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第五話

さて、その週末……


 バイロンは定例報告を行うべくマーベリックのもとを訪ねていた。マーベリックはいつもの様子でバイロンを迎え入れたがその表情は厳しい。


「何?」


バイロンがマーベリックの表情を読んでそう言うとマーベリックは仏頂面で答えた。


「また、頭突きを使ったそうだな……お前のやり方は誉れあるメイドには思えん」


 マーベリックは既に第四宮で起こったことを把握しているようである――それを察したバイロンはすかさず反論した。


「体を使って教えてあげる、それも新人教育では必要なことです。それにきちんと頭突きは加減はしています。骨折していませんし障害が残るほど強くはしていません。」


 バイロンはうまく痛めつけたと言わんばかりの表情を見せるといつもの席に座った。だがそれに対してマーベリックが反論した。


「宮の中でうまく収まるのならばこちらもこれ以上は言わんが、暴力はゆるし難い。以後慎むように!!」


マーベリックはいつになく強い口調でそう言った。


「お前は恨みを買われることの恐ろしさを知らん、突飛な行動は自分の身に禍を引き起こす引きトリガーになるんだぞ。今回はマールの父親の会社を脱税で落とせたからいいものを、いつもうまくとは限らんのだ。一つ間違えれば自分の身を滅ぼすことになる!!」


マーベリックが自身の経験で得た哲学を述べるとバイロンはジットリとした眼でマーベリックを見た。



「それ、ひょっとして私の事、心配してんの?」



言われたマーベリックは一瞬、無言になると咳払いした。



「……べ…別に心配など……していない……」



ニヒルな表情でマーベリックがそう言うとバイロンは鼻の舌を小指でかいた。


「でもいざとなったら、助けてくれるんでしょ?」


 以前の事件でバイロンは袋小路に追い込まれて暴行されそうになったが、その場に颯爽と現れて窮地を救ってくれたのはほかならぬマーベリックであった。


「あれは、たまたま運が良かっただけだ、いつもああなるとは限らん」


マーベリックがそう言うとバイロンは相も変わらずジットリした視線を投げかけた。


「ふーん、そうなんだ」


 微妙な雰囲気が骨董屋の二階に漂う。16歳の娘に主導権を握られるのを嫌がったマーベリックは話題を変えるべく隣の部屋へと足を運んだ。


                                 *


 マーベリックの手にはいつもの銀製のトレーがのっている。そしてその上には几帳面に切りそろえられたサンドイッチが鎮座していた。


 一口サイズに切られたサンドイッチは正方形と三角形の二つの形状があった――前者が卵サンド、もう一つがベーコンとコールスローを挟んだものであった。


 バイロンはスイーツ女子として自負しているが軽食に関しても目がない。屋台でハラミの串焼きやモツの煮込みを平らげる娘である、目の前に出された品のいいサンドイッチを見ると目の色を変えた。


それに対してマーベリックがその眼を光らせた。


「報告が先だ」


 マーベリックはそう言うと銀のトレーをバイロンの方から手の届かぬところまで引き下げた。会話の主導権は再びマーベリックに移る。


『チッ!』


バイロンは心中で舌打ちすると先週の出来事を報告した。



10

報告を聞いたマーベリックは宮の状況を把握するとサンドイッチを乗せたトレーをバイロンの方に押しやった。


「そうか、マイラの推薦でルッカという老婆が現れてベテランメイドににらみを利かせているのか」


「そう、15年ほど前まで宮で働いていたメイドみたい。齢はとってるけど頭は冴えてるわ」


 マーベリックは新たに現れた人物に疑心暗鬼になったが、老獪なルッカの知恵はバイロンとリンジーにとっては役立つと思った。


『年寄りは性質が悪いからな……宮で経験があるならなおさらだ。だがうまく懐柔できれば武器にもなるな……』


 マーベリックがそんな風に考えている一方でバイロンは熟考するマーベリックをよそに卵サンドを一つ手に取って頬張った。


 自家製マヨネーズとあえた卵黄のペーストは実にのど越しがいい。卵が本来の持つ『味』を崩さないマヨネーズの味付けは文句の言いようがなかった。


「おいしい!!!」


 そしてもう一つペーストの中に入った白身――かなり細かく裁断されているがきちんと食感が残っている。のど越しを邪魔しないだけでなく適度な歯触りをキープしている。バイロンは上品な卵サンドに鼻息を荒くした。


バイロンの様子を見たマーベリックは自信を見せた。


「卵の白身の切り方で食感が変わる、あまり細かく切りすぎると歯触りが悪くなるし、大きく切ると噛んだ時にパンからこぼれる。」


「このパンも美味しいわ、ふっくらしてるし、モチっとしてる……でも歯切れがいい」


 サンドイッチは具材も大事なのだが、それを挟むパンも重要になる。第四宮で残り物とはいえ上等の食材を口にしているバイロンはマーベリックの出したサンドイッチのパンが普通ではないとすぐに気付いた。


「それは私が焼いたものだ」


マーベリックは自信を見せるとパンの原材料の小麦やその焼き方などを力説した。


 マーベリックがしたり顔でうんちくを語ると、バイロンはそれを華麗に無視してベーコンとコールスローのサンドイッチに手を伸ばした。


「うまい~~」


年頃の娘は括目するとマーベリックを見た。


「このベーコン、ひょっとしてマルス様の所のやつ??」


バイロンがそう言うとマーベリックはうんちくを止めて小さく頷いた。


「そうだ、サングースの精肉店のものだ。ここのベーコンはハーブにこだわりがあるから味に深みがある。」


マーベリックがそう述べるとバイロンは急に表情を変えて食べるのをやめた。


「そうだ、リンジーが言ってたんだけど……サングースの領主が変わるとかなんとか……」


バイロンが宮で噂されていた情報に触れるとマーベリックが小さく頷いた。


「どうやらお前たちの所でも噂が広まり始めたようだな……」


 マーベリックはそう言うとサングースであった事件、ベアー達が経験した背乗りにより生じたお家騒動に触れた。


「サングースの領主は後妻によって毒殺されていたんだ。だが貿易商の見習いがそれを見抜いてな……殺害された前領主の遺言状を見つけてその息子に財産の相続をさせるように告発したんだ。」


マーベリックがサングースで起きた事件をかいつまんで説明するとバイロンは興味津々な表情を見せた。


「それでどうなったの?」


バイロンが突っ込んで聞くとマーベリックがこれ以上は話せないという表情を見せた。


「この事件は闇が深い、背景が真っ黒なんだ。現在、枢密院で相続に関する精査が行われているが、この先の展開は読めない。」


 マーベリックがそう言うとバイロンは大きく息を吐いた。そこには憤懣があふれている。その様子を見たマーベリックはコホンと一つ咳払いした。


「実はな、背乗りした犯人を追いつめるときにマルス様が一役買ったんだ。」


「えっ???」


バイロンが素っ頓狂な顔を見せるとマーベリックは静かに続けた。


「貿易商の見習いが屋敷にとらわれた時、偶然敷地内のロッジが火事になってな……その火事の現場にマルス様がいたんだ。」


バイロンは興奮して鼻の穴を大きく開いた


「それ、ひょっとして、マルス様が火事を……」


「いや違う、ゴンザレスの報告ではマルス様は直接火事を起こすようなことはしていない。」


マーベリックの言動に対してバイロンが素朴な疑問を持った。


「じゃあ、何で火事が……」


バイロンがそう言うとマーベリックが咳払いした。


「ここからは他言無用だぞ」


マーベリックはそう言うとレオナルド家でタイミングよく生じた火事の原因に触れた。


「ロバだ――マルス様が火付け石を出し、その場にいた少女がカンテラに火をつけた。そして引火したカンテラをロバが小屋にむかって蹴り込んだ。そしてロッジが内側から燃えたんだ。」


それを聞いたバイロンは鼻汁を垂らした。


「……マジで……ロバが……」


言われたマーベリックは頭を掻いた。


「誰も信じんかもしれんが嘘ではない。一部始終を見ていたゴンザレスの報告だ、間違いないだろう。」


 マーベリックはマルス監視のために時折ゴンザレスをサングースに送っていたのだが、事件はその時ちょうど起こったようである……


バイロンはベーコンとコールスローのサンドイッチを見ると息を吐いた。


「マルス様……」


マーベリックはさらに続けた。


「それから、レオナルド家の屋敷に捕まったポルカの貿易商の見習いの事だが……」


マーベリックがそう言うと『ポルカ』という単語がバイロンの脳裏で激しくゆらめいた。


「まさか……」


それを見たマーベリックが小さく頷いた。


「そうだ、そのまさかだ……おまえをミズーリの娼館から救い出した僧侶の少年だ。」


言われたバイロンは言葉を詰まらせた。


『……マジかよ……ベアーが……』


マーベリックはさらに続けた。


「その少年が館の中で隠されていた前当主の遺言状を見つけたんだ。その遺言状が枢密院に提出されて筆跡鑑定されている……本物の可能性がかなり高い。もう少しすれば、巷の瓦版では大変なさわぎになるだろう」


 バイロンは泥沼にはまりかけた自分の人生を救った少年がマルスとともにサングースで起きた事件を解決したことを耳にするとその鼻息を荒くした。


「凄いよ、ベアー!!!」


その表情は高揚し、歓喜にむせんでいる。マーベリックの見たことのない表情であった。


マーべリックはそれを見てベアーに対して若干の嫉妬を催したが、大人げないと感じてその思いを払拭するとバイロンに声をかけた。


「お前の友人もすごいが、第四宮の副宮長まで出世したお前も十分だとおもうがな」


マーベリックが暗にバイロンを評価するとバイロンが突然その表情をほころばせた。


「それ、褒めてんの?」


バイロンがにやけた表情を崩さずにそう言うとマーベリックが真顔で答えた。


「ああ、評価している。だが3人のメイドに対してヤキを入れたことはマイナス査定だ。」


マーベリックはそう言うとさらに続けた。


「頭突きによる傷害事件として扱われてもおかしくないとおもうがな」


言われたバイロンはそっぽを向いた。マーベリックに正論を述べられて立つ瀬がない状態に陥っている。


「恨みを買われるような行為は後になって自分に返ってくる、その辺りをわきまえないと自分が苦役を背負うことになるぞ。」


 マーベリックはバイロンに釘を刺すとハーブティーをカップに注いだ。相も変わらず優雅な動作は一流の執事そのものである。マーベリックはティーカップをバイロンの方にやると表情を変えた。


「ところで、話は変わるが――来週なんだが、少し付き合ってほしいところがある」


マーベリックはそう言うと懐から一枚のチケットを出した。


『これ国立歌劇団の舞台……それも特等席……』


 女優としてポルカで『板』の上に立っていたバイロンにとって国立歌劇団という単語は特別のものがある。バイロンはチケットをひとしお眺めると嬉しそうな表情を浮かべた。一流の役者の見せる舞台を特等席で鑑賞できることに対する純粋な悦びである。


それに対してマーベリックがポツリと漏らした。



「別に……デートじゃないからな……」



言われたバイロンはマーベリックを見た。



「……わかってるわよ……仕事でしょ……」



バイロンが若干どもって切り返すと二人の間に微妙な沈黙が流れた。




サングースでベアーたちが解決した事件を秘密裏に観察させていたマーベリックですが、その話を聞いたバイロンはおどきをかくせないようです。


その一方で、バイロンは国立歌劇団の特等席のチケットを渡されたことには喜びを見出しています。お芝居ではどのようなことが起こるのでしょうか?

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