第九話
18
マーベリックは夕方の街を徘徊するように歩くと、突然その身を安宿の中へと忍ばせた。裏口の木戸を開けたマーベリックはそのまま厨房を抜けると二階に続く階段をトントンと昇った。
そして角部屋で泊まると妙な間隔で3回ノックした。
マーベリックが10秒ほど待つと中から声がかかった。
「入りな」
マーベリックは辺りをうかがうと、すっと扉の内側へと入った。
*
「よく分かったな、ここが」
そう言ったのはマーベリックの朋輩レイである。以前の事件でメイドと組んだヤクザを毒を使って壊滅させた人物だ。
「お前が助けたのか?」
言われたレイはマーベリックを見るとニヤついた。
「ああ、そうだ」
レイはそう言うとマーベリックを見た。
「お前のお気に入りだからな」
それに対してマーベリックが反論した。
「バイロンは侯爵様のお気に入りだ、俺には関係ない」
それに対してレイがしたり顔で続いた。
「そうか、楽しそうに腕を組んでいたじゃないか」
「あれは演技だ」
間髪いれぬマーベリックの言動にレイはフフッと笑った。
「お前はムキになるとすぐにそうなる、言葉尻に感情が滲むんだよ」
レイはマーベリックの癖を見抜いているようでそう答えた。
それに対してマーベリックが涼しい顔で答えた。
「毒を用いて皆殺しにするほど俺は野暮じゃない。レイドル侯爵はそんな指示は出さないお方だ」
言われたレイは不愉快そうな顔を浮かべた。マーベリック以上に端正な顔立ちであるがゆえ、その表情は夜叉のようにも見える。
「今回の件、お前の狙いは何だ?」
マーベリックがそう言うとレイは髪を掻き揚げた。サラリとした清潔感のある髪がなびくと妙にいい匂いがした。
「パストールの情報を取るのに手段は択ばない。お前のお気に入りを助けたのはたまたまだ。逃走経路の確保のために投げた石つぶてが攪乱する結果をもたらしただけさ。」
レイはそう言うとその表情を変えてマーベリックを見た。
「お前のお気に入りが対峙した『女』はただものじゃないぞ」
そう言ったレイの表情は実に仄暗い、それを見たマーベリックはその眼を細めた。
「どういう意味だ?」
マーベリックがレイに突っ込むと、レイはニヒルに嗤った。
「ありゃ普通じゃねぇよ」
その物言いは諜報に長けた者だけが言える自信があった。
19
さて、同じころ――パストールのいるホテルの一部屋では……
パストールは秘書である娘を見ると何とも言えない表情を見せた。
「お前らしくもない……賊を逃がすとは」
パストールは不満そうな表情を見せた。ブルドックのようにその頬の肉が揺れる。
「二ノ妃に弱みを見せるようなことはしたくない……」
肥満した腹をゆするように立ち上がるとパストールは娘を見た。
「まさか、力が落ちているわけではないだろうな?」
言われた娘は不愉快そうな表情を見せた。
「それならいいんだが……」
そう言うとパストールは娘を見た。
「私たちがここまで大きくなれたのはお前の力のおかげだ。だがここでその力が弱まれば千載一遇のチャンスが失われる。」
パストールがそう言うと娘が答えた。
「劇場にいた賊は2名、私はトイレに隠れていた方に気を取られ、もう一人のほうに意識が及ばなかった。その結果が現在です。」
言われた父親は仏頂面を崩さずに反応した。
「言わんとすることは理解できる……だが失態は失態だ。この状況を好転させるための知恵を出せ。」
言われた娘は相も変らぬ不愉快な表情で答えた。
「レナード卿の懐にいる女もおります。すべてを把握するのはそう簡単ではありません。」
娘がそう言うとパストールは苦虫を潰したような表情を見せた。
「確かにあの女は危険だ。こちらの行動を把握しているきらいがある。」
パストールはそう言うと娘を見た。
「今が一番大事な時だ、頼むぞ」
パストールはそう言うと隣室へと向かった。
20
国立歌劇団の劇場でミッションを終えた翌日――
第四宮では思わぬ事態が生じた。
「えっ、季節外れのはやり病???」
ベテランメイドの1人がどうやらはやり病にかかったらしく、それが相部屋のメイドにも伝染したのである。
「他のメイドに移るとまずいから隔離することになったの……宮から出て入院の手続きを取ったわ。」
リンジーが見事な手際で処理するとバイロンが感心した。
「凄いわねリンジー、手早い!」
バイロンがそう言うとリンジーはかぶりを振った。
「有事の際はマニュアルがあるからそれに従っただけよ」
リンジーはそう言うと気になることを口にした。
「あの人たちは二ノ妃専属のメイドね……どうしよう……他のメイドじゃ二ノ妃様が嫌がるわ」
リンジーが厄介ごとを抱えた表情を見せるとバイロンがそれに答えた。
「大した行事はないから、私がフォローに入るわ」
言われたリンジーは即座に頷いた。
「そうね、立場上はわたしかバイロンじゃないと駄目ね。お医者様の話では一週間は復帰できないそうだから。それまでの間はお願いするわ。」
不安そうにするリンジーの肩を叩いたバイロンは『まかせて!!』という表情を見せた。
「なんか、いやな仕事ばかり押し付けて御免ね」
リンジーが元気のない声でそう言うとバイロンがガハハと嗤った。
「副宮長は宮長のバックアップなんだから当然よ!」
バイロンは正直にそう思ったが、別の一面も脳裏に描いていた。
『うまくいけば二ノ妃の動向を確かめられるわね……橋梁工事の談合の話もあったし……うまくいけばマーベリックにもいい報告ができるかも』
若い役者をつまみ食いしていた二ノ妃の動向を観察するにはもってこいのチャンスである。
バイロンは心配するリンジーをよそに大股で朝の朝礼に向かった。
21
二ノ妃専属のベテランがはやり病で倒れたため、バイロンは二ノ妃に対するシフト業務に従事することになったが――二ノ妃の様子は他の妃とはかなり異なっていた。
『なるほど……トネリアの生活様式なんだわ』
二ノ妃の部屋に入ったバイロンは置かれた調度品や壁紙の装飾からダリス文化の特徴がないことに気付かされた。
『はやり病で倒れたメイド、ミネアさんもトネリアから来た人……』
実の所、二ノ妃の専属メイド、ミネアは妃とともにダリスにやって来たトネリア出身の人物であった。通常、外国人は帝妃のメイドにはなれないのだが、娘を亡くして傷心であった二ノ妃をいやすために一ノ妃が特別に認めていた存在だ。
『二ノ妃の専属メイドは第四宮でも別物だったから……イロイロ噂はあるけど……』
バイロンはマイラから聞いていた話を思い出した。
≪行事の帰りにお茶と称して老舗宿で休憩……でもその実態は若い男との逢引き……近衛兵の新兵との関係もあったとか……≫
二ノ妃の男性遍歴はすさまじく、手当たり次第に『パックンチョ』している実態はある意味公然であったが、専属メイドのミネアはその辺りを知っているはずである……
『ミネアさんがいないとなるとその辺りはどうなるのかな……』
バイロンは目の前にした二ノ妃の姿を見て何とも言えない思いを持った。
『齢は食ってるけど、美人、切れ長の目と白い肌……38歳か……女盛りよね』
ダリスでは『女性の美しさは30代中盤がピーク』と言われている。だがその一方で、40を過ぎるとその評価は一変する。『おばさん』と言われる種族にメタモルフォーゼするのである。見た目も皺が増え、肌にハリが亡くなり、体形も崩れるのがこの40歳という年齢になる。
二ノ妃の年齢は美しさのピークと女性からおばさんへと変化する年齢の変転時期にさしかかっていた。
『38歳だとおばさんと熟女の間ね……本人は熟女とおもっているだろうけど』
バイロンは透明感のある肌を晒す二ノ妃の美意識に並々ならぬものを感じた。
そんな時である、二ノ妃がバイロンを見た。
「お前か、今日から仕えるのは?」
一重の切れ長の眼はトネリア人独特のものだが、二ノ妃の瞳は実に鋭い。そこにはバイロンの様相を俯瞰する余裕がある。
「はい、はやり病で休んだ二人の代わりを務める副宮長のバイロンと申します。ふつつかですが宜しくお願い致します。」
バイロンが深々とお辞儀すると二ノ妃は鷹揚にうなずいた。
「本日の予定は?」
尋ねられたバイロンはハキハキと答えた。
「本日は大きな予定はございません。午前中にある第一宮での大臣就任の式典だけです。形式的なものでございますので挨拶だけです。」
バイロンがそう言うと二ノ妃は何も答えずにテラスに向かった。バイロンはそれを見ると後を追った。
「朝の食事はどうされますか?」
二ノ妃は日光に当たると翳りのある表情を見せた。陰影ができたためバイロンの眼には異様に映る。
「お前、齢はいくつだ?」
尋ねられたバイロンは間髪入れずに答えた。
「16でございます。」
二ノ妃はバイロンににじり寄るとその顎に手をかけた。
「16歳で第四宮の副宮長か……確かこの前の事件で大きな役割を果たしたとか……枢密院に密書を届けたんだろ……」
二ノ妃はバイロンをねめつけた。
「……なかなか、やりよるようだな」
二ノ妃はそう言うとバイロンの頬を撫でた。妙に冷たい手にバイロンはゾクッとした。
「フフッ」
二ノ妃は意味深にそう言うとテラスにある椅子に腰を下ろした。
「紅茶を」
二ノ妃は真顔に戻ると朝食の用意をバイロンに命令した。底知れぬ彼女の意図はベールに包まれている……二ノ妃とはいったい何者なのか……
流行病でたおれたメイドの代わりにバイロンは二ノ妃に使えることになりました。ですがこの二ノ妃は何を考えているかわからない人物のようです。
二ノ妃に対する間諜でバイロンは何を知ることになるのでしょうか?
* 読者の皆様、インフルエンザにはお気を付けください!!!




