第七話
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さて、その週末――
バイロンはチケットを懐に待ち合わせ場所に向かった。バイロンはポルカという港町で女優として『板』の上に立ち、歌劇団にスカウトされた経験がある。それゆえ芝居に対する思いは並々ならぬものがあった。
『超楽しみ!!』
バイロンは内心のワクワク感をエレガントな立ち居振る舞いで隠していたがその頬は軽く高揚している。
そんなバイロンであったがその視界には一人の男の姿をとらえていた。
『あれ、もういるんだ』
バイロンにチケットを渡した男は執事の出で立ちで劇場の前にある正門のまえで佇んでいた。
バイロンはそれを見るとおおらかな表情で男に近づいた。
「ご機嫌麗しゅうございます。」
バイロンがそう言うと男がそれに答えた。
「これはこれは、第四宮の副宮長のバイロンさん、こんにちは」
その言い方は慇懃であり他人行儀である。
バイロンは若干不愉快になったが、これから見る芝居の事を思えばその程度の事は大したことではないと判断して機嫌を直した。
「レイドル侯爵の執事のマーベリックさん、こんにちは」
バイロンも業務会話のような口調で返すとマーベリックが造った表情を浮かべた。
「では参りましょうか」
そう言うとマーベリックは腕を組むようにバイロンに目で合図した。バイロンは躊躇したがマーベリックがススッと近づいてバイロンの脇に手を入れた。
「エスコートするのが常識だ、我慢しろ」
造った表情を浮かべたマーベリックはそう言うと観劇が始まる時間まで散歩をするように劇場に隣接する庭園へとバイロンを導いた。
*
国立歌劇団の庭園は木立に囲まれ外からは見えないようになっていた。茂みも多く人影さえ分からないようになっている……
それゆえ庭園内ではカップリングされた男女が仲睦まじげにしていた。中には愛の言葉を交わす連中もいるではないか。それを見たバイロンはなんとなくだが気恥しくなった。
そんな時である、マーベリックは噴水の淵に座るとバイロンに声をかけた。
「芝居の休憩時間にある人物の内偵をしてほしい。」
言われたバイロンはその眼を大きく見開いたが『なるほど……そういうことか』と認識した。レイドル侯爵の執事がデートで観劇に誘うとはふつうは考えられない、何か意図があって当然であろうと……
マーベリックは懐からハンカチを取りだすとバイロンに見せた。絹製のハンカチは雅な感じであったが、その模様は何やら異様である。バイロンは受け取ってそれを裏返すと劇場の見取り図が記されてることに気付いた。
「ターゲットはここにいる」
マーベリックが指をさした所はVIP席である。特等席よりさらに上等な場所だ。
「この席ってお金持ちか、高級貴族のどっちかしか入れない所よね」
バイロンがそう言うとマーベリックが小さく頷いた
「誰がターゲットなの?」
バイロンがそう言うとマーベリックは愛の言葉を囁くようにしてバイロンの耳元である人物名を述べた。
「……嘘……」
バイロンがマーベリックの顔を見てそう言うとマーベリックはその手を握って何か渡した。
『……これ前と同じ奴……』
手に握らされたのは以前に渡された集音器である。貝殻のような形状であたりの音をくまなく拾うことができる。間者の秘密道具と言っていいだろう。
マーベリックは『集音器をしまえ』と目で合図するとバイロンの脇に手を差し込んだ。
「では、バイロンさん――席の方にまいりましょうか」
マーベリックは再び他人行儀な挨拶をするとバイロンをエスコートした。
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劇場の演目は『血塗られた思い』という有名なものであった。男をあまりに愛しすぎた女が狂気に走り連続殺人を犯すという内容だ。最後は女に恐怖した男に殺害されるという何とも言えない終わり方なのだが結末はアレンジがきくようになっているため、客の方は最後まで目が離せなくなっている。
『なるほどお芝居を観ている余裕はないわけか……』
バイロンはハンカチに記された見取り図を見てVIP席を確認するといかにして情報収集するか考えた。
『休憩中はからなずお手洗いにいくはず、となるとVIP席の……』
バイロンはトイレに内包された用具ロッカーに隠れて情報収集しようと企んだ。
『VIP席のトイレはここね……』
普通の客とは異なるVIPのトイレは2階の隅に置かれていた。
『途中で中座していかないと……いいところが見えないわね……』
バイロンは芝居の分岐点になる所が見えなくなるため、若干不愉快になった。
『まあ。しょうがないか……』
バイロンはそう思うとマーベリックの渡した集音器を確認した。
『よし、これで会話を拾う、そしてマーベリックに報告する……これでいいはず』
バイロンはそう思うと気を引き締めた。
*
芝居の途中で中座したバイロンは2階にあるVIP専用のトイレに向かったが思わぬ事態に遭遇した。
『……マジか……警備員が……』
VIP席のある2階の回廊には関係者が陣取り先に進めないように見張っていた。
『こんなに厳重なのって、おかしくない……トイレの前までいるなんて』
バイロンはそう思ったが、それと同時にその厳重さに妙なものを感じた。
『……何かありそうね……』
バイロンはそう思うと見取り図を描いたハンカチを取りだした。
『VIPのトイレは2階……天井桟敷から侵入できるかも……』
バイロンはそう思うとすぐさま3階へと向かった。
*
3階の天井桟敷は一般大衆しかおらずVIPとは程遠い人々が座っていた。国立歌劇団の芝居ということで皆めかしているものの、その立ち居振る舞いには教養がなく場馴れしていなかった。
『天井桟敷は平民の客ね』
バイロンは喧騒の中で生き生きとした反応見せる客を見てにこやかな表情を見せた。
平民たちは芝居に夢中になって声援をあげている。お気に入りの役者が出てきたときは声援どころか怒鳴るようにして声を張り上げていた。品性の欠片もないが、むしろその声が劇場に響くと不思議と一体感が生まれていた。
『これこれ、ヤジが飛ぶくらいじゃないと天井桟敷は意味がないわ』
バイロンはその様子を肌で感じるとかつてポルカの劇場で主演をはった過去の思い出が脳裏によぎった。
『おひねりを貰った時はうれしかったな……』
天井桟敷から投げられた貧民のおひねりは何とも言えないものがあった。生活に窮する人々の思いのつまった小銭は役者魂に火をつける原動力になった。
『なつかしいな……』
小さな子供がなけなしの小遣いを舞台に投げた時の表情は未だに忘れえぬ思い出である。役者冥利という言葉があるが、あの時ほどそれを痛切に感じたことはなかった。
『コルレオーネ劇団のみんな元気かな……』
バイロンがそんなことを考えていると、突然、その肩を後ろから叩かれた。
*
「お客さん、ここ、掃除がまだ済んでないんですけど」
そう言ったのは三角頭巾を頭につけた掃除婦である。つっけんどんな物言いは無礼とは言わないものの相手に有無を言わせぬ圧力がある。
「どいてもらえますかね!」
言われたバイロンは我に返ると掃除婦に会釈した。
「ああ、ごめんなさい」
バイロンはそう言って我に返ると声をかけてきた掃除婦の顔を見た。
「……うそ……」
そこにはまさかの顔があった。
「……マジ……」
バイロンの目の前にはポルカの劇場で共に『板』に立った人物がいたのである。主演を巡りひと悶着あったかつてのライバルであった。
『……ライラ……』
館内が薄暗いためライラの方からはバイロンの顔がよく見えなかったが、バイロンはやつれて中年の老婆のようになったライラの顔をはっきりと認識していた。
『……なんて偶然……』
バイロンは思わず声をかけた。
「ちょっと、あんた、私のこと忘れたの!!」
バイロンが強めの口調で掃除婦に詰め寄ると、ライラは振り向いてバイロンを見た。
「……あっ……」
思わぬ事態が生じると人間はリアクションが取れないことがあるが、ライラの状態はまさにそれであった。バイロンを見たまま呆然と突っ立っている……
「あっ、あんた……」
ライラがしどろもどろになるとバイロンが口を開いた。
「あんた、客に向かって態度悪いわね!」
バイロンはそう言うとチケットの半券をみせた。それを見たライラは態度を一瞬で変えた。
「す、すみません、お客様……」
特等席の客であることをバイロンが示すとライラはかしこまった。天井桟敷の客とは異なる特等席の客である、扱いが異なるのは当然であった……
かしこまるライラを見るとバイロンはその表情を変えた。
「そこまでへりくだらなくていいわ」
バイロンが話の切り口をつかむために柔らかい口調で話すとライラはフッ~と吐息を吐いた。そして目聡くバイロンの全身をすばやく観察した。
「あんた、特等席なんて普通の人間じゃ取れないのよ、何でそんな席に?」
ライラはそう言うと実に嫌らしい目を向けた。
「きれいなドレスなんかでめかしちゃって、貴族の愛人にでもなったんじゃないの?」
陰険な中年女のような口調でライラが言うとバイロンはそれを鼻で笑った
「まっとうな仕事についてるわ、宮中でメイドとして勤めてる」
「そんな下っ端メイドじゃ、特等席なんて無理でしょ!」
ライラが胡散臭そうに言うとバイロンはそれに答えた。
「これでも第四宮の副宮長ですけど」
バイロンはそう言うと宮中で働く幹部にだけ支給されるドレスをこれ見よがしに見せた。ドレスの裏の首元にはバイロン言った通り『副宮長』という役職とバイロンの名が筆記体で刺繍されている
それを見たライラは絶句した。
『やべっ、こいつ……マジで出世しとるやん……っていうか第四宮の副宮長って……超凄くネェ……』
ライラがその眼を括目するとバイロンがニヤリと嗤った。
「ところで、あなたはここで何をやってるわけ?」
バイロンが揶揄するように言うとライラがしどろもどろになって答えた。
「掃除婦……の役の……稽古よ……」
実際は、研究生としてまともな役がもらえないために劇場の掃除をさせられているのだが、それを悟られたくないと思ったライラは必死になって取り繕った。
「劇場で掃除婦の稽古をやったほうが……臨場感があふれるでしょ……」
それに対してバイロンが冷ややかな視線を送った。
「掃除婦の稽古――そうなんだ~」
バイロンが察した様子を見せるとライラは平然とした表情をみせた。
「私、用事があるから……じゃあ!!」
ライラはそう言うと従業員の通用口のカギを開けて逃げるようにして中に入って行った。バイロンはその後ろ姿を見るとあまりうまくいっていないライラの現状を認識したが、その一方で自分にとって都合のいい環境が生まれていることに気付いた。
『従業員用の扉のカギを開けてくれるなんて……これで上に行けるわ。ライラ、ありがとう』
スニークミッションに困っていたバイロンであったが思わぬ幸運が舞い降りていた。
旧友との再会がバイロンのミッションを助けるきっかけとなりましたが、さて、この後どうなるのでしょうか?
そしてある人物とは誰の事なのでしょうか?




