第十話
22
バイロンが二ノ妃について3日間――
二ノ妃はそつのない立ち居振る舞いを見せると行事でのスピーチや挨拶で『妃』としての役割を果たしていた。完璧と言って過言でない……
『安定感抜群だわ……失言もないし』
かつて三ノ妃の横暴を経験したバイロンとしては隣国から嫁いできた二ノ妃の行動は実にエレガントに見えていた。
『さすがトネリアの皇女……ゆるみがない……』
立ち姿、歩く姿、振る舞う様、全てにおいて余裕がある。妃としての立場を深く理解した二ノ妃のスタイルは簡素でありながらも重厚さがある。
さらに二ノ妃は公務で見せる所作とは異なる武器を持っていた。それは彼女の持つ容姿から発せられる雰囲気であった。
妖艶とは言わないまでも脂の乗り切った女の見せる振る舞いは年寄り連中にはたまらないものがあるようで、50代を中心にした年輩の貴族の中では熱烈なファンがいた。
『匂いね……熟女の色香が年寄り連中を引き付けている』
バイロンにたいしてメイドを使って手紙を持たせる貴族も多く、二ノ妃をパーティーに誘い出そうとする輩も少なくない。妻帯しているにもかかわらず二ノ妃にアプローチする輩さえいるではないか……
『二ノ妃様は意外に人気があるのね……』
大国トネリア出身の二ノ妃はダリスの貴族から羨望の目で見られている。
『でも青りんごをパックンチョするタイプなのにどうしてこんなに人気があるんだろう』
ダリスの貴族も二ノ妃が若い男をつまみ食いすることを知っている、公務に関してはそつなくこなすが、プライベートな点には問題点もある。
「確かに熟女としては魅力があるんだろうけど……」
それでも人気のある彼女の存在にバイロンは素朴な疑問を持った。
23
その日の業務を終えたバイロンは第四宮に隣接した待機所に戻ると新人の報告を受けて業務と明日の予定の確認をした。
『大丈夫そうね』
頭突きをかまして調教した新人は直立不動の姿勢を見せてバイロンに尊崇の念を払っている。バイロンはそれ感じると副宮長として儀礼的な態度で対応した。
「そんなに緊張しなくて結構です……ここ2,3日、私がいない間もきちんと業務こなしているのはこちらもわかっています。」
バイロンは新人に業務として与えた掃除や用具の手入れ、そして先輩メイドの手伝いなどが問題なく行われていることを確認していた。
『復讐の恐れもあるかと思ったけど……今のところは……』
一瞬バイロンはマーベリックの言った報復という単語がちらついたが、現状は問題ないことに気をよくした。
「誉れあるメイドとして、明日からも気の緩みのないように」
バイロンはそう言うとリンジーの待つ執務室へと向かった
*
リンジーは書類を睨み付けていたがバイロンが部屋に入ると明るい表情を見せた。
「結構うまくいってるみたい、新人の方は悪くないわ」
バイロンがそう言うとリンジーが書類から目を話した。
「そうみたい。私が見る所でも粗相はないわ。やっぱり頭突きがきてるみたい。」
リンジーがやや揶揄するように言うとバイロンが別の質問を投げかけた。
「ルッカさんの方は?」
リンジーはそれを聞くとニヤリとした。
「完璧!!」
リンジーはルッカの働きに満足しているようでその表情は喜々としている。
「そうそう、話は変わるけど、明日の行事は私も参加するわ。」
リンジーはそう言うと二ノ妃の参加する行事の資料をバイロンに渡した。
「士官学校の挨拶ね……」
バイロンがそう言うとリンジーがそれに答えた。
「マイラさんから言われたんだけど、来賓に偉い人が来るんだって……顔出ししておきないって」
バイロンは快く頷くとリンジーとの久々の業務にその顔をほころばせた。
24
翌日の早朝、宮を出て3時間ほどのところにある士官学校の正門前につくと何とも言えない雰囲気が馬車を覆った。宮とは異なる士官学校の趣は貴族の世界と異なる独特の緊張感があった。
『これが士官学校か……」
砦に似た建造物は飾りなどほとんどなく無骨で機能を重んじた実利的な構造になっている。武人の矍鑠とした雰囲気のようである……
『貴族の世界とは思えない』
バイロンがそんな感想をもった時である、通用門が大きな音を立てて開いた。そして門扉にいた衛兵が敬礼した。
「こちらでございます。」
バイロンたちは衛兵の先導のもと校内に入ると、職員用の玄関の前で小柄な老人が出迎えた。
「お妃様、ようこそいらっしゃいました。校長のカールトンです。」
60を過ぎたカールトンは輝く頭部と口ひげをはやした好々爺であるが軍人と思しき特徴が滲んでいた。言葉の切れ端にかかる『キレ』は通常の貴族が見せる会話とは異なっている。
「本日はスピーチの後に余興がございますで、それをご覧になっていただきたいと思います。」
余興は慣例として毎年行われているのだが大して面白いものはない。騎馬戦、棒倒し、組手など士官候補生の少年たちが立ち回るだけの事である。
二ノ妃は辟易した表情を一瞬みせると鷹揚に頷いて控室に向かった。リンジーとバイロンはその後ろを追う形になった。
*
行事の用意が整うと二ノ妃は校庭に通された。バイロンとリンジーはその後ろについて辺りを窺いながらちょこちょこと歩く。校舎の廊下から引かれた赤いじゅうたんを進むと程なくして陽の光に照らされた会場が視野に入った。
「すごい人」
先ほどまでは人がいなかったものの来賓席には貴族の師弟たちが並び式典が始まるのを今か今かと待っていた。中にはローズ家の当主やボルト家の跡取りなどもその顔を見せている。
「すげ~、ボルト家とローズ家の当主だ。レナード家につぐ公爵家のお歴々……『貴族の中の貴族』が集まってる……」
バイロンが思わず漏らすと校長のカールトンがニヤリと嗤った。そこにはこの行事がこしきゆかしき伝統に裏打ちされた権威のある物であることを自負する匂いが沸いている。
カールトンはその視線を移すとおもむろに二ノ妃に声をかけた。
「こちらでございます」
二ノ妃は来賓席のなかでも一段高いところに案内されると他の貴族とは異なる豪奢な椅子に腰を下ろした。リンジーはその両脇を固めるように立つと緊張した面持ちで行事が開始されるのを待った。
*
「候補生の見せる今年の行事は例年とは異なるもの用意してあります。では、代表者による演舞をご覧ください」
カールトンがあいさつを済ませて司会進行すると1組の候補生が校庭に現れた。2人の候補生は二ノ妃の前に立つと敬礼した。兜をかぶった若々しい二人が二ノ妃の前に映る。挨拶を済ませた二人は兜の庇を下ろした。
2人は突剣を鞘から抜くと、それぞれが構えた。決闘スタイルの演舞らしい
彼らの姿を確認すると後方で待機していた鼓笛隊がそれぞれの楽器を構えた。
「初め!!」
鼓笛隊の指揮者がそう言うと音楽とともに演舞が始まった。
*
演舞は音楽に合わせて舞うもので実戦形式の組手のような形をとっていなかった。そのため優美な動きこそあるものの気迫は欠けていた。だが、その一方でレイピアが模擬刀ではないため十分な緊張感がある。一つ間違えば怪我では済まないという事態が来賓客の注目を集めた。
2人の候補生は調べに合わせて舞うようにしてレイピアを繰り出した。
鍔迫り合いからの下段への攻撃、それに対する受け流し、
中段への突き、それに対する回避行動
上段への一撃と見せかけた手元への攻撃、それに対するカウンター
鼓笛隊の伴奏を伴う演舞は今までにない躍動感がある。二人の見せる真剣を使った演舞は周りの来賓客の拍手を誘う
「今年の出し物は面白いな」
「真剣を使った演出は悪くない」
「鼓笛隊の伴奏もいい演出ね」
来賓客がそう言うと鼓笛隊の演奏がレガート調の滑らかなものから歯切れのいいスタッカート調へと変わった。来賓客はレイピアの動きが激しくなり、その速度を増すのをその眼にした。
「危ないのでは」
皆がそう思う中、2人の候補生はクライマックスに向けてレイピアを繰り出す。演舞というより実践さながらの気迫を帯びる……
見ている客は息をのんだ。
その時である――最後の一撃が伴奏とともに繰り出されると、守りに入った候補生がそれを受けようとした。
だが、その刹那――
受けようとした候補生のレイピアが折れたのである、突剣と言えども真剣である、受け流せなかった相手は怪我では済まないだろう――
そして不幸にも攻撃した相手のレイピアは受け手の首元、頸動脈付近へとその切っ先が飛んでいた。
誰しもが事故が起こると生唾を飲んだ。
『危ない!!!』
その場にいた誰もがその表情をひきつらせた、そこには死者が出ることへの危惧がある
だがそうはならなかった――
レイピアを折られた候補生は頭を下げると意図的に兜の婉曲した側面を盾のようにして一撃をいなしたのである。生死を賭けた一瞬の行動であるが、それが功を奏した。
カキンという甲高い金属音が辺りに響くと候補生の兜が飛ぶ。
「おおお!!!」
来賓客がどよめく
兜の飛んだ候補生は陽光にその顔を晒した。短く刈り込んだ金髪、真一文字に結んだ唇、意志の強そうな眼、その少年を見た来賓客はそのほとんどが言葉を失った。
「イケメンだわ」
「超イケメンだわ」
「超絶イケメンだわ」
来賓客の婦人たちが小声で囁きだした。その顔は嬉々としている。
バイロンはその声を耳にすると椅子に腰を下ろした二ノ妃が仁王立ちになるのを目の当たりにした。その頬は紅潮し、唇はワナワナと震えているではないか……
今まで一度も見たことのない二ノ妃の表情にバイロンはその眼を瞬かせた。
*
二ノ妃は演舞が終わると兜を飛ばした候補生を呼びつけた。
「そのもの、こちらへ」
二ノ妃はそう言うとイケメンの士官候補生を手招きした。
「そなた、名を何とも申す?」
尋ねられた候補生は膝をついてかしずいた。そして頭を下げた状態で答えた。
「フォーレ パトリックと申します」
名乗った候補生はそう言うと顔を上げた。
二ノ妃は汗で上気した候補生の顔を見ると鼻息を荒くした。
「よい、演舞であった……」
二ノ妃はそう言うとパトリックをしばし見つめた。そこには年の離れた候補生を異性として認識しているフシがある。
「下がってよいぞ」
二ノ妃は声をかすれさせてそう言うと懐の扇子を広げて簡易玉座に腰を下ろした。
その一部始終を目撃したバイロンは扇子で口元を隠した二ノ妃が赤い舌で口唇をぺろりと舐めるのを見逃さなかった。
『うわっ~、コレ……やばいぞ……パックンチョだぞ……』
バイロンがそう思ってため息をつくと行事の終わりを告げる挨拶が校長から告げられた。
『……とりあえず退席しないと……』
バイロンはそう思うとリンジーに退席の用意をするためアイコンタクトしようとした。
だが、リンジーは微動だにしなかった。それどころか一点を凝視している。
『うわっ……リンジー……ヤバイ』
リンジーの視線の先にはパトリックと名乗った候補生がいる……
『……鼻、フガフガさせてる』
リンジーのイケメンセンサーは一瞬でMAXを迎えると、そのまま振り切れていた。
バイロンはリンジーの呆けた表情を見ると絶句した。
『……お前もかい、リンジー!!』
バイロンは前途多難な状態を想起すると肩を落として半笑いになった。
士官学校に二ノ妃のお供としてついてきたバイロンとリンジーですが、なんとそこでパトリックと会い見舞えることになります。 さて物語はこの後どんな展開を見せるのでしょうか?
* 寒いので、皆さん、風邪にはお気を付けください!




