第十二話
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老舗ホテル、アークハイアットーーそこは300年の歴史を誇り、各時代の高貴な著名人が必ずここを訪れたという格式の高いホテルである。ダリスの都に老舗宿は数あれど、歴史という点でここに勝るものはいない。ホテルに残る古い文献では300年前、魔人を倒した勇者たちがここで勝利の祝杯を挙げたという記録も残っている。
マーベリックは飄々とした様子でラウンジに入ると慣れた所作で席について紅茶を頼んだ。
『さあ、どう動くか……』
マーベリックのターゲットはパストールの秘書である……彼女が出てくるのを待った。
『レイはあの女が只者ではないと言っていた……呪いを用いるとか……』
かつてとは違い現在のダリスでは魔法を用いることは許されていない。仮に使おうものなら死罪は免れない。言うまでもなく呪いも同じである
『奴が魔導の力を行使すれば、それはそれで問題になる。だが相手の使う『手』がわからなければこちらも危うい……』
マーベリックはそう思うとジャケットの胸ポケットに入った護符を見た。
『この符が反応すれば魔導の力が行使された証拠になる。』
マーベリックが持っている護符はレイドル侯爵に持たされたものである。長さ15cm、幅6cm、紙とも布とも思える材質で両面に何やら不可思議な文様が描かれていた。
≪100年前に高名な僧侶が作り上げた特殊なもので、その効果は今でも十分に発揮するそうだ。魔導の力が行使されるとその護符が自然と反応する。≫
マーベリックはレイドル侯爵の言ったことをおもいだした。
だが、現在のダリスでは魔導器やその類のものの使用は禁止されている。つまりこの護符の行使も許されていない。
『リスクはあるが、やる価値はある。かりにパストールの娘が魔導の力を行使すればこちらも手が打てる、秘密裏に枢密院に相談すれば非合法的には何とかなるだろう……』
マーベリックはそう思うとパストールの秘書、ソフィーが下りてくるのを待った。
それから一時間ほど……
パストールの娘ソフィーがホテル、アークハイアットから出ていくとマーベリックはその後を追うことにした。
『あのカバン……見えないようにストールで隠しているが腕と取手がチェーンでつながれている……何か重要なものが……』
マーベリックは直感的にそう思うと石畳の道を足音ひとつ立てずに進んだ。
そして尾行して1時間……
マーベリックは彼女の様子をつぶさに観察していた。歩く姿はその辺りにいるダリスにいる女学生と変わらない。呪いや魔法を使う人物とは思い難い。マーベリックはその眼を細めた。
ソフィーは別段怪しむような様子を見せず都の大通りを一人で闊歩した。時折、店に入ると、そこの店主と真顔で話しをしている。読唇術を身に着けたマーベリックはわかる範囲でソフィーの言葉を盗見したが、その内容には変わったことはなかった。
『商談絡みだな……契約金額は桁が多いが、普通だな……密談や賄賂の類はみられない』
マーベリックはそう思うと商談を終えたソフィーが突然に裏路地に入るのを確認した。
『あそこには何もないぞ……』
マーベリックは怪しむと忍び足でソフィーの後を追った。
*
裏路地は貧困層の集合住宅が連なっていたが、ごみが散乱しお世辞にも清潔とは言えない。酔っぱらいや物乞いもいて雰囲気も悪い――都会の持つ負の部分が顕在化していた。
『なぜ、あの娘は……こんな所に』
人のいない袋小路でその足を止めるとパストールの娘は突然後ろを振り向いた。
「鼠がいるのはわかっているわ……」
無機質な声でそう言うとソフィーは完全に死角に入ったマーベリックに語りかけた。
「それで隠れたつもり?」
言われたマーベリックは尾行がばれていることに驚いたが、同時に次の思考へと頭を働かせた。
『……このままやり過ごすか……それとも思い切って姿を現すか』
マーベリックは変装していることを念頭に置くと後者を選んだ。隠れていた建造物の脇からスッとあらわれるとソフィーに対して会釈した。
「お分かりになりました、お嬢さん」
マーベリックは実に丁寧な口調で語りかける。
「パストール様の御嬢さんだと聞き及んでおります。ぜひお近づきになりたいと思いまして」
マーベリックは自営業で上手くいっている商人のような口ぶりで話しかけた。
「私、トネリアの商品を輸入したいと思いまして……」
マーベリックがそう言うとソフィーが嗤った。
「そう、商売のお話で私に近づいたわけですか」
ソフィーがそう言ったときである、マーベリックの体は後方へと吹っ飛んだ。すさまじい衝撃波が襲ったのだ。壁に叩きつけられたマーベリックは口から血反吐を吐いて意識を失った。
「嘘をつく人に容赦はしないわよ」
ソフィーはそう言うと倒れたマーベリックを侮蔑の目で見下ろした。
「短い人生だったようね」
ソフィーは無味乾燥な口調でそう言うとスタスタと路地から出て行った。
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さて、その翌日……
バイロンが二ノ妃について午前中の公務を終えて第四宮に戻ろうとするとその後方から声をかけられた。
「ご機嫌うるわしゅうございます。お妃様」
朗らかな挨拶を見せたのはレナード卿の手下ともいえるキャンベル卿であった。キャンベル卿は実に慇懃な態度で二ノ妃に世間話を振るとその去り際にその耳元でささやいた。
「今週のマスカレードはレナード卿がいらっしゃいます。ぜひ週末の土曜日は我が別邸に」
言われた二ノ妃はキャンベル卿をチラリと見やると何とも言えない表情を見せた。それに対してキャンベル卿はにこやかに笑った。
「『本物』をご用意いたしますので是非ご足労を、期待を裏切ることはございません」
キャンベルはそう言うとあとはないも言わず待たせてある自分の馬車へと戻って行った。
『本物って……なんのこと……』
バイロンは意味深な単語を深読みしたが頭に浮かぶのは国立歌劇団の役者の事であった。
『たぶん、青りんごじゃなくて現役で活躍してる役者の事だな……』
バイロンはマーベリックと一緒に見た舞台で出演していた役者をエサにして二ノ妃を釣ろうとしているのだと認識した。
『ほんとに貴族はクソだわ……ちょっとうらやましいけど……』
橋梁工事の談合をなさしめるために容赦のない懐柔が行われているが、その方向は明らかに不道徳な匂いを持ち始めている。
『この国……大丈夫なのかしら……』
バイロンはそんな風に思った。
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定時報告を行うべくゴンザレスはマーベリックのいる骨董屋に向かったが、そこにマーベリックの姿はなかった。
『置手紙もない……』
完璧に仕事をこなすマーベリックが指示出しもせずに姿を消すことは未だかつてない……
『旦那……何かあったのか……』
ゴンザレスの中で不安がよぎる
『せっかくレナード卿と二ノ妃に関する情報をつかんできたのに……』
ゴンザレスは手下を用いてレナード卿の動向を洗っていたが、キャンベル卿を使って橋梁工事の入札をものにしようとする彼らの企みの間接的な証拠を手にしていた。
『いねぇんだったら、どうにもならねぇな』
ゴンザレスが困った時である、入ってきたドアが音を立てて開いた。
「あっ」
ゴンザレスの前にいたのはマーベリックではない……そこには小柄であるものの、実に端正な顔立ちの人物が立っていた、
「レイの旦那……」
言われたレイはニヤリと嗤った。
「何か見つけてきたんだろ?」
尋ねられたゴンザレスは頭を掻いた。
*
ゴンザレスから情報を得たレイはその内容に満足のいく表情を浮かべた。
『なるほど……そういうことか』
『レナード卿とパストール』、『二ノ妃とパストール』、そして『レナード卿と二ノ妃』この関係は三つ巴となっていた。それぞれがそれぞれの意図を持ち、互いの目的のために互いの力を利用する打算的なつながりがあった。
『そうか二ノ妃の狙いはそんなところに……』
レイは二ノ妃の持つ人間性のなかに権力に対する妄執があることを認識した。
『パストールから送られた付け届けを何らかの形で貴族に送る…………そのブツを使って懐柔する……』
レイはゴンザレスの集めた情報を自分の集めたモノと重ね合わせて方程式を作り上げた。
『だが、まだ不十分だ……なんとか証拠を見つけないと』
レイはそう思うと証拠集めに奔走することにした。
パストールの娘を尾行していたマーベリックでありましたが……なんと返り討ちに会います。果たしてマーベリックはどうなるのでしょうか……
一方、バイロンはキャンベル卿が二ノ妃を誘うところをその眼にします。はたしてキャンベル卿の別邸では何が行われるのでしょうか?




