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10章 第一話

新たなポストに任命された後、バイロンとリンジーは部屋に戻ると興奮した面持ちで語りあった。


「どうしよう、私が第四宮の宮長なんて……」


新たに執事長に就任したとマイラにより第四宮の長に任命されたリンジーは体を震わせ声を振り絞った。そこには明らかな不安が見て取れる。


「……何もできないのに……」


17歳という若輩で担える役目でないのは明々白々である、リンジーの表情は硬い……


「また、便秘になるわ……」


一方、隣にいたバイロンは何喰わぬ顔をしていた。


「しょうがないよ、あの事件の後おかしな連中は逮捕か追放でしょ。リンジーしか弾が残ってなかったのよ。任命した方もいざとなれば有能な人をつれてくるだろうし、あまり深く考えなくていいんじゃない。できることをやればいいだけよ。」


バイロンが冷静な見解を見せて鼓舞するとリンジーは鼻をフガフガさせた。そこには緊張感だけでないものがある。出世したことによる悦びが垣間見えていた。


「バイロンだって、副宮長なんだからね……本当はちょっとうれしいでしょ?」


 リンジーに指摘されたバイロンも同じく鼻をフガフガさせた。役職についたことで給料が上がることに悦びを見出している。


「まあ、でもこの人事は一時的なものだろうし……それにマイラさんが退職したベテランのメイドを呼び戻すって言ってたから、それが落ち着いたら、今まで見たいに平メイドに戻るんじゃない」


バイロンが妥当な見解を見せるとリンジーが口角を上げた。


「でも、それまでは宮長……あなたは副宮長」


そう言ったリンジーの顔はニヤつている。第四宮の宮長としての権限を振りかざす気満々の表情である。


それを見たバイロンはたしなめようとしたが、内心は同じ気持ちでありニヤニヤ感が否めない……宮長と副宮長の権限はそれほど大きいのだ。


お年頃の女子にはあまりに重すぎる肩書きである……この二人この後、どうなることやら……


                                *


 宮長の仕事は基本的に3つに分かれていた。一つはメイドの管理業務、もう一つは祭事や行事のとりまとめ、そして3つめは帝位の方のお世話である。いずれも時間と手間がかかるのだが、これらをバランスよくこなす必要がある。


 副宮長はこれをサポートするのだが、裏方というのは実務に長けなくてはならないため現在のバイロンでははなはだ心もとない……さらには、これらの業務に対して付随した事務作業があるため宮長と副宮長の仕事は長時間に及ぶ。朝5時に起床して、夜10時までぶっ続けで働くことになるのだ。ブラック企業を通り越した真正ブラックともいうべき労働時間になる。


『給料は上がったけど……時間給に換算すると……割に合わないわね』


 ちなみに前宮長のマイラは分業体制を取っていた。帝位につく妃の世話をベテランメイドに任せ、マイラ本人はメイドの管理業務と祭事のとりまとめに重きを置いていた。信頼できるメイドに重要な役割を割り振り、自分の仕事時間を短縮する策を講じていたのだ。


 だがリンジーとバイロンには信頼できる『手足』になるメイドがいるわけではない。果たして二人はどういった手段を講じるのか……


                                    *


バイロンとリンジーが役職について2週間――


 2人の眼にはすさまじい隈ができていた。マイラの残した業務マニュアルをもとに指示出しをしながら立ち回ったものの、人を使った経験のない二人は管理業務にフラフラになっていた。


 適材適所という言葉があるが若い二人には新人メイドを要所を配置するのは至難の技であった。履歴書に書かれたスキルと本人の適性が異なることが多く、気配りや、配慮といった感覚が欠如している新人も少なくない。誉れあるメイドどころか勘違いメイドの方が大勢を占めていた。


『これ……無理ゲーじゃねぇ』


 バイロンが疲労困憊の表情を見せると隣では業務を終えたリンジーが口から魂を吐き出していた。すでに時計は深夜の2時……あと3時間もすれば明日の業務が始まる……


さらには新人の配置以外にも問題があった。


『ベテランが言うこと聞かねぇ……』


 四十を超えて退職したベテランメイドを呼び戻して業務につかせるものの、若い娘の指示など歯牙にもかけずマイペースで業務を行う彼女たちのスタイルに二人は振り回された。


『ああ……マジ困る……』


 宮長の権限を使いリンジーが叱咤するのだが、押しの弱いリンジーでは圧力にならずベテランたちはそれを無視して業務に奔走した。もちろんバイロンの指示にも従わない……一見すると従っているようには見えるが、実際には面従腹背である。


『粗相や失敗はしないけど……私たちの指示は聞かない……こいつら、どうすんの……』


業務が始まって2週間、2人は早くも限界が近づいていた。



バイロンは疲労困憊の中、定例報告をするべくいつもの骨董屋に向かった。淫靡な雰囲気が覆う骨董屋の主人はバイロンを見ると何も言わず人差し指をたてて2階にマーベリックがいることを伝えた。バイロンはいつものように会釈すると、隠し階段をタタタッと駆け上がった。


「……疲れているようだな……」


 マーベリックがノックしてドアを開けたバイロンに声をかけるとバイロンはそれを無視していつもの席に座った。その表情は年頃の娘の見せる溌剌さがない……


 マーベリックはバイロンの状態を鑑みるとカモミールのハーブティーを出した。精神に安寧を与えるカモミールは現在のバイロンにはうってつけであると判断していた。


だが、バイロンはそれに対して不服そうな表情を見せた。


「甘いものは?」


その物言いは表情とは異なりキレがある。スイーツに対する探究心はメイド業務のストレスとは別のようである……


 言われたマーベリックは少し安心するとヤレヤレという表情を見せて隣の部屋に向かった。そして間をおかずして戻ってくると銀のトレーを雅な所作で運んでバイロンの前に置いた。


「ロールケーキだ……」


 マーベリックがうんちくを続けようとするとバイロンはフォークを素早く持って『速くよこせと!!』とジェスチャーで示した。その様は地獄の沙汰が頭を下げるくらいの勢いがある。スイーツ女子の見せる気迫は凄まじい……


だがマーベリックはそれに対してにべもない反応を見せた。


「報告が先だ」


 いつもの事であるが有無を言わせぬマーベリックの口調は手厳しい。バイロンは鼻の穴を膨らませるとシブシブと最近のことについて述べた。


                                    *


バイロンの定例報告を受けたマーベリックは息を吐くとトレーごとバイロンに渡した。


「なるほど……お前の眼の隈はそういうことか……」


マーベリックは状況を理解すると第四宮で起こっている事態を把握した。


「人事が上手くいかない……」


バイロンがそう言うとマーベリックはさもありなんという表情を浮かべた。


「16,7の娘が第四宮をコントロールできるはずないだろ。枢密院の人事は新しい体制がで得きるまでの一時的テンポラリーなものだ。他のメイドたちはその辺りの事を考えて動いているんだよ」


それに対してバイロンが口をとがらせた。


「でも、こっちが上なんだから、従うのが当然でしょ!!」


それに対してマーベリックは淡々と答えた。


「ベテランは新人の管理者を観察するものだ。お前もリンジーも試されているんだよ。下手な指示を出せば寝首をかかれるぞ、女の園が甘くないのはお前が一番よくわかっているだろ」


マーベリックがそう言うとバイロンは大きくため息をついた。


「……そのとおりね……」


 バイロンは素直にマーベリックの言動を認めると、ハーブティーを口に入れた。さわやかな風味とカモミール独特の香りが鼻から抜ける。


『イライラしててもしょうがない、それよりも今はこっち!!』


バイロンは気持ちを一瞬で切り替えるとトレーを引き寄せた。


                                   *


 バイロンはロールケーキをひとしお眺めると円筒型の本体に向かっておもむろにフォークの一刀を投入した。えもいわれぬ柔らかな触感がフォークを持つ手に伝わってくる。


『……心地いい……』


 ふわりとした柔らかい生地はしっとりとしていてパサパサとした感じはない。そして中にたっぷりと挟まれたのチョコレートクリーム、フォークにまとわりついて来るがその感触は軽い……


バイロンは手の感触から伝わる情報をもとにケーキを大きく切り取ると口に放り込んだ。


「これ、普通のクリームじゃない!!!」


 先ほどまでベテランメイドの話で沈んでいた娘はその眼を大きく見開くとロールケーキの合間に挟まったクリームに仰天した。


マーベリックはその表情を見るとニヤリと嗤った。


「ああ、ムースのようにしてある。脂質をおさえてさっぱりとした口当たりになる。」


 一般的にロールケーキは生クリームかバタークリームを用いることが多い。最近は柔らかめの生クリームに酸味のあるフルーツを挟むことが流行はやりなのだが、マーベリックのものはそうではない。


「モカフレーバーのムースだ。」


 チョコとは異なる苦みがバイロンの口の中で広がる、柔らかなムースの歯触りと独特の苦みが甘みとともに広がる。バイロンは初めての経験に頬を赤くした。


『マジ美味い……』


 マーベリックの人間性には気に喰わない部分も多々あるが、この男の造るスイーツにはどうにもならないものがある。


『生地とクリームのバランス、おさえた甘さとモカの苦み……文句のつけようがないわ』


バイロンは一口目を吟味すると、マーベリックのうんちくを無視してロールケーキとの格闘を始めた。


                                 *


 格闘は10分とかからなかった、銀のトレーの上にあったモカフレーバーのロールケーキはバイロンの胃の中にすべて納められていた。


「おいしかったわ……」


バイロンが腹をさすりながらそう言うと、マーベリックがそれをたしなめた。


「淑女はそうした行動はとらないものだが」


それに対してバイロンが答えた


「これだけのロールケーキを食べる人間が淑女だと思う?」


バイロンがもっともな反応を見せるとマーベリックはため息をついた。そこには半ば諦めのようなものがある。


バイロンはそれを見るとニヤリと嗤った。なんともいえない不敵さがそこにはある。


「オマエなぁ……」


 カチンときたマーベリックはたしなめようとしたがそれを遮るようにバイロンが朗らかな表情で反応した。


「とってもおいしかったわ!」


その一言を聞いたマーベリックはもう一度ため息をつくと肩を落とした。


 いつもながらのやり取りだが二人の間にある謀者スパイと管理者という関係は薄れ、程よい緊張感が生まれている。


食べ終わったバイロンはスカートの裾を持ってエレガントに挨拶するとドアを開けた。


「じゃあ、また、来週!!」


そう言い残すとバイロンは元気よく階段を降りていった。


 残されマーベリックはバイロンが骨董屋を出ると雑踏に消えゆく彼女の背中を追った。そして懐から万年筆を取りだした。バイロンが以前にマーベリックにプレゼントしたものである。


「俺はあいつに惹かれているのだろうか……」


マーベリックはひとりごちるとそれをかき消すように頭を振った。


『錯覚だ!』


マーベリックはそう思いなおしたがバイロンの消えた雑踏に再び目を送っていた。




最近寒いねですね、インフルエンザにはお気を付けください。(特に受験生)

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