第四話
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さて、特別クラスでは――
授業の内容は以前と異なり、かなり高度な問題も現れた。手長は板書しながら解法を披露したが上級学校の数学や物理は想像以上に難しい。パトリックは喰らいつくようにして授業を受けたが半分程度しか理解できなかった。
週に一度のテストでもパトリックの成績は振るわず、点数が悪いためミゲルとともにスクワット、教科が変われば腕立てや腹筋を強いられることになった。腹立たしい罰ゲームであるが手長のテストは範囲外から出すような姑息なことはなく、与えられた公式や解法を駆使すれば何とか解けるもので、罰ゲームもやむを得ないという状況に追いやられた。
「お前は公式に当てはめて計算しているだけだ。数式の意味を理解していないから問題が解けないんだよ!!」
手長の指摘は全くその通りでパトリックはテストに出された問題を解く上で暗記した公式を使うことしか思慮が至っていなかった。特に図形問題では視点を変えるという認識を欠いていた。
『そういうことか……』
板書された解答を見たパトリックは暗記した公式に気を取られ、図形の展開図を想像する事を忘れている自分に気付かされた。
「公式に当てはめようというのは誰もが考えることだ、だがいつも公式が使えるとはかぎらない。その時どうするかが知恵なんだよ」
手長はそう言うと意地悪く笑った。
『腹が立つ……』
パトリックはそう思ったが隣で何食わぬ顔で正答を導くミゲルを見ると反論さえできなかった。
*
一方、その頃、ビッグティッツ同盟の面々――ミッチ、アル、ガンツはそれぞれの性格に合わせて自ら選んだ教科を掘り進めていた。基礎学力の欠如していたガンツは自分の手下を統制するためのリーダー論を『フットボールのコーチについて』という参考書から学び、
ミッチは鉱物学の図鑑から金になりそうな鉱物資源やその資源の眠る地層についての知識を学んでいた。かつてコソ泥であったミッチは金目のものには目がなく、金やプラチナといった資源以外にも価値のある資源があることにその眼を輝かせた。
一方、授産授業で金属の研磨を学習していたアルはその腕をメキメキとあげていた。でっぷりとした軍人から彫り(カービング)の技術を盗み見することで銅や鉄だけでなく鋼の削り方を学習したのである。
『金属の種類により道具も変えなきゃ、駄目なのか……』
同じ作業を繰り返す職人は同じ道具や工具を使ってその技法を熟練させていくのだが、金属の種類により硬度や粘りが違うと道具をそれに合わせて使い分ける必要が出てくる。
『でも、道具はどうするんだ……』
限られたキャンプの環境では金属に見合う工具があるわけではない。
『あの金属は硬くて削れないんじゃないのか……』
アルが素朴な疑問を持った時である、金属の鋳型を作っていた軍人は思わぬ行動を見せた。懐から何やら器具を取りだして金属を計りだしたのだ。
『金属の硬度と粘りを計測しているのか……』
アルはそれを何ともなしに眺めたが、計測した数値を見たパツパツが次に見せた行動は驚きべきものであった。
『なるほど、どういうことか……』
パツパツは鉱物を削るための削岩工具を自ら作り始めたのである。
『削るための道具を自分で作るのか……』
アルは作業の中で見せるパツパツの動きから学術知識とは異なる現場での知恵を見いだしていた。
限られた環境の中で機転を使って状況を変転させる。職人には必要不可欠な考え方であった。
*
軍人たちが赴任してからの日々は今までと異なる経過をたどった。腐ったキャンプの環境が学ぼうとする少年たちにとって価値のあるものになったのである。
だがその一方で社会に対して敵愾心を持つ少年や非行少年たちにとってキャンプの環境は不快になっていた。
基礎的な学問を学ぶモチベーションを欠いている彼らには意欲を見せる少年たちの姿勢が腹立たしく映ったのである。彼らの持つの元来の素行の悪さがにじみ出始めたのである。
『パトリックのやつ、調子に乗ってるよな』
『ああ、どうせやっても意味がないのに』
『娑婆に出ればまともな職になんかつけないのにな、履歴を見られてアウトだ。知識なんて身に着けても俺たちには役立たない』
少年たちの何人かは意欲のある少年たちに反吐を吐くような視線を浴びせた。
『キャンプ帰りなんて白い眼で見られるだけなのに……』
『どうせ意味ねぇよ……こんなことは』
グレーな世界の中で生きてきた非行少年たちにとって現在のキャンプは娑婆の学校のようで虫唾が走る環境に変化していたのである。
そしてこの環境を嫌った少年たちは新たなグループを結成すると、影でコソコソと自分達より肉体的に劣る少年たちをいたぶり始めたのである。
12
「どうだ?」
尋ねたのはキャンプの館長である。年老いたたたずまいだが鋭い眼光は暴力性を秘めている。
「はっ、現在は順調かと」
手長がそう答えると矍鑠とした老人はニヒルに嗤った。そこには手長の言動を否定する意味合いが込められている。
「ストレスのレベルが低い、これでは普通の学校と変わらん」
館長はそう言うとパツパツを見た。
「素行の悪い少年グループが動き始めたなそうだな――だがあれでは意味がないぞ。自分のストレスを解消するために弱者を嬲っているだけだ」
言われたパツパツはそれに対して怪訝な表情を見せた。
「ですが、素行の悪い受刑少年をあまり調子に乗らせても……」
パツパツが反論すると館長は口ひげに手をやった。その表情には含みがある。パツパツはそれを見ると怪訝な表情を浮かべた。
「物資の横流しをしている看守がいるのではないか?」
館長が関係のない話題を口にするとパツパツと手長は顔を見合わせた、2人の表情には驚きがある。
「ここに来た初日に看守の1人を見せしめにして綱紀粛正したつもりだろうが、再び動き出しているのではないか?」
少年たちだけでなく看守を監督するのが軍人たちの勤めである。仮に看守たちが物資の横領をしているとなればそれはゆゆしき事態である。
「看守たちはお前たちに対して外面を繕っているだけだろ――だが素行の悪い連中の心中はそんなものではない。」
館長は看守たちが汚職に手を染めているのではないかと仄めかす。
手長とパツパツはいかんともしがたい表情を見せた。
「素行の悪い少年グループと巧妙な汚職を展開する看守、この二つをどう思う?」
館長はそう言うと二人に向けて顎で扉を指した。どうやら『自分たちで考えろ』と言う意味らしい。
それを察した手長とパツパツは新たな悩みの種を抱えることになった。
*
2人は館長室を後にするとその場で話し合った。
「ラインハルト様、いや、館長は素行の悪い少年グループと看守について物申された……だがどういう意味なんだ」
パツパツがそう言うと手長が熟考した。
「……看守の荷物検査は厳しくしている、物資の横流しは確認されていない。」
「だが、館長は横流しがあると言われた……」
2人は再び熟考した。
「俺の予測だが、横流しする物品がどこかにあるのだろう――だがそれは外部までは届いていない……検閲も含めて外部との連絡や荷物のチェックは厳しく行っている。そう簡単には物資の横流しはできんはずだ。」
手長がそう言うとパツパツが腰に手を当てた。
「……何かあるはずだ……」
2人は答えの出ない難題に顔をしかめた。
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さて、それからしばし、特別クラスでは――
筋トレという罰ゲームを与えながら『頭の使い方』を披露する手長の授業はパトリックにとって有意義なものへと変化し始めていた。徐々に講義についていけるようになり、授業内容が理解できるようになったためである。ミゲルの数学の能力にはかなわなかったが国語はパトリックの方がスコアは良くなっていた。
『マズマズダな』
パトリックの学習意欲は飢えたハイエナのようであり、一週間間隔で力をつけてくる様相には妙な迫力があった。腐った環境の中で学ぶことを覚えた美しい少年は理知的な側面をその身に宿し始めていたのである。
『以前に出した問題も忘れることなく、解けているな……』
一般論だが忘れた頃に以前に出題した問題をぶつけると多くの学生は正答を導くことができない――範囲外の内容をほとんど忘れているためである。
だがパトリックにはそうした面がなかった。ゆるみのない学習効果を維持しているのである。
『なかなか、面白いやつだ……』
手長は他の少年とは異なるパトリックの姿勢に将来性を感じた。
『だが、世の中はそんなに甘くない……パトリックが優秀でも将来が明るいとは言えないだろう……貴族という身分でキャンプ帰りとなれば、イメージは決してよくない』
手長は喰らいついてくるパトリックの姿勢に並々ならぬものを認識したが『キャンプ帰り』という単語の持つ社会的な意味合いを考慮すると何とも言えない思いに駆られた。
『……世知辛いご時世で、こいつがどうなるのか……何とも言えんな……』
手長はそう思ったがそれを口に出すことなく授業を進めた。
パトリックは徐々に力をつけ始めたようですが、この後でどうなるのでしょうか?




