入れずにバイロンが条件を提示するとパトリックはそれに同意した。
敵だと認識していた2人であったがベアーの名前によりその距離は一瞬で縮まっていた。こうして二人は館での現況を話すことでリスクを回避する手段を講じることになった。
二ノ妃に随行したバイロンは館でパトリックと再会を果たすことになります。互いに猜疑心が芽生えていたもののベアーの名を耳にした二人は協力することを約束します。
果たして、この後、舞踏会ではどんな展開が待ち受けているのでしょうか?




