第二話
4
間をおかずして特別教室に軍服に身を包んだ男がやって来た。昨日、看守を殴打した男である――年齢は30代中盤で髪を短く刈り込んでいる。体格は平均的だが妙に腕の長い男であるためパトリックは軍人の身体的な特徴から『手長』と命名することにした。
『手長』は二人を見ると号令をかけた。
「起立、気を付け!!」
その言い方はまさに軍人らしく微塵の緩みもない。パトリックもミゲルもその速さについていけず遅れた。
「もう一度だ!」
軍人はそう言うとニヤリと嗤った。
「挨拶ができないようだな、できるまで続けるぞ!」
この後パトリックとミゲルは手長の号令のもと『起立、気を付け、礼、着席』の一連の動作を延々と強いられた。
つま先の広げる角度、頭の下げ方、直立したときの姿勢など礼儀に対することを徹底的に矯正された。それは罰ゲームとも嫌がらせとも思える――
『これは何なんだ……俺がキレるように仕向けているのか……それとも従順な犬になるようにしつけているのか……』
3時間近く行われた挨拶に対する矯正は午前中すべてを費やして敢行された。大して意味のない行為だが、同じ動作を繰り返すとさすがに嫌気がさしてくる。
単純作業を延々と繰り返されたことでさすがのパトリックも怒りを滲ませた。
だが、それをあざ笑うかのようにして手の長い軍人は延々と号令を繰り返した。そこには感情を喪失したからくり人形のような面持ちがある。
『……こっちが根負けするのを待っているのか……』
パトリックはそう判断すると手長の号令に対して同じく感情を殺した無味乾燥な姿勢で対応することにした。
そして――
「よし、いいだろう」
午前の授業の終わりを告げるハンドベルが鳴られるとやっとのことで手長が二人を解放した。
クタクタになったミゲルがその場にへたり込むと手長はその姿を見下ろしてパトリックたちに声をかけた。
「明日は学力テストだ。お前たちの能力を見る」
手長はそう言うと再び号令をかけた。
「起立、気を付け、礼!!」
不愉快な声色は最後まで愉快になることはなかった。
5
午後の刑務作業を終えるとパトリックのもとにガンツ、ミッチ、アルが集まった。
「初日の感想を述べてくれ」
パトリックがそう言うと尋ねられた3人がそれぞれの経験した一日を口にした。
*
「おおむね良好のようだな……」
理不尽な体罰を強いたり、無関心を装って鉱物資源掘削作業の監督を怠ることはなく、軍人たちは動向を見ながら看守たちをコントロールしていた。
「昨日、砂金をパクッてた看守がヤキをいれられてただろ、あれがあるから他の看守たちも軍人たちにビビってんだよ――だから妙な緊張感が看守たちにあるな」
ガンツがキャンプの空気を的確に読むとミッチがそれに続いた。
「坑道の中を調べて危険な所をマッピングしている……あいつら今までの奴らとは違う。危険な掘削作業は回避しているようだね」
ミッチがそう言うとアルが発言した。
「授産授業も変わったぜ。今まで馬車とか家具とか木工系の作業ばっかりだったけど、中古の釜が入って来たんだ。掘り出した鉱物の一部を溶かして何かの部品を造るらしい」
アルがそう言うとパトリックは美しい表情を歪めた。
「そうか……初日から変化があるみたいだな……」
パトリックは自分に起きた嫌がらせとも思える仕打ち以外は『それなり』であると判断した。
「このまま、様子を見る。落盤事故は気をつけろ、以上だ!!」
パトリックはそう言うと会話を打ち切った。
6
翌日、特別クラスに向ったパトリックは昨日と同じく軍隊式の不愉快な挨拶を敢行すると予定通りに試験を課された。国語、数学、科学、社会の4教科である。
いずれも初等学校高学年のものよりもはるかに難しく、現在のパトリックの学力では到底歯が立たない問題であった。
『何なんだ、このテストは……』
ポルカでは学校をさぼり授業をなおざりにしていたため試験はほぼ全滅に近い……特に数学は惨憺たるものであった。
『これ、どうやって解くんだ……』
三角関数の概念が欠如しているため問いの内容さえ理解できない状態にパトリックはさじを投げた。
だが、その一方で隣にいたミゲルは鉛筆を軽快に走らせている。
『落書きか……』
パトリックはそう思ったが、解答用紙に書かれた文字群を見て何とも言えない表情を見せた。
『こいつ、もしかして……解けているんじゃ』
パトリックはミゲルの解答用紙にその目をやろうとした。
その時である、背中にすさまじい痛みが走った。
*
「カンニングとはいい根性をしているな?」
興味本位でミゲルの解答を覗こうとした行為がカンニングと認識されたらしくパトリックは息ができなくなるような張り手を背中に喰らったのである。
「貴様、いい度胸をしてるな」
言われたパトリックが沈黙すると手長はニヤリと嗤いかけた。
「懲罰だ、スクワット1000回」
言われたパトリックは不愉快な表情を浮かべると荒いため息をついた。
*
足腰が立たなくなるくらいのスクワットを終えたパトリックは手長に素朴な疑問をぶつけた。
「ミゲルの数学の解答はあっているんですか?」
パトリックがすらすらと数式を展開していたミゲルの事を尋ねると手長は感慨もなく即答した。
「計算問題は全問正解だ。三角関数の公式も理解できていた。」
聞いたことのない単語にパトリックは言葉を失った。
「言語能力は低いが数学に関しては普通の上級学校の生徒よりも長けている、ミゲルがこのキャンプにいることはまことに不思議なことだ」
言われたパトリックは驚きを隠さなかった。
「図書室にある新しく入った本を読んでおけ、来週、再び試験をする――以上だ」
手長はそう言うと特別教室を去って行った。その背中にはパトリックの知的水準がたいしたものではないことを仄めかす雰囲気が漂っている。
パトリックはそれを感じると隣に座ったコミュ障の少年を見た。
『……マジか……』
2度にわたりキャンプの悪政を打ち砕いたパトリックであったがキャンプの少年の中に特殊な能力のある人間がいるとは全く思わなかった。
*
夕食を終えたパトリックは図書室に向かうとさっそく新本を確認した。
『……上級学校のテキストだけじゃない……』
いつもは何もない新本の棚には今までになかったテキストや資料集、そして鉱物資源を記した図鑑が鎮座しているではないか。さらには小説や戯曲といったものまで置かれている
『なるほど、ここからテストを出すというわけか』
キャンプの基礎教育に辟易していたパトリックであったが目の前にあるテキストはそれを払拭する知識が記されている。
『これはおもしろそうだ』
科学の教科書を開いたパトリックは何やら熱いものが沸き起こるのを感じた。
『やってやろうじゃねぇか!!』
たいした参考書がないため学習意欲を半ば失っていたものの、蔵書の質が向上したことでパトリックのモチベーションは一機に高まった。
『貴族をなめんなよ、クソ軍人が!!』
パトリックはそう思うと手当たり次第に参考書を手に取った。
7
一方、午後からの刑務作業にも変化が生じていた。家具や馬車の部品を研磨するだけの作業だけでなく鋳型を用いて部品を作るという作業が追加されたのである。
金細工職人として金属を扱っていたアルにとって午後の木工作業は退屈で単調なものだったが、新たに追加された作業は興味をそそるものであった。
『面白そうだな』
看守たちは少年たちの刑務作業を監督することはできても技術を教える能力はない、だがアルの目の前にいる軍人は明らかに特別な技術を用いて金属を削りだしている。さらには削るための道具も今まで目にしたことのないものであった。
『こりゃ、盗まねぇと損だな……』
職人の世界は『目で盗む』という概念がある。重要なことは教えてもらうのではなく、作業の過程で自分自身で身に着けるという考え方だ。
『あの削り方は知らねぇな……』
アルはそう思うと軍人の所作に目をやった。
『あの軍人、彫り(カービング)がうめぇな……太ってるわりには指先も器用だし……』
アルはゴルダにいる親方とは異なるカービングの技法にその目を凝らした。
『ああいう風に削るのか……あのパツパツ……やるな』
アルは太てっいて軍服がはちきれんばかりになっている軍人を『パツパツ』と命名した。
一方、鋳型を作っていたでっぷりとした軍人はアルが自分に対して熱い視線を送ってくることに気付いていた。
『ほう、こんなガキもいるのか……』
でっぷりとして禿げ上がった軍人は技術を見せるような見せないような様子を見せてアルの探求心を刺激した。
『ついてこれるかな、クソガキ?』
軍人は内心ほくそ笑むと作業をゆっくりと進めた。
授業と刑務作業に変化が生じたことでパトリックとアルは罪人でありながら『学生』という立場へと変化した。もちろんキャンプは娑婆に比べればはるかに悪い環境である、だがむしろそれが学ぼうとする意欲に火をつけた。
彼らはおかれた環境に屈せず、眼の前にある知識や技術をむさぼるようにしてその手にしようと躍起になったのだ。明らかな変化が生じたのである。




