第二十一話
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さて、その頃、枯れ井戸の付近――
カルロスが合図すると地上にいたマクレーンとロバがジュリアを引き上げた。ジュリアは中空をゆっくり上昇すると無事に地面に体をおろした。
「あげてくれ!!」
カルロスが安心してそう言った時である、上の方で複数の足音が聞こえてきた。そして何やら格闘するような物音がした。それを耳にしたカルロスは危機を感じた。
そしてしばし……
井戸の覗き込む人間の姿がカルロスの目に映った。
「……お前ら……」
カルロスの目に映ったのはサングースの詰所で一悶着あった治安維持官達であった。
「おい、どうした、井戸の中で何やってんだ?」
スネイルと呼ばれた若い治安維持官とその上司ナバールが井戸を覗きこむ。
「不法侵入して井戸にでも落ちたのか?」
2人の治安維持官はカルロスを嘲笑した。
「お前たちの計画はこっちもわかってんだよ」
どうやらスターリングの計画を察知していたようで二人の治安維持官はカルロスたちの動きを読んでいたようだ……
「レオナルド家に楯突く人間はここじゃやっていけないんだよ――たとえ広域捜査官でもな!!」
それに対してカルロスが吠えた。
「お前たち、この白骨死体が見えないのか。この遺体はこの屋敷の執事たちかもしれないんだぞ!!」
言われた治安維持官はそれに対してせせら笑った。
「その遺体をここに運んだのは――俺たちなんだよね」
「……えっ……」
まさかの発言にカルロスはその口を大きく開けた。
「悪いな、俺たちものっぴきならないところまで足を踏み込んでいるんだよ!!」
そう言ったのはナバールである。
「お前も枯れ井戸の底で骨になるんだよ」
カルロスはナバールの震える表情を見てピンときた。
「お前、まさか……」
「そうだよ、俺も『お薬』なしじゃ、もうやっていけないんだ」
ナバールはそう言うと鉄板で井戸の口に蓋をしようとした。
「じゃあな、はげ!」
スネイルがそう言うとカルロスのいた空間は暗闇に包まれた。
*
スネイルとナバールはジュリアを見るとニヤリと笑った。
「化粧をすれば使えるだろう、『薬漬け』にしてコンパーニオンにすれば客を取らせて金が稼げる。」
ナバールがそう言うとスネイルが嗤った。
「俺たちの小遣い稼ぎになりますね」
スネイルとナバールはすでに治安維持官としての倫理を喪失しているようで、その表情には正義感など微塵もない。薬漬けになった治安維持官の思考は誠に邪なものであった。
「どうします、あのロバは?」
ロバは何とも言えない間抜けな顔を見せてその場に立ち尽くしている。それを見たナバールは鼻で笑った。
「畜生は放っておけ、どうせ何もできんだろ」
ナバールはそう言うとみぞおちを殴られてへたり込んだマクレーンを見た。
「お館様が聞きたいことがあるそうだ」
ナバールはそう言うとマクレーンを無理やり立たせた。
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一方、その頃――
執事と話していたスターリングは時間を稼ぐために巧みな会話を展開していた。
「とてもきれいなお庭ですね、手入れも行き届いて素晴らしいですわ」
スターリングはベアーとジュリア失踪とは関係のない話をしながら執事の出方を探っていた。
「ええ、レオナルド家は自然に調和した形の庭を追い求めています。人工的な美とは異なるものです。」
執事が滔々と答えるとスターリングは深く頷いた。
「ところで、先ほどの行方不明になったフォーレ商会の2人の話ですが……広域捜査官は捜索に従事しているんですか?」
執事が尋ねるとスターリングは首を横に振った。
「広域捜査官は人探しはしません。知人の求めに応じて私的に動いているだけです。」
「……そうですか……」
執事はそう言うとスターリングを見た。
「どうやら、疑いは晴れてないような表情ですな……どうです、中を見られてはいかがでしょうか。あらぬ疑いをかけられてはこちらも迷惑ですので」
執事がそう言うとスターリングは眉を一瞬しかめた。
『中の捜索を認める……どういうこと……全力で否定すると思ったのに……』
スターリングがそう思った時である、その手首をグイッと掴まれた。
「ささっ、どうぞ!!」
スターリングは思わぬ執事の対応に驚いたが、いきなり手を引っ張られたため門の内側に引きずりこまれるような格好になった。
執事は素早くスターングを引き寄せるとその耳元でささやいた。
「もう帰れないぞ、お前の同僚と同じ結末が待っている」
執事がそう言った刹那である、スターリングは首元を針で刺される感覚に襲われた。
『……しまった……』
人を殺しても何の感慨もない人間は広域捜査官の一枚、いや2枚、上手をいっていた。
*
さて、2人の治安維持官に連れられたマクレーンだが――
マクレーンは屋敷の一階、応接間の暖炉の前にひざまずかされていた。
「お前はこの屋敷の秘密の入り口を知っていた……となれば秘密の小部屋の位置もしっているのでは?」
尋ねたのは館主の女貴族である、その表情は能面のようで感情が欠如している。
「ネズミ掃除の手伝いをすれば命だけは助けてやってもいいわよ」
女貴族がそう言うとマクレーンは女を見た。
「セバスチャンとクララを殺したのか?」
マクレーンがそう言うと貴族の女は笑った。
「あの骨を見たの――そうよ、邪魔だったから」
女が淡々と言うとマクレーンは女を睨み付けた。
「あんなにいい人間を……なんてことを……」
マクレーンはセバスチャンとクララに並々ならぬ思いを持っているようでその声を震わせた。怒りと哀しみが絡み合い強い憎しみがうまれている。
それを見た女貴族は何の感慨もない表情を見せた。
「人が生きていくために『糧』がいる。あの二人は私の糧になっただけ。」
女貴族は淡々と言うと二人の治安維持官に目配せした。
「吐かせなさい、ネズミの掃除にはその男の知識がいるわ」
それに対してマクレーンは答えた。
「知っていても、絶対に吐かない、吐いた後はどうせ殺すんだろ!!」
マクレーンがそう言うと女貴族は手にしていた舶来品の扇子でマクレーンの顔をはった。
「吐かなくても殺すわ、楽に死ねるか、苦痛の中で死ぬかの、どちらかよ!!!」
そう言った女貴族の顔は明らかに尋常ではない。その瞳の中にある黒焔は常人にはない不徳なものであった。
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さて、その頃、ロバは……
カルロスが井戸に閉じ込められたことをスターリングに伝えようと裏門の方にその足を向けたが、その眼に入ったのはまさかの光景であった。
『あれ、スタリーングちゃん、やられちゃったよ……』
死角から執事とスターリング交渉を見ていたロバだが、スターリングは頸部に一撃をくらい昏倒させられていた。
『これ、ヤバイな……マジで……』
ロバはそう思うと一つの考えが脳裏に浮かんだ。
『ゴルダでもヤバかったけど……今回は無理ゲーじゃねぇ……』
主人を見捨てて退散しようという結論がロバの中でもたげてきた。
『広域捜査官でも駄目なら……俺、もう逃げちゃおうかな……』
ロバがそう思った時である裏門の方から嗅いだことのある匂いが流れてきた。
『この匂いは……ザックとルナ……』
ロバは渋い表情を見せた。
『……魔法の使えない魔女と……頭の足りない見習いか……いけるかな……』
半ば疑心暗鬼であったが他に選択肢がないロバはそう思うとトコトコとルナたちの所に歩いて行った。
*
ロバが裏門の前から顔を見せると2人がイソイソと木陰から出てきた。
ロバは二人を見ると門越しに身振り手振りで状況を説明した。たどたどしい文字を蹄で記すと現状がいかに深刻か伝えた。
≪ハゲ、イド、ナカ≫
その字を見たルナは鼻の穴を大きく広げた。
「カルロスさんが捕まったの……」
ルナがそう言うとロバは小さく頷いた。
≪スターリング、ハリ、ササレル≫
「えっ、スターリングさんも?」
ルナが素っ頓狂な声を出すとロバは同じく小さく頷いた。
「……どうすんの、それ……」
広域捜査官2人が捕まった事実はあまりに重い――現状はジュリアとベアーの救出どころではなくなっていた。
ルナは地団駄踏んだがそれと同時にスターリングの言葉を思い出した。
≪もしもの時は、おとり捜査が失敗したと広域捜査官の関係者に伝えて。街道筋に出れば何とかなる≫
ルナは先ほど手渡されたブロンズ像を見た。
『街道筋に出るにはここからだと2時間はかかる……間に合うだろうか……』
2時間もあればベアーたちが殺されてしまう可能性がある……だが、魔法の使えないルナには助けを呼びに行くほかない……
『サングースの治安維持官に見つかったら終わりだわ……隠れながらいかないと』
ルナはそう思ったがはたしてそんなことはできるのだろうか……
『とにかく行かなきゃ!!』
ルナはそう思うと街を通らずに街道に出るためのルートに足を向けた。
*
『困った……』
街を避けて街道を目指していたルナであったがその眼にはパトロールに勤しむ治安維持官の姿が映っていた。その数は1人や2人ではない、隊長と思しき人間が指揮をしながら賊を逃がさないように包囲網を敷いている……
『あいつら、こっちの動きをよんでるのね……』
レオナルド家から袖の下を貰っている治安維持官たちは街道に向かう旅人に目を光らせていた。
『どうしよう……』
情勢は極めて悪い――今まで経験したピンチとは異なる質の悪さがルナの肩にのしかかってくる。
『治安維持官の間を抜けて街道に向かうのは……厳しいわ……』
58歳の魔女の勘は厳しい結末がもたらされることを囁いてくる……
『もう無理かもしれない……』
ルナが限界を感じてそう思った時である、街道の方から一台の馬車がやってきた。その馬車は治安維持官の包囲網など関係なく進んでくるではないか――
『あれ……あの馬車は……』
馬車の車窓からはためくのぼりを見たルナはそ鼻の穴を大きく膨らませた。
『フォーレ商会の旗だ!!』
ルナは馬車の車窓からたなびく社旗をみると猛然とダッシュした。
反撃に転じたスターリングたちですが、レオナルド家の貴族と執事はそれを察知していたようで、逆に窮地に追い込まれることになりました。
だが、その一方で一縷の望みと思える存在がルナの前に現れました。
果たしてこの後どうなるのでしょうか?
次回から後半です。




