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第三話

当初、パトリックとアルの姿は周りの受刑少年には陳腐に映っていた。彼らはキャンプでまともな知識や技術が学べると考えていなかったからだ。ガンツやミッチでさえも当初はそのように思っていた。


だが2人がそれぞれの行為に打ち込む姿を見ていると周りの少年はざわつき始めた。


『おれもやってみようかな……』


『本でも読んでみようかな……』


『なんかおもしろそうだな……』


それほど間をおかずして受刑少年たちの間に仄かでありながら学習意欲を持つ者が現れ始めたのである。


パトリックの見せた姿勢が他の受刑少年たちに伝播し始めたのである。


                                   *


「館長、順調であります」


 そう言ったのは妙に手の長い軍人である、その顔には戦略がうまくいったという自負がある。パトリックとアルという受刑少年を活用してキャンプの雰囲気を変化せしめたとおもっていた。


一方、椅子に座ってその報告を受けた館長と呼ばれた老人は何の感慨もない表情を浮かべた。


「まだ始まったばかりだ、これから負荷をかけてどのように展開するか見届ける必要がある」


 館長と呼ばれた男の軍服の胸には勲章が10以上ある――老人の階級がかなり上であることが推し量られる。


「腐ったガキがどこまでやるか見てみたい」


老人はそう言うと手長とパツパツに声をかけた。


「パトリックがどこまで耐えられるかやってみろ、そして周りの少年との関係性を見極めろ。すべてがうまくいわけではないぞ」


言われた手長とパツパツは敬礼した。


「この実験はこの先を占う試金石になる、遠慮はいらん」


老人はそう言うと二人に『出ていけ』と合図した。


2人が出ていくと館長室の執務机に手をかけて老人は立ち上がった。


『ダメでもともとだ……だがうまくいけば、道が開けるかもしれん。可能性は低いがな』


老人は心の中でそう思うと薄くなった頭部の髪を撫でつけた。


『しかし、ゴルダでの一件――明らかに異常だ』


館長と呼ばれた老人はどうやらゴルダで起こった騒乱事件を耳にしているようでその表情は厳しい。


『世界が変わり始めている……私の予想が外れればいいのだが……』


館長と呼ばれた老人は老獪な表情を崩さずにひとりごちた。



それから2週間――


 キャンプの雰囲気は以前とは異なっていた。底脳さはそれほど変わらないものの意欲のある受刑少年とそうでない者との間にくっきりとした裂目クレバスができたのである。やる気を出した少年たちは授業で出された課題を図書室で調べるという今までにない行動を見せた。


 一方、性根の腐った連中はパトリックやアルの様子に劣等感とともに妙な腹立たしさを感じるようになっていた。


『どうせ、学んだところで俺たちを受け入れる社会なんてない……』


『この技術が役に立つなんて保証はない……』


『学校の知識で飯が食えるはずがねぇ』


 もともと授産授業は刑罰の意味合いが強い、そのため鉱山での掘削作業や作業所での研磨作業も娑婆に戻ってから役立つとは言い難い。素行の悪い受刑少年たちはキャンプでの矯正教育を明らかに軽んじていた。


『この軍人たちも遊びで俺たちをからかっているだけだ。』


 犯罪性向の強い連中は学習すること自体に懐疑心を抱いている……むしろ学ぼうとする受刑少年の存在自体が不愉快に映り始めたのである。


 彼らはストレス解消のため自分より弱い者や体の小さな者に対して陰でこついたり、読んでいる本をわざと叩き落としたりと地味な嫌がらせを行うようになっていた。


そして、その中でターゲットになったのがパトリックのクラスメイト、ミゲルであった。


                                  *


「まともに口もきけねぇのに、数学ができるからって調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」


 そう言ってミゲルを殴ったのは頬に傷のある受刑少年である。実に陰険な表情を見せるとミゲルの太ももに膝蹴りを喰らわせた。


「おめぇみてぇな奴がここで評価されても娑婆に出ればクズ扱いされるんだよ!!」


頬に傷のある少年はミゲルの事が気に喰わないらしく、不愉快なオーラを醸すと詰め寄った。


「コミュ障が一人前の人間みてぇなツラをするんじゃねぇ!!」


ミゲルに絡んだ少年はストレス解消の矛先を向けると、ミゲルの飲んでいたスープ皿をわざとはたいた。


 食器が机から落ちてスープのなかに入っていたベーコンが床に飛び散る。何とも言えない惨状が食堂に展開する。


嫌がらせも、ここまで来ると悪質である。一部始終を見ていたガンツが立ち上がろうとした。


一方、それを見ていたパトリックはガンツを制した。


「ミゲルの対応が見たい」


 小声でガンツにそう言うとパトリックはミゲルの反応を観察した。言われたガンツは静かに腰を下ろした。


                                    *


「手が不自由で、自分で落としたんだよな」


 頬に傷のある少年はそう言うとミゲルを睨んだ。そこには弱者を嬲ることに対する快感が滲んでいる。人としての品性など微塵もない……


一方、ミゲルは恨めしそうな眼を一瞬見せただけですぐに下を向いた。


 右手に障害があり、言語的にもハンデのあるミゲルに詰め寄る少年のやり方は卑怯で意地汚いが、ここは少年鑑別所ブーツキャンプである。自分の身を自分で守れなければ蹂躙されるのが当たり前である。


『さあ、どうする、ミゲル――』


パトリックはうつむくミゲルを見て反撃するか見定めようとした。


だが――


 ミゲルは反撃するどころか黙ったまま微動だにしなかった。その姿は嵐が去るのをじっと耐える農夫のようにも見える。運動神経に自信のないミゲルは反抗することで事態の悪化を避けているようだ、


『駄目か……』


パトリックはそう判断すると立ち上がった。


                                    *


「おい、お前!」


 パトリックがミゲルにちょっかいを出した少年(頬に傷のある)に声をかけると食堂にいた少年たちが注目した。


「なぜスープを落としたんだ?」


 美しい少年が金髪をなびかせて尋ねると頬に傷のある少年は舌打ちした。そこには『余計ないことに顔を突っ込むな』という意志がありありと窺える。


「他人の食い扶持を無下に扱って、謝りもしないのか?」


パトリックが涼しい顔で言うと頬に傷のある少年が不愉快な表情を見せた。


「手が当たっただけだ、わざとじゃない」


明らかに意図的にスープの木皿を落としたにもかかわらず少年は平気な顔で嘘をついた。


パトリックはそれに対してニヒルに嗤った。


「面白くない冗談だな――俺をからかっているのか?」


 パトリックに凄まれた少年は一瞬不愉快な表情を見せたが、相手が悪いと判断したのであろう、そそくさとその場を離れた。そこには生まれつきの性根の悪さを肯定するあざとさが浮き出ている。


パトリックは頬に傷のある少年、ザイルににらみを利かすとミゲルを見た。


「ミゲル、キャンプでは自分の身を守るのは自分だけだ。嬲られて耐えるだけじゃ道は開けないぞ」


パトリックはそう言うとその場を離れた。



10

「今のを見たか?」


「ああ、明らかに変化があるな」


先ほどのやり取りの一部始終を陰から見ていた手長とパツパツはそう思うと策を練った。


「ストレスに耐えられるか否か……やり過ぎれば失敗するしな」


「さじ加減が難しい」


手長はパツパツと館長に言われたことをいかにして実行するか思案した。


「素行の悪いガキが小さなグループを結成するくらいならプレッシャーとしていいんじゃないか……」


「やりすぎない程度に『秩序のある混沌』を与える、そんなところか……」


2人はそう考えるとその場を去ることにした。


                                 *


 それから1か月、キャンプの環境は軍人の監督により以前とは異なる雰囲気に覆われていた。とくに掘削作業は事故が激減し少年たちの作業は安全面が高まったことで負傷者も減少するという状況になっていた。


 軍人たちは容赦ない体罰を少年たちにあたえるものの、そのやり方は心得たもので、痛めつけても怪我はさせないという軍人ならではのテクニックを見せた。手長とパツパツは効果的に鉄拳制裁を加えることでキャンプの環境をうまく制御していたのだ。


 さらには看守たちや雑用こなす庶務役(調理人含む)にたいしてもにらみを利かせ理不尽な暴力や食事の配膳に対する嫌がらせも少なくなっていた。キャンプの環境は質の悪いストレスが改善するという状況になっていたのである。


 だが、その一方で軍人たちは素行の悪い受刑少年たちに対して『放置プレイ』ともいうべき戦略を取った。彼らの質の悪い部分をいかして適度な混乱をキャンプに振りまいたのである。善人が圧力をうけ、悪人が適度にはびこる環境を意図的に作り上げたのである。それはラインハルト館長が示唆した環境を具現化するものであった。




新たに赴任したラインハルト館長は何を考えているのでしょうか、この軍人は善人なのでしょうか、それとも……

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